RYO SASAKI

人との出会いに意味付けする。人の縁でもってユングがわかった気になった話。

タナカ シンゴ

ある人(以下Aさん)がこんな話を始めた。

Aさんの親友のBさんになかなかヘビーな不幸があって、そのことをAさんのまた別の友達のCさんに吐露した時のこと。

Cさんの第一声は、

「私は、(Bさんに比べたら)幸福なんだな。」

Aさんにとっては聞き捨てならないものだった。

Aさんは、親友Bさんに対してすごく心を痛めていたのに、Cさんはそれに気づかうことなく、初めに出た言葉があっけらかんとした自分との比較だったのだ。

Aさんは、Cさんのことを「許せない!金輪際会うのはやめる。」と言い出して、話しを続ける。

私は共感しながら、興味深く聞いていたのだが、後日私はこの話に対して、この時は全く想像もしていなかったある意味付けをすることになった。

ユングがわかってきた!?

また別のある時、初対面の女性と人の縁の話になった。

その人は、

「いろんな人と話すと自分にない視点が得られて楽しい!」

と話す。

私もこれには大いに同感で、そう言う人ならばと、心理学者のユングの共時性(シンクロニシティ)を持ち出してみる。

するとその人は、「袖振り合うも多生の縁」ということわざで呼応してくれた。

「多生」とは過去の生のことだから、この言葉は輪廻転生を基にしている仏教的価値観からできたものらしい。

人の縁というものにどうアプローチするのか?ユング、仏教、それぞれではあるが、人の縁が大切だ、と言ってるのはどちらも一緒。

私はユングと仏教がつながったような気になってほくそ笑んだ。

ーーーーーーーー

ユングの、「偶然の出会いはない」「精神的な波動によって引き合う(シンクロニシティ)」というのは有名だ。

ユングはまた、嫌だと思う人、迷惑に思う人との出会いが糧になる、とも言っていて、これが波動によって引き合うこととどう関連するのか、私は未だに納得できてはいない。

まあそれはともかくとして、ユングのいう、嫌な人、迷惑な人だけが、「人に本当の変化と認識をもたらすことができる」ということには共感できる。

昔出会った嫌な人、迷惑な人を思い出してみると、その時は単純に自分の自由が奪われる、ということがあったり、自分が言われたくないことがあったりしている。

今整理すると、これらに対して2つの対応が必要になるだろうか。(当時は全く上手くやれてなかったが)

ひとつは自由を奪われない環境に変えること。

具体的には、相手に拒否の意志を示す、それでも変わらなければ戦うか、距離を置くことだ。

もうひとつは、言われたくないと自分が思わなくなること。

具体的には、言われたくない、と自分が思っている理由を探り、捉え方を変える。

もしくは、言われたくないと思う自分を受け入れる。

自分が言われたくないと強く思うのは、そこにトラウマを抱えているせいではないか?

自分が、自分のできないことを認められていないからなのではないか?

などと自分に疑問を投げかけてみる。

このように外的な環境を変える手法を持つ、あるいは内的に自分を知って受け入れること、これらの両面ができる対応であって、それができれば自分は成長したと言えるんだと思う。

ちなみに、外的環境を変えるといっても他人を変えることはほとんどできない。

とは言いつつも、外的環境は内面が変わることで、自然に変わることもあったりする。

内面から醸し出すものによって、他人の本質は変わっていないながら他人から自由を奪うような嫌がらせができにくくなって抑制されて、結果環境が変わるようなケースだ。

そういう意味でも内面というものは、重視するべきものだとあらためて思う。

こうして今考えてみることで、以下のユングの言葉を自分なりの言葉にできたように思う。

人々は困難あるいは不安な出来事に遭遇すると、それを脅威とみなすのだが、そのような状況は精神的な成長の機会である。

感情の乱れは、その人をより深い内面的な解決策を求めるように促し、無意識を明らかにする重要な警告となる。

出会う人すべてが学習ツールである。

それによって自分の内面を深く理解することができる。

ユングは、内面の重要性を次のようにも説いている。

自分の内面(特に悪い面も含めて)を深く知って、その自分を受け入れている状態を内的調和という。

この内的調和がされていれば人はご機嫌でいられて、されていなければ受け入れていない自分の悪い部分を他人の中に見いだしては、不機嫌になり、時に怒ったりする。

そして、内的調和がされていない状態では、生活がどんなに物質で満たされていても人は空虚を感じるのだと・・・。

これも何となくわかるような気がする。

私の場合、悪いところがたくさんあるだろうから、その悪いところに向き合うにはそれ相応の勇気と手間がかかることをどうやら覚悟しないとならないようだ・・・。汗。

スピリチュアルか否か

良い人との出会いだけではなくて、迷惑な人や嫌な人に出会うことにも意味があって、成長の糧になる。

すべての出会いに意味がある!

