田中 新吾

夢中になれることと無理なく続けられること。

タナカ シンゴ

昨日、このようなツイートをしました。

北欧、暮らしの道具店の店長さんからも「いいね」をもらうなどビックリです。

自分の中で妙に腹落ちしているので、この方向に向かってグイグイと進んでいきたいです。

今日はこの辺の話を少しだけ。

好きで夢中になれること

好きで夢中になれることを見つけた人は、とても幸せだと思います。

なぜなら、意識して夢中になろうと思ってなれるものではないから。

そして、見つけた夢中になれることをずっと持てているひとは、精神的に本当に豊かだと思います。

僕の知り合いに「なんでもできて、その分野にやたらと詳しいひと」がいます。その人は林業、特殊伐採、みかん農家、機械修理、などなど挙げればキリがありません。

仕事は嫌いと豪語しているので、多分本当に嫌いなんだと思います。このひとはこれらのことをすべて「遊び」と言うんです。話し出すと楽しそうに喋り出し、止まらないですし、とにかくそれぞれが深く極まっています。

本当に好きなだけで、仕事とは思っていない。ただただ夢中なんだと思うんです。お酒もお金も大好き。笑いながらブラックジョークも平気で言います。

「この人は多分、とっても精神的に豊かなんだろうなあ」と見てて思います。

参考記事:夢中なことをしていない人間は終わり。

好きかどうかは別にして、無理なく続けられること

このブログをはじめて4ヶ月が経ちました。平日毎日更新を決めてからは3ヶ月です。

書いたり考えたりすることは好きですが、夢中になれるほど好きとは言い難い。

それでも、今までこうして続けてこれたことは、幾ばくかの自信に繋がっています。

「自分との約束を守れているな」こういう自信です。

そして、この続けてこれたことには理由があって「無理をしていない」ということ。

毎日更新倶楽部というSlackコミュニティに参加していて、それがいい感じの緩やかな強制力になってます。無理はしてません。無理な時は更新できないとアウト報告してますし、とても健全にやってます。

ふと「夢中にはなっていなくても、無理なく続けられることがあるとそれはそれで豊かだよなあ」と思っていたところに、このようなツイートが流れてきてハッとしました。

最所さんは「幸福度」と定義をされていますが、個人的には「豊かさ」だと思っています。まあこの辺は解釈はひとそれぞれなんでいいとしても、無理なく続けられることを持っていることのメリットは、ここに書かれている通りだと思うんです。淡々と続けることによる努力の複利がある。

参考記事:何かを習慣化したいならまず「同盟を結ぶ」といいかも。

豊かさは「楽しさの自給率」だから

夢中になれること、無理なく続けられること。

どちらにも共通しているのは「続いているという事実」です。

続けていると何がいいかって、一番は「楽しくなってくる」ことだと思っています。

夢中なれることも、無理なく続けられることも、使っているエネルギーや思考は違うけれど、結果的にどちらも楽しくなっている。

僕は豊かさの定義を「楽しさの自給率」と定義しています。

だからこそ、夢中になれることがあるひとは豊かだろうし、無理なく続けられることがあるひとも豊か。もっというと、これらの両方がもてている状態というのは本当に精神的に豊かだと思うんです。

さいごに

直近の個人的な目標は、夢中になれることを見つけること。

昔っから、手広く興味はある方ですが取り掛かっているものが「夢中かどうか?」と問われるとそこに関しては疑問だからです。

そして、毎日更新しているこのブログ、そしてトレーニングのためのランニング。など好きかどうかわからないけど、無理なく続けられることは引き続き淡々とやります。

続けていれば楽しくなる。楽しくなれば豊かになる。暫定的ですがこんな仮説を持ち、引き続き色々なことにチャレンジをしていきたいと思います。

それでは今日はこの辺で!

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