本当にストーリーが大事なのか?
人はストーリーに感動し、ストーリーに敬意を表す。
ストーリーが持つ力は大きく、ストーリーは大事と思う。
ストーリーは本来ほとんどの物事に宿っている。
したがって、世の中にあるもので物語れないものはほぼないだろう。
ストーリーを発見し、物語る誰かがいて、私たちはそれをストーリーとして認識し感動したりしている。
つまり、物語る人の分だけストーリーは存在する。
これは物事の裏に潜む論理は一つでも、その物事に対する「論理的説明」は人の数だけあるというのと同じである。
最近、見かける商品サイトには漏れなくストーリーがついている。
人がストーリーに触れられる機会が増えることはいいことだと思う派なので、この潮流には大賛成だ。
だが、人はすべての物事のストーリーを求めているわけではないし、感動の薄いストーリーは求めていないし、別にストーリーがなくとも、その物事に価値を感じる場合はよくある。
なんかもうそろそろ「ストーリー」とか「背景・意味のあるモノコト」とかちょっとしんどいなーと思うこともある。そこ、そんなに知りたいとか思ってないから、ってときない?
— カナエナカ (@fm503_) May 6, 2019
全部想いの詰まったものとして受け取るの重たくてしんどいなあと。
直感にビシッと刺さる「いい!」が欲しいときもある。
重要なことは、ストーリーが大事というのはそうなのだが「ストーリーよりも大事なこと」があるという前提を外したらいけないということなのだと思う。
ストーリーよりも大事なこと、それは「価値が伝わる」ことである。
要は、ストーリーがなくとも価値が伝わればそれで万事OK。
結局、ストーリーというのは価値を伝えるための一つの手段でしかない。
その物事のストーリーに圧倒的な面白さや感動ポイントがあるのであれば、それを物語ることが価値を一番伝えられる方法かもしれない。
しかし、圧倒的なスペックがあるにもかかわらず、それよりもストーリーを力強く推すのは間違いだ。
圧等的なスペックがあるならば、それがそのものにとっては一番の価値になる可能性が高い。
ゆえに、ストーリーの力を妄信して、ストーリーを押し売りするのは優秀なストーリーテラーではないと私は思う。
優秀なストーリーテラーならば、コンセプトデザインも当然できるし、その上でコミュニケーションデザインもできるはず。
令和の時代になり、平成以上にストーリーに触れる機会が増えるだろう。
だからこそ、常にそのものにとって「本当にストーリーが大事なのか?」という問いを持って生きていきたい。
この問いを持てている以上は、ストーリーよりも大事なことをきっと忘れることはないと思うから。
ストーリーは人に消費をさせるためのものであってはならない。大前提として、ストーリーは人を感動させるためのものであり、人が敬意を表すためのものであり、人が愛するためにあるべき。
— タナカシンゴ (@Shingo_tna) May 8, 2019
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【著者プロフィール】
タナカ シンゴ
■ブロガー http://tanashin.me
コミュニケーション,マネジメント,ライフハックについて発信中
■バリューディレクター http://html.co.jp/Shingo_tna
価値を定義し,価値を見える化し,価値に人が集まる仕組みを考える
■ポッドキャスター @projectsau 白湯を愉しむポッドキャスト配信中
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