田中 新吾

「豊かさ」が側にあると「危機意識が根付きにくい」という問題について。

タナカ シンゴ

この間、ずいぶん久しぶりに日中の新宿を訪れる機会があった。

約束まで少し時間があったため、駅周辺の変化を知ろうと思いプラプラと散策していたのだが、その時私が強く感じたことは「この場所にいると、日本で人口が減っていることを情報としては知っていても、危機意識としては根付かないのだろうな」というものだった。

誤解を恐れずに言えば、

見渡す限りそこら中に人がいる。

邪魔だと思ってしまうくらい人がいる。

子供を連れた家族も沢山いて「少子化?どこが?」と思ってしまう人がいてもおかしくはないのではないだろうか。

しかしながら、厚生労働省の統計によれば明らかに人口も子供の数も減っている。*1

<日本の人口>

<日本の出生数>

見ての通りの減り方だ。

では情報としては知っていても、危機意識としては根付かないとつい思ってしまったのはなぜなのか?

それは思うに、日中の新宿(都市)は「人」という側面において、いまだに「豊かさ」を感じられるからではないか?といった考えが頭を巡ったからだった。

「豊かさ」とは何なのか?

ここで「豊かさ」とは何なのか?について自分自身のためにあらためて考えてみた。

参考までにまず巷を賑わせるChatGPTに聞いてみた。

Q:「豊かさ」とは何ですか?

GPT:「豊かさ」とは、物質的、精神的、文化的な面での充実感や満足感を指す言葉です。

一般的に、経済的な成功や物質的な豊かさが最初に思い浮かぶかもしれませんが、それだけではありません。豊かさには以下のような様々な要素が含まれます。

物質的な豊かさ:経済的な安定や物質的な充足感。例えば、十分な収入や財産を持っていること。

精神的な豊かさ:心の平和や幸福感。例えば、自分の人生に満足していることや、ストレスや不安が少ないこと。

健康的な豊かさ:身体的・精神的な健康。例えば、病気や怪我が少ないことや、メンタルヘルスが良好であること。

社会的な豊かさ:良好な人間関係やコミュニティ。例えば、友達や家族との良好な関係や、地域社会への貢献など。

文化的な豊かさ:教養や芸術、文化への理解や愛着。例えば、文学や映画、音楽などへの興味や、歴史や伝統への尊重など。

これらの要素がバランス良く存在することで、人々は「豊かさ」を感じることができます。各個人の価値観や優先順位によって、重視する豊かさの要素が異なることがあります。

以上のような回答をChatGPTからは得ることができた。

経済的な成功や物質的な豊かさ、それだけではないよという異視点の提示とそのカテゴリー分けは無難だが納得いくところがある。

豊かさの定義は「必要とされる以上のものを持っていること」。

私たちが必要とするものは一人ひとり違っていますから、豊かさの状態も一人ひとり違っていることになる。

リズ・ブルボー著「お金と豊かさの法則」にはこう書かれていた。

「豊かさとは何か」の著者、暉峻淑子さんが本書の中で紹介していたドイツでのエピソードも個人的には印象に残っている。

私は、西ドイツに滞在中、それまで思ってもみなかった「豊かさ」を教えられ、ハッとしたことがある。

ある朝、森を通って仕事に出かけたとき、休暇をとった中年の男性が、森の中の籘椅子にねころんで、ただじっとしているのに出あった。

夕方、帰りにその森を通ると、同じ人が同じようにじっとしている。

なんとなくおかしくて私は声をかけてみた。

「あなたは一日中そこで何をしているのですか?」その答えは次の通りだった。

「人間は能動的に、なにかに働きかけ、仕事をしているときも、得るものがある。

しかし、目的に向かって一所懸命に何かをしているときは、周りにあるものは目にはいらない。こうして何もしていないと、小鳥の声、風のそよぎ、落葉の音、陽の光、そういうものが、黙っていてもきこえ見えてくる。

受身で、自分をカラにして受けとることもまた豊かだ。

私はこうして時々自然と対話をし、交流して、イメージをいっぱいにして都市に戻る。

自然と共に生きること、支え合い与え合うこと、平和のこと、子孫に残す社会のことなどを、身体でかんじ、自分のものにするのです」それは、生きかたの豊かさ、フロムの言葉でいえば「持つことか、在ることか」というありかたの豊かさのように思われた。

