「待つ」という時間をどう過ごすか。
こないだTLにこんなツイートが流れてきました。
『既読スルー』の話がとても興味深かった。
既読スルーがこれだけ嫌われるのは、待っている間に、「いやな妄想」が止まらなくなってしまうという人間の本質にかかわっている。
この「待つ」という時間をどう過ごすか、というところで、なんというか人生の豊かさみたいなものが決まるように思う。— F太🐈⬛ (@fta7) March 25, 2019
今回はここから、少し思ったことを書き残しておきたいと思います。
「待つ」という時間をどう過ごすか、ということについて。
「待つ」とは、動物にとっては高等な精神活動
そもそも「待つ」という行為は、人間にとってどういうものなのでしょうか?
昔、何かの本で読んだのですが、動物は「待つことのできる動物」と「待つことのできない動物」に分類できるみたいですね。
例えば、ネコやネズミは「おあずけ」することができません。
でも、イヌの場合は、簡単な訓練で20秒は待つことができます。
サルは一分間は待つことができるし、チンパンジーならば五分待つことができます。
そして、我々人間は様々です。
いずれにしても、動物にとって「待つ」という行為は、高等な精神活動である。とその本の中に書いてあったと思います。
「待つ」という時間をどう過ごすか
F太さんのツイートの話に戻ります。
「待つ」という時間をどう過ごすか、というところで、なんというか人生の豊かさみたいなものが決まるように思う。
ツイートの中でも、この部分がホントに刺さりました。
テクノロジーが進歩したことで、時間の制限を受けないとても便利な世の中(環境)になったと思います。
でも、その裏で「待てない」が増えているのも事実です。
昔ならば待つことができたのに、どんどん待てなくなってきている。
「待つ」という行為が高等な精神活動であるならば、このことがどういうことを表しているのかは火を見るよりも明らか。人間を動物として見ると、退化していると言っても過言ではないのかもしれません。
こんなことを前に考えたことがあったからこそ、F太さんのツイートが胸に刺さったんだと思います。
少しゆっくりした時間をつくる
「待つ」という時間の過ごし方は、「少しゆっくりした時間をつくる」ことを積み重ねることで、充実してくるものだと思うんです。
茶葉が開くのを待つ。
お茶を飲む。
コーヒーの生豆を煎る、豆を挽く、お湯を沸かす、お湯を注ぐ。
酒を酌み交わす。
季節を感じる。季節を食す。
家族や友人と語り合う。
本を読む。ラジオを聴く。
温泉に行く。サウナに行く。
少しゆっくりした時間というのはホントに多様なので、自分好みのものを探しては取り入れてみればいいと思っています。
こういうゆっくりとした時間が似合う人って、なんかだかとてもカッコいい思いませんか。少なくとも僕はそう思います。
今の世の中を生きていると急ぐことばかりを考えてしまうけれど、個人的には『少しゆっくりした時間が似合う人』になりたい。お湯を沸かす。茶葉が開くのを待つ。お茶を飲む。酒を酌み交わす。季節を感じる。季節を食す。家族や友人と語り合う。本を読む。こうした時間のためにお金を使っていきたい。
— 田中 新吾|RANGER (@ranger_blog) October 11, 2017
今回書き残した内容(=問い)はホントに重要なテーマだと個人的には持っているので、この先もずっと頭に留めて大事にしていきたいものです。
さいごに
それと、F太さんが読まれていたこの本はすぐにでも読みたいと思っています。
NHK「おはよう日本」で、「若手社会人の参考になる本」として紹介されていたみたいですね。
それでは今日はこの辺で!
いつもこのブログを読んでくださっている方々にとって、何かしらの参考になったら幸いです。