田中 新吾

情緒は人生を豊かにする。

タナカ シンゴ

僕は森が好きでその中に入ることが多いです。

木々の間から差し込む光は、森の中でしか感じることのできない特別な光。

この光のことを木漏れ日といいますよね。

木漏れ日は心身に栄養を与えてくれて、僕は直射日光よりも清く美しさを感じます。このように感じるのは僕だけではないのではないでしょうか。

ちなみに、僕たち私たちは木漏れ日と聞けば「あ、あの事か!」と直感的にイメージすることができますが、英語では一言で言い表すことができないんですよね。

英語ではどうなるかというと、「sunlight that filters through the leaves of tree.」となり「木々の葉を通過する日光」と、状況説明でしか表現ができないのです。

こういうことを知ると、日本語は美しい。そう思うんです。

情緒は道端に咲く一輪のスミレを美しいと思う気持ち

日本人は古くから情緒という感性を持ち合わせています。

情緒は「道端に咲く一輪のスミレを美しいと思う気持ち」であると天才数学者の岡潔は言いました。

こうした資質を日本人は平等に宿していて、昔の人は、情緒をうまく使いながら暮らしを豊かにしてきたと聞いたことがあります。

木漏れ日という言葉を生み出したのもきっと誰かの情緒が働いたのでしょう。

木漏れ日の他にも、嬉しさと恥ずかしさが相まってポッと顔が赤くなる状態を面映ゆいと言いますが、これも小さな感情の動きや機微を捉えた、まさしく情緒感性が働いている例と言えます。

情緒はポジティブな気持ちが起点になっているので、何かを好きと思う気持ちや愛情が必要です。目の前にある現象を切り取り、自分なりにその現象を表現してみることが情緒を働かせる第一歩。

日々、情緒を働かせようとする姿勢が、この先の人生を豊かにしてくれるのだろう。そう思って過ごすようにしています。それにしても木漏れ日という言葉は素敵だ。

Satoyamaと同様に「Komorebi」として世界に広がり、日本人の情緒に触れる機会が増えればいいなと思う今日この頃です。

さいごに

こないだ、森の中に最高に楽しそうなところを見つけました。

このゴーカート場は、住んでいるところから1時間圏内にあって奥深い森の中にあります。休日は賑わうようですが、平日はこのようにほぼ貸切り状態。

都市でこういう遊びはできないよなあとしみじみ思ったのでした。

それでは今日はこの辺で!

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