RYO SASAKI

「タイパ」を上げる方法は、あらゆる「依存症」から脱却すること。

タナカ シンゴ

「タイパ」という言葉を聞くようになったのは、いつ頃のことだろうか?

「タイパ」→タイムパフォーマンス(Time Performance)の略で、費やした時間に対して得られる効果や満足度を表す言葉。

最近の若者は、動画を倍速視聴することが当たり前になっているらしく、これが「タイパ」追求のわかりやすい例と言えるのかもしれない。

それでも私にとって「タイパ」という言葉は、わかるようでわからない。

その主な理由は・・・

例えば仕事が早く終わるに越したことはないが、そのために詰め込んだり時間に追われたりすると当然ストレスを伴うわけで、短期的に仕事が早く終わることと、ストレスによる長期的な悪影響を天秤にかけた時に、それがどこまでならばいいパフォーマンスがいいと言えるのか?その塩梅のいいところがわからない。

時間短縮のためにどれだけ頑張るべきかわからないからだ。

これに限らず、何事もどこまで頑張るべきなのか?は、私にとって永遠に解けない謎のようで・・・。

それでも、ここからヒントを得るならば、人はどうしても短期的な視点に偏るものだろうから、先を甘く見て、だいたいが頑張り過ぎる傾向にある、と捉えられるのかもしれない。

少なくとも真面目な私なんかはその傾向にあったのだろう。

今は真面目の面影すらもなくなっているような気がしてならないのだが。汗。

そうしてみると、頑張らずに時間短縮を図る方法がないものか?すかさず抜け道を探そうとする。

いかにも今の物臭の私が考えそうなことだ。

この頑張らずに「タイパ」を上げるためのヒントを、古くからの賢人の知恵の中から見つけ出すことができないものだろうか?

今を取り戻す

とある本が、こんなことを言っていた。

「人は、今という瞬間に生きていないことが多い、今を取り戻そう!」

人間の日々の思考は、過去のことを思い出したり、未来のことを心配していたりしていることが多い。

過去や未来のことばかりならば、現在に生きていないとも言える。

未来について、例えばこんなやりとりがある。

「今は、馬車馬のように働いてお金を貯めて、後に幸せな老後を送りたいんだ!」

とひとりが言う。

これに対して、もうひとりが、

「それって、未来のために今を削っているようなものだろ?

そんなことでやってくる幸せな老後生活はいつになるというんだよ!?笑。」

と嫌みを言う。

・・・・・

過去についてはどうだろうか?

人の経験というものは、生きた証でもあり貴重なものであることは間違いない。

その思い出を人は懐かしく思い、過去の自分の雄姿を武勇伝として話したくなるものだ。

また一方で、過去の嫌な経験が今でも嫌なものと感じて、自分に嫌な思いを与えた人を今でも許せなかったりすることもある。

もちろん、過去を思い出すことは悪いことではないのだが、それが繰り返されるとするならば、それは今から意識が離れてしまっている、と言わざるを得ない。

そしてもし、それが繰り返されて止まらないならば、一種の「依存症」と言っていい。

そして、長く生きていると長くなった過去の記憶のすべてが、「依存症」の対象となるわけだ。

人生のあれこれがたくさんあればあるほど、過去「依存症」になるリスクが高まるのかもしれない。笑。

年をとると時間が早く過ぎると感じたり、昔のことは覚えているが、最近のことは覚えてなかったりするが、その原因は、今の時間に゛昔を振り返る時間゛が食い込んでしまっているからではないか?

そんなことまで思ったりする。

人の過去の記憶は今を良いものにするためのツールとして有効だが、過去を愛でたり、過去を恨んだりするだけでは、今を生きているとは言えない。

人は過去に生きることはできないのだ。

そしてまた、未来への過剰な心配も、ほとんどが心配してもどうしようもないものばかりなのにもかかわらず、それでも止められないならば、これも「依存症」と言っていいだろう。

※一般的には、心配性。

「タイパ」をよくするには、過去や未来への「依存症」を抑えて、今を取り戻すことがひとつの方法だと納得する。

主導権を取り戻す

「依存症」と言えば、もうひとつ思い出すのが、空海。

空海の教えに「心、外にあればすなわち心にあらず」というものがある。

これは、他人の目を気にしている間は、自分を生きていないという意味合いで、そんなんでは自分を他人に引き渡して、他人の機嫌に支配されて生きることに等しい、という。

確かに、人は周りに気を使って生きていて、それができる人は、良い人、優しい人、できる人と評価も上々なわけだが、それだけで終わる人生というものは、何と生きづらいんだろうか?

