田中 新吾

「男は弱音を吐くな」を美学としすぎると、逆に弱くなってしまうのかもしれない。

タナカ シンゴ

こないだ、TLにこんなつぶやきをしました。

最近、私の中で「弱さ」についての認識が変わってきたので、今回はそのことについて少し書いてみたいと思います。

「男は弱音を吐いてはいけない」というマインドセット

男は弱音を吐いてはいけない

そうやって僕は幼少期、育てられてきたのをよく覚えています。

中学、高校も運動部だったので、当然弱音を吐くことは許されない環境。

さらに、学生の時にアルバイトをしていた学習塾でも、塾長から「男は弱音を吐くもんじゃない」と教え込まれたこともあり、

つい最近まで「男は弱音を吐いてはいけない」というマインドセット(=価値観)の中で、生きてきました。

だから、弱音を吐きたい時があったとしても、吐かずに飲み込むことが当たり前。

飲み込むというか、自責として「自分を強くするための原動力」として使ってきた感じがします。

今改めて考えると、この考え方のおかげで、「自責として考える」という癖がついたような気がします。

でも、最近ふと思ったんですよね。

「もしかしたら、このマインドセットに寄りすぎたり、これを美学としすぎるのは危険なことなんじゃないか??」と。

「男は弱音を吐くな」を美学としすぎると、逆に弱くなってしまうのかもしれない

どういうことかというと、

「男は弱音を吐くな」が美学である、と弱音を吐くことを許されずに育ってきた男性が、

そのマインドセットに寄りすぎてしまうと、

その結果、どんどん「弱音を吐くことを許さない男性」になっていってしまうんだろうなと思ったんです。

そしてそれは、弱音を吐くことを許さない男性になるだけであって、強くなることとイコールではない。

むしろ、人の弱さを許すことの出来ない弱い男になってしまう可能性の方が大きいんじゃないか、と思いました。

こんな風に考えていたら、「男は弱音を吐くな」を美学としすぎると、逆に弱くなってしまうのかもしれない、という新しい考えが生まれてきたんです。

「男は弱音を吐いてはいけない」というマインドセットしかない人と、

「男は弱音を吐いたっていい」というマインドセットがある人とでは、器の広さというか、許せる範囲が全然違う気がするんです。

自分が将来なりたい人物像を考えると、取るべき選択はきっと「弱音を吐くことを許せる」方だと思うので、この気づきを引き続き心がけていきたいと思っているこの頃です。

コミュニケーションのOMG

そう言えばこの間、車に乗りながら聴いていたVoicyで、パーソナリティの澤円さんがものすごくためになることを言っていたので共有します。

『コミュニケーションにおける重要なことは「OMG」である』と言っていたのですが、これは「オーマイガット!」を指しているわけではなく、

  • OUTPUT アウトプット
  • MINDSET マインドセット
  • GIVEFIRST ギブファースト

この3つの単語の頭文字をとったものなんだそうですが、これにはとても納得してしまいました。

OMG、とても覚えやすいのでいつも心に留めておけますね。

それでは今回はこの辺で。

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