先日、私の知り合い何人かにとある「頼み事」をした。
この頼み事がきっかけとなり、私は「人を信頼することが得意な人」ほど成長できる理由が、ようやくわかったという話したい。
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実は今、秋田県が新しいお米のネーミングについて「一般公募」をしており、最優秀賞には100万円の賞金が出る。
もちろんお米ももらえる。
5月1日の時点で、11万件もの応募があり想定を遥かに超えているそうだ。
このリリースを見つけた瞬間「応募してみよう」という気持ちがムクムクと湧いてきたため、ステイホームの時間を使って真剣に企画することにした。
私が今まで得てきた知識と経験を総動員させ、個人的にはかなり満足のいく作品をつくることができた。
「これはなんだかいけそうな気がする」
自信はあったのでこのまま応募をしてもよかったが、「どうせ出すなら最優秀賞を狙いたい」といった下心が出てきてしまった。
そこで、第三者から「企画内容についてどう思うか意見がもらえないか?」と考えたのだ。
これが「頼み事」に至るまでの経緯である。
今まで頼んで来なかったことを後悔している
企画は、応募用のフォーマットをはみ出るボリュームになってしまったが、どの人も内容をしっかり読んでくれた。
その上で、
「いや、とってもいいと思う!」
「意味もいいし、音もいいし、お米感もある!」
「ロジックもいいし、コンセプトとのつながりもいいと思いました!」
といったように非常にポジティブな反応を送ってくれた。
さらに、
「この表現を「〇〇」に変えたらもっといいんじゃないかな?」
「最後まで読んでもらえるかが心配なので、最初の説明文で勝負決めたいですね!」
など、企画よりよくするためのアイデアをいくつも出してくれた。
自分の企画により自信が沸き、頼んで本当によかった。
今までは、
こうした個人的な取り組みについては「仕事でもないし、こんなこと聞いたら迷惑なんじゃないか」といった考えが先立ち、第三者に見てもらうようなことは控えてきた。
自己責任として最初から最後まで自分の中だけで完結させてきたわけだが、今では頼んで来なかったことをとても後悔している。
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なぜならば、頼むことで「企画のクオリティを上げることができる」ことと、「「これどう思う?」と意見を求めることができる関係性がもたらしてくれる幸せ」を手放してきてしまったからだ。
同時に「人を信頼する力を育む機会」も放棄してしまっていた。
要するに「自分を成長させることができる機会を手放してきた」ということだ。
一般的には、自分の力で何かを成し遂げることはすばらしいこととされ、他人に頼ることはあまりよく思われない。
私も今まで、頭の中の大部分で「人になるべく頼らないようになることが大人である」という強い固定観念を持っていた。
しかし、この世界ではきっと、自分の努力や労力を直接的に省くために他人を頼るのでなければ、他人に頼るのも悪くないのだ。
「誰かに頼る」ことは大事なこと。
もっと「人を信頼していきたい」と切に感じた。
「信頼」と「安心」の本質的な違いを知る
ここで「信頼」について、解像度を上げたいと思い一冊の本を読んだ。
その本は、北大の名誉教授だった、社会心理学者の山岸俊男氏の「安心社会から信頼社会へ」だ。
初版が1999年とだいぶ前に発売されたものだが、「信頼」について本質的な視点を備えることができる非常に質の高い良本だった。
アメリカ人は、日本人よりもずっと、他者に対する信頼感が強い。
アメリカ人よりも、日本人のほうがよほど、個人主義的。
本の序盤から一般常識をくつがえす研究結果が目を惹く。
この本の中で山岸さんは「信頼」を次のように定義している。
信頼は、自分が相手に裏切られるかもしれない状況の中で、相手の人間性ゆえに、相手が自分を裏切らないだろうと考えること。
そして、山岸さんは信頼と対になる概念として「安心」をあげている。
安心は、自分が相手に裏切られるかもしれない状況の中で、相手の損得勘定のゆえに、相手が自分を裏切らないだろうと考えること。
「信頼」は「相手が自分を裏切るかもしれない」という社会的不確実性を残したまま、相手に期待を持たなければならない。
しかし「安心」は「システムやルールあるいは約束事」などによって「相手が自分を裏切るかもしれない」という社会的不確実性を大きく減らしている、ということであった。
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例えば、「婚姻関係」を結んだ夫婦において、「よほどのことがない限り私を裏切ることはないだろう」と相手を信じるのは「信頼」ではなく「安心」だ。
二人の間に、婚姻というシステムによる関係性ができあがり、そのシステムの上で「安心」に依存してしまうと、相手の気持ちに対していつの間にか鈍感になっていってしまう。
その帰結として、見えていたものが見えなくなりトラブルになってしまう。
夫婦間問題の根底にあるのは大半はここではないだろうか。
また、マフィアのボスは部下との間に「裏切った場合には直ちに処刑される」という「鉄の掟」を交わしているため「よほどのことがない限り部下は自分を裏切らないだろう」と信じることができる。
この場合も、ボスが子分に持つのは「信頼」ではなく「安心」だ。
2019年5月。
「痴漢で一番悪いのは満員電車ですよ。状況が人の行動を決めるんです」
という内容のつぶやきで、議論を生んでいた広島修道大学の「中西大輔教授(社会心理学)」も、この本を読まれているような内容のツイートを以前していた。
三蔵法師にとっての、孫悟空の頭の輪っかも「信頼」ではなく「安心」。
つまり「安心」とは、直接人を信じなくても「仕組み」によって成り立つものなのだ。