主導権を外に渡たさずに、自分に主導権を取り戻すべき、ということに大いに賛同する。

ありのままを眺めると、人は周りのことに終始反応して生きているという、至極当たり前なことに気がづく。

雨が降れば憂えて、ニュースをみては何でそんな事件が起きるんだ、と憂える。

人に嫌なことを言われては気が塞ぐ。

これは何も嫌なことだけに限らない。

好天や良いニュース、あるいは褒められることで上機嫌になる。

とにかく世の中の出来事に、いちいち反応して生きている。

これは環境適応というDNAに備わったものではあるのだろうが、その情報量によって、交通手段の発達によって、忙しく過剰に働いているんではないだろうか?

空海の言葉によって、この当たり前のことがナンセンスに見えてくる。

周りへの反応はどこまでも無限に続き、それでいてどこまでいっても満たされない・・・。

このような周りへの反応もまた止められないならば、「依存症」であると言っていい。

そして、この周りに反応をし続ける時間がまた、「タイパ」を悪くしていると言わざるを得ない。

「依存症」から脱却する

「依存症」が「タイパ」を悪くするについて2例ほど上げてみたのだが、ではなぜ人は「依存症」になるのだろうか?

不安からの頑張り過ぎ、執拗なまでのこだわり、変化を嫌い安定を求める、苦痛からの解放、あるいは、DNAに備わっている環境適応・・・。

いろいろな要因が絡まっているのだろうけど、必ずしも本人に「依存症」の自覚があるわけではないことが、面白いことであり、怖いことでもある。

自分は、周りへの反応を「依存症」と呼べるとは思っていなかったし、それを聞いても共感できる人はほとんどいないだろう。

武勇伝を繰り返すのも、立派な「依存症」笑。

止められないのであれはすべて「依存症」なのだ。

「依存症」は日々の習慣の中に埋もれていたりする。

習慣にはいい習慣もあるから「依存症」であることが余計にわからない。

しかし、瞑想というものがもてはやされるようになったことで、逆に習慣の中にある「依存症」を浮き彫りにすることができるようになったと感じる。

瞑想は何も考えない時間だから、過去や未来や今の周りのこと、これらすべてへの思考を止める行為とも言える。(厳密には、一点だけに意識を当てるというのが多いようだが。)

だから、逆に瞑想をした時に思考を止められずにどこまでも湧いてくるならば、それが「依存症」の表れであり、湧いてくる思考が「依存症」の中身。

瞑想というものを取り入れなければならなくなった現代人は、総じて何かの「依存症」だと言っていいのかもしれない。

人生、立ち止まれないならばそれはもはや「依存症」。

自分の意志で立ち止まらないことを選択してるんだ!と人は主張するだろうけど。

そして、瞑想が上手くできれば、それは「依存症」脱却の特効薬となるかもしれない。

・・・・・

ある人のSNSの投稿が目に飛び込んできた。

「家族が大事、お金が大事、仕事が大事、が刷り込まれれば皆の言いなりの奴隷、大して重要でないことを大げさに意味付けして生きる、それが奴隷。」

なかなか過激な言葉だが、空海の言葉と共通点を感じた。

これらも止められないならば、やはり家族依存、お金依存、仕事依存ということが言えるのではないだろうか?

「依存症」というものは、何に対しても起こりうるもののように感じる。

もちろん、こだわって同じことを繰り返して生きることは、人生の醍醐味のひとつではあるし、多少の「依存症」があっても特に問題はないだろうけど、止められなくなっているならば、既に「コスパ」は悪い。

さて、今回ここまでヒントを得て納得した「タイパ」を良くする方法は、一般的な「タイパ」を良くするとは毛色が異なっていて、拍子抜けした人がいたかもしれないのだが、それでもこれは究極の「タイパ」アップ法なのではないか?

手前味噌に、そんなことを思って私はひとり悦に入る。

これは、周りからの評価をいただくためのものではない。

勝手な思い込みではあるが、これは自分の主導権下のものだ。笑。

そして私の過去を振り返る。

ここまで私が「タイパ」を気にするのは、これまでの私の人生の「タイパ」が悪かったと感じているからで、その反動によるものなのではないか?

ああ、なんて私は無駄なことをやってきたんだろうか・・・。

おっと今が、過去に時間が奪われてしまった!

ある人のこんな言葉が浮かぶ。

「タイパ、タイパと若者が言っても、まだ経験が浅い若者が言うタイパの良いことは、無駄ばかりなんだから大丈夫。ドンドンやればいい。」

そう、無駄をやらないと「タイパ」なんてものはわからない。

この言葉に少し救われて、今に向き直って生きる。

UnsplashMehdi Mirzaieが撮影した写真

【著者プロフィール】

RYO SASAKI

「コスパ」いいことで、浮いた時間を何に使うのか?これこそが人生の醍醐味ですね。

工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。

現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。

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