田中 新吾

自己肯定感が低くても幸せ。

タナカ シンゴ

どうも、田中新吾(@Shingo_tna)です。

巷ではタナシンとも呼ばれています。

平成から令和になり、新たな目標を掲げたり、心機一転何かを始めたりするひとをちらほらと見かけます。

便乗するように僕も早速一つ決め事をしました。

それがこちらです。

令和の時代は「自己肯定感は低いですが幸せです」と胸を張って言えるようにしたい。

今日はこれについて少し書き足しておきたいと思います。

自己肯定感を高めるのは難しい

僕はどちらかといえば自己肯定感はかなり低く、自分のことも好きではありません。

自分クソだなー」とよく思います。

 

なんで自分のことを好きではないのかという理由は、なんだかんだ言って損得で考えているとか、実行力に乏しいとか、自分に甘いとか、他者に欲求を押し付けがちとか、色々あります。

そもそも人って、他人のいいところを見ることはできるんですが、自分になるとどうしても性格の悪さや意地の悪さなどを見てしまいがち。

だから自分のことを好きになり辛いのかなと思っています。

 

そして、「自分ができる」とか全然思いません。

自分が今できることは、他の誰かから教えてもらってできていることがほとんどだからです。

自分の外にあるノウハウや方法論を使わせてもらっているという感覚が強く、間違っても「自分ができる」とは思えない。

たとえ生まれもったものがあったとしてもほんの数%程度じゃないかと。

という感じに自己肯定感が低いです。

 

でも、周囲の反応からさすがに自己肯定感が低すぎるのかも?

と思うことがあったので「自分の好きになれそうなところを探す」という感じに自己肯定感を高めようとする努力はしてきました。

例えば、昨年挙げた結婚式の締めのスピーチで、「今日という時間を通して、ゲストの皆さんを好きだと思える自分が好きということに気づきました」と話していたことは今でも鮮明に覚えています。

この言葉に嘘偽りはなくその時の僕の本心です。自分の好きだと思えるところが見つかった瞬間でした。

 

ただ、いくら好きだと思えるところを探したとしてもやっぱりインパクトは嫌いなところの方にあるので、総体として「自分のことは嫌い」となってしまう。だいたいこのループに陥ってます。

ということで「やっぱり自己肯定感を高めるのは難しい」と思い、平成から令和に時代も変わったことですし、これを機に無理はしないことにしました。

自己肯定感が低くても幸せ

生きていると「自己肯定感が低いと幸せになることができない」とか「自己肯定感が低いと行動できない」という論を耳にしますが、それとこれとは正直別物だと思うところがあります。

つまり「自己肯定感が低かろうと幸せになることはできる」し「自己肯定感が低かろうと行動できる」と僕は思うんです。

 

例えば、僕はすこぶる自己肯定感が低いわけですが「幸せですか?」と聞かれたら「幸せです」とちゃんと言えます。

「幸せ」は、相対的な概念なので当然「より幸せ」という状態が存在するわけですが、そうだとしても今が「幸せです」とはっきり言える。

 

この背景には、一緒に居たいと思える人と結婚することができ、暮らしていることや、日々触発される人や物事に出会うことができていること。面白いと思える仕事ができていることなどがあります。

 

こんな感じで、行動に関しても「自己肯定感が低かろうと行動できる」と言えると思っています。

なんとなく「自己肯定感を高めた方がいい」という空気が社会に充満してきているように思いますが、これはあくまで幸せになるためや行動するための一手段でしかないはず。

 

ということで、令和の時代は無理に自己肯定感を高めるようなことはせず、「自己肯定感が低くても幸せ」という状態を目指していきたいと思います。

さいごに

ちなみに、自分のことが嫌いだから、こんな自分を好きでいてくれる人に心から感謝の気持ちが生まれてきます。

そして、自分をいいと思っていないので、こんな自分のことを「いいね」とか「流石ですね」と言ってくれる人を本当に大切にしたいと思えます。

これも幸せなことだと思うんですがどうなんでしょうかね。

元ネタはこちらのツイート。

今日のお話が何かしらの参考になったら幸いです。

それでは今日はこの辺で!

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