逆に「信頼」とはその字通り「人を信じている」からこそ、成り立つもの。
人間関係を、「信頼」をベースにした場合と、「安心」をベースにした場合とで分ける山岸さんの解釈はとても本質的で、鋭い視点だ。
特定の相手との「安心」に依存していると「信頼」する能力が育たなくなる
さらに、この本の中には他にも重要なことが示されていた。
それは、
特定の相手との「安心」に依存していると「信頼」する能力が育たなくなる。
という部分だ。
例えば、一般的に、子供にとっての親は「安心」する存在になる。
しかし、この「安心」に依存し続けていると「この人はどの程度信頼できるのか?」といった感覚が育たず、子供は外の世界に出ていく機会を失ってしまうという。
実際、山岸さんが行った実験によれば、
特定の相手との「安心」に基づく関係を形成すると、関係外部の人間に対する信頼感はむしろ低下することが示されており、
ますます閉鎖的になっていく、ということがこの本の中で示されていた。
消化器外科専門医で、Yahoo!ニュース個人オーサーでもある「山本健人さん」がとても興味深いツイートをしていた。
これは本当にそうだと思う。
「安心」を繰り返し、SNSという特定の「安心」に依存してしまうと、山岸さんが言うように、関係外部の人を「信頼」する能力が育っていかない。
SNSがこのような「安心」の生成装置として機能している部分があるとすれば、「信頼」によって成立する社会にとっては邪魔な機能にも見えてくる。
SNSとはおそらく「付かず離れずの付き合い」が吉なのだろう。
自立するために、複数の相手との「安心」に依存する
しかし、人間はどうしても「安心」に依存しなければ生きていけない動物だ。だからこそ、誰もが「安心」に依存するのは当然と言える。
かくいう私もだ。
しかし、前述のとおり、特定の相手との「安心」に依存しすぎてしまうと、「信頼」する能力が育たなくなってしまう。
ではいったいどのように「安心」に依存すればいいのだろうか?
これについては、東京大学 先端科学技術研究センター准教授の熊谷晋一郎先生の「自立」の考え方が大変参考になる。
「自立」とは、依存しなくなることだと思われがちですが、そうではありません。「依存先を増やしていくこと」こそが、自立なのです。
これは障害の有無にかかわらず、すべての人に通じる普遍的なことだと思います。
熊谷先生は、依存先が多様に確保されているとき、人はさも「何にも依存していない」かのように感じられる、と言う。
そして、この状態こそが「自立」なのであり、それは決して何にも依存していないことではない、ということだ。
つまり、一般のイメージとは真逆で、「しっかりしている人よりも、甘えられる人の方が自立する」ということになる。
ここで押さえておきたいことは、特定の相手との「安心」に依存するのではなく、複数の相手との「安心」に依存するという術だ。
そして、依存できる「安心」先を増やして、それぞれの依存度を低くすれば特定の「安心」に依存することを防ぐことができるということ。
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以前勤めていたマーケティング会社で新入社員のときに、
「頼れるパートナーを社内も、社外もとにかく増やしておくんだぞ」
と上司に教わった。
その当時は言われるがままに頼れる人を増やそうと必死に動いていたが、
仕事をしていてもそれほど不安にならなかったのは、依存できる「安心」をとにかく増やしたことで「自立」することができていた、からだと今思う。
「人を信頼することが得意な人」ほど成長する理由
そして、複数の「安心」できる依存先を持つためには、山岸さんのいう関係外部の人間を「信頼」する能力が必要不可欠だ。
この能力が高ければ高いほど、「安心」に依存している人よりも、外の世界に出ていける機会を増やすことができる。
外の世界で多くの人や事象と出会い、その分の「経験」が積める。
この結果として「安心」できる依存先が増え「自立」もする。
人を信頼することが得意な人ほど成長する理由が、ようやく分かった。
「安心」は、社会的不確実性を回避するためには間違いなく有効な手段だ。
ですから「安心」に依存して何が悪いんだ?という方もたくさんいると思う。
しかし、この「安心」に依存すればするほど、実験の結果も出ているように、外の世界に出ていく機会は減っていってしまう。
関係外部の人を「信頼」することができなければ、
新しい出会いの機会、企業連携の機会、外部パートナーとの協力関係の機会、転職の機会、副業の機会など、様々な機会を逃してしまうだろう。
もしあなたが「このような人が成長すると思いますか?」と聞かれば、おそらく「ノー」だと答えるのではないだろうか。
この社会の中に「機会」は間違いなくある。
しかし、これらの機会を上手に得るためには「信頼」する能力が必要不可欠。
今から10年以上も前に、独自に実験を積み重ね、その理由を明らかにしていた人がいたことに尊敬の念を抱かざるを得ない。
そして「これからの社会は今よりもさらに「信頼」する能力が必要とされるだろう」と肝に銘じておきたい。
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【著者プロフィール】
田中 新吾
プロジェクトデザイナー/企業、自治体のプロジェクトサクセスを支援しています/ブログメディア(http://ranger.blog)の運営者/過去の知識、経験、価値観などが蓄積された考え方や、ある状況に対して考え方を使って辿りついた自分なりの答えを発信/個人のプロジェクトもNEWD(http://ranger.blog/newd/)で支援
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