何かをすることと同時に、何もしないことの価値がみとめられているのも、また豊かではないか。

これらを思考の材料にしながら、私なりの平易な言葉で「豊かさ」を定義するとするならば以下のようなものになる。

豊かさとは、何かがたくさんある状態。

「何か」には様々な事物が入る。

モノ、自然、情報、スキル、お金、表情、友達、選択肢、快適、便利、スピード、自給率、地域でいけば人、など。

西ドイツの「何もしない時間」もここに入れることができるだろう。

そして、その豊かさに対して実際に「豊か」と感じるかどうかは、各個人の価値観や優先順位によってバラツキが出るという具合だ。

戦前の日本の貧しさ、戦時中の飢えを知る人たちが、命にとっては「モノ」と「金」が大事であるとして「モノと金の豊かさ」に夢中になってきた、という話はこれまでに何度か耳にしたことがある。

この時代精神が完全に消え去ることはまだまだ無いにしても「豊かさ=モノと金がたくさんある状態」というところから脱却しつつあるのが現代といったところだろう。

「豊かさ」に孕む問題

「豊かさ」の裏返しの概念は「貧しさ」。

貧しいよりは豊かな方がいい。

こう考えるのは人間であれば自然なのだと思う。

しかしながら、そうやって追い求めている「豊かさ」にも「問題が孕んでいる」ということは、よりよく生きる上で熟考に値するテーマではないだろうか。

少なくとも私はそう思う。

例えば、誰かにとっての豊かさが私にとっての豊かさとは必ずしもないわけだから、誰かが求める豊かさを同じように追い求めていたら実はそうでもなかったなんて話はよくある。

最近、SASAKIさんが書いていた記事のように「豊かさ」によってはそれが側にあると「ストレス」になる場合があることだって直感的によくわかる。

このように字面だけ見れば、ポジティブ要素満載な「豊かさ」という概念の中にも実は問題はしっかりとある。

そして「豊かさ」が側にあると危機意識が根付きにくい、はその問題の一つというのが現在の私の考えだ。

例えば、冒頭の「日中の新宿には人の豊かさがあるので、人口が減っているという危機意識が根付きにくい」といった話。

登山アプリを提供する株式会社YAMAPの代表春山さんが同社のメディアで興味深く、かつ大変共感できることをおっしゃっていた。*2

日本に暮らしながら思うのは、「この国は本当に自然が豊かな場所だ」ということです。

いろとりどりの四季がめぐり、季節ごとの自然の恵みも多い。

木を植えたら成長し、いろんな植物が放っておいても繁茂する。

これほど豊かな土地は、地球上でも非常にまれです。

けれど、風土が豊かだからこそ、日本には環境への危機意識が、根付きにくいんじゃないかと思うんです。

つまり、日本の自然環境の回復力が凄くて、環境が豊かなことを当たり前と感じてしまってはいないか。

そこを危惧しています。

日本の人は本当の意味で、日本列島が育む自然の豊かさを実感できているのか、少し懐疑的なんです。

この話を知った時、私は本当に強く膝を打ってしまった。

風土の「豊かさ」が側にあるからこそ、日本には環境の危機意識が根付きにくいと。

しかし現実には、気候変動に起因する海面上昇により国自体が水没してしまう恐れのある「ツバル」が、デジタル国家をメタバース上に作る計画をCOP27で発表していたりする。*3

以前、読んだ本の中に「地球温暖化に人類が関与していることを示すデータは山ほどあるのに、世界の50%がそれを信じていない」という言及もあった。*4

最近、社会派ブロガーのちきりんさんがVoicyで「これからは環境問題について鈍感だとやばい」と言うお話をしていたが、鈍感になってしまうのも春山さんの話もふまえると非常に納得がいってしまう。*5

「豊かさ」が孕む問題として、この「豊かさが側にあると危機意識が根付きにくい」というものは、これから結構大きな問題になってくるのではないだろうか・・・

そんな風に私には思えてならない。

「豊かさ」から離れて「豊かさ」のない環境に身を置く

しかし、こういった問題意識はあれど、実際にこの問題を解決するのは非常に難しいことだとも思う。

それは私ふくめ人類は全員「環境の奴隷」だからである。

ちなみに、ここで取り扱う「環境」は、前出の「自然環境を指す環境」よりも広義の「人間を取り巻くまわりの状況」という意味での環境である。

思うに、「環境の奴隷」という言葉には大きく二つの意味がある。

①人間はいかなる努力をしようとも「環境」には逆らえない。

②「環境」を利用することでなりたい自分に近づけることができる。

②の方は、最近近畿大学の卒業式でサッカー元日本代表の本田圭佑さんがスピーチで「環境を選べ」と言っていたことであるし、時間配分、住む場所、付き合う人を変えよ、という有名な話もこれだ。

そして、今回取り上げた「豊かさ」