田中 新吾

私はなぜアウトプットをするのか。

タナカ シンゴ

なんでそんなにアウトプットしているんですか?

こないだ会ったひとからこんな質問をもらいました。

「そんなに言われるほどアウトプットしているかな?」と思ったのですが、Twitterのみならず、ブログやnoteまでも書いているところがそう思った理由らしいです。

質問に対して、私の口から出たのはただ一つでした。

んー「考えたい」から、ですかね。

ふと自然に出たのですが、本当にこれに尽きるなと今改めて思っています。

今日はこのことについて少しだけ。

考えたことを書くのではなく、書くことで考える。

いつもこんな感じで書いているブログですが、考えたことを書いていません。

もう少し正確に言うと、ちょっとだけ考えたことをタイトルやアウトラインにして、それを出発点に書いている感じです。

だから、書きはじめた段階ではその中身や結論がどんな感じになるのか自分でもよくわかっていません。

私は書くという行為が持つ価値の中でも、考える・発想することをサポートしてくれるという側面は欠かせないと思っています。

考えたことを書くのではなく、書くことで考えるんです。

書くことを止めずに書きながら考えていると、自分の考えが発散したり深まって、ぼんやりと考えていたものの輪郭がはっきりしてきます。

そうして一通り書き終えた文章には妙に納得感があります。

それは多分、書きながら考えたことで、もがいたからだと思うんです。

参考記事:自分の納得感を一番に考える。

ブロガーの読書猿さんが「アイデア大全」の中でも紹介しているノンストップライティングは、考える・発想を生むためのライティング手法です。

最近はこんな書き方で書いているーフレームド・ノンストップ・ライティング

遠慮して書くのを止めてしまうのではなく、とにかく書ききる。

書いているうちに発見もあるし、後から書いた文章を見直すと客観的に思考が確認できたりするというもの。

話すことで考えるのも好きだし、本を読みながら考えるのも好きです。

でも、やっぱり書きながら考えるのが一番好き。

「話す」も「書く」も「精神の排泄行為」

先日たまたまTwitterを眺めていたら面白いツイートを目にしました。

さすが元博報堂のコピーライター牧野さん。

排泄行為だからクソでもいいと。

これに救われた人は結構いるんじゃないかな。

書くとスッキリもする、考えることもできる、こう考えると、書くことってより良く生きるための最も有効的な方法なのでは、とも思えてしまいます。

さいごに

考えるのが好きだと、どうしても哲学という言葉にも反応してしまいます。

少し前に知った哲学者の池田晶子さんの、哲学とはがとても哲学的で驚きました。

言葉で脳天から粉砕するのが哲学って、すごすぎませんか。

それでは今日はこの辺で。

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