このユングの言葉は、物理的にあるいは論理的に説明できるものではないから、一般的にスピリチュアルと言われているものだろう。

意味のある出会いを引き寄せるようにこの世界は用意されている(証明できないけど)、と言われたりもする。

この捉え方について、確かに前向きではあるが受動的なように感じる。

嫌な言い方をすると既成の宗教に身を委ねているような・・・。

これに対して逆の捉え方と言ったらいいか、能動的な捉え方もあるように思う。

意味のある出会いを引き寄せるように世界ができているのではなくて、すべての出会いに対して自分が意味付けできる、という捉え方である。

言うまでもなく人間というものは自ら創造できるものである。

物語を創り出すことができる。

これは作家だけ、アーティストだけが持つ能力ではなくて、誰もが持っている。

その創造性を出会いに対して少し注ぎ込めばいい。

嫌な人に会った、それにこんな意味があったんだ、これで私が成長できる、という意味付けをする。

そして前を向く。

これは、嫌なこと、迷惑なことに対して、ツイてない、ムカつくなどと捉えるのとは180°異なる捉え方。

世界がそのようにできているのではなくて、自分でそう捉える。

悪く言えばこじつける。

そして、そうすることで成長できると思い込む。

それは自分に暗示を与えるようなことだが、それでもそう捉えられればいい。

「自分の創造する能力を信じる」何とも前向きで能動的な捉え方だと思う。

結果、スピリチュアルという怪しいものを前提にすることも要らなくなる。

そして、人間にあらゆる出会いに意味付けをする創造性があるとするのならば、結果また翻って、人間が存在している限り、この世界がすべての意味のある出会いを引き寄せるようにできている、とも言えるわけだ。

こうして1巡するとスピリチュアルか否かはもはやどうでもよくなってくる。笑。

意味づける(意味を創造する)

最後に冒頭のAさんの話に戻る。

Aさんは、不幸があったBさんと自身を比較したCさんが許せない。

そこからまだ話が続く。

AさんとCさんは、学生時代からの友達。

付き合いが長い。

Aさんはこのことに限らずこれまでに何度もCさんの嫌なところを見て来た。

そしてその度にもう会わないようにしようと思ったことが何度もあったらしい。

それでも腐れ縁のように続いてきている。

Cさんは裕福な家に育ち、美貌も能力も持ち合わせていて、学生時代はいわゆる一軍のリーダー格の女子だった。

その成功体験が、Cさんの他人と比較する価値観を作り上げてきたのか?

そさてその学生時代からの関係性が、Cさんとの縁を切れなくさせているのか?

Aさんは、続ける。

私も悪い道に進もうとしたことがあったけど、尊敬する人との出会いによって変わったんだ・・・。

Cさんの話はだんだん自分に向いてくる。

ならばそんなCさんに対して私はどうなんだろうか?と・・・。

これが、内省というものなのだろう。

Aさんにとってのこの嫌な出来事を、どこまで自身の成長の糧にできるのか?

それは他人から見えるものではないのだが、内省に向いたことで私には期待が感じられた。

さて、人の話はこれくらいにして・・・・

私は今回の縁でどれほど変革できたのだろうか?

Aさんとの縁では、人が内省に向かうプロセスを見せてもらえた。

初対面の女性とは、ユングと仏教がつながって、またユングを少し理解して、日常に活かすことができる気がした。

では、私の内面を知る方はどうだろうか?

思い出した昔の嫌な人、迷惑な人、それらの人との詳細は割愛させていただいて、気づいたポイントだけを上げてみることにする。

私は不器用なのに器用ぶるところがある・・・。

私はそもそもバランスが悪いから、かえってバランサーになろうとしている・・・。

周りにはバレバレだったのだろうけど、私は周りからの要請に応えようと奔走してきた、なんと健気な奴だこと・・・。汗笑。

それから・・・

ダメ出しが止まらなくなってしまいそうなので、ここまでにするが、ユングによると「自分のダメなところを受け入れることが、ご機嫌でいるための必要条件」ということだから、ダメがたくさん出てくる私ってのは、ご機嫌への伸びしろしかないってことだ。笑。

あらためて、すべての出会いに意味がある。

もとい、すべての出会いに私が意味付けをする!

いや、どっちでもいい、だった。笑。

UnsplashAnnie Sprattが撮影した写真

【著者プロフィール】

RYO SASAKI

ユングの本は若い頃に読んだことがあったのですが、その時は理論として頭で知っただけでそれを日常に活かすことが全くできなかったことを思い出します。

ユング以外にも今なら活かせることがまだまだありそうに感じました。

工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。

現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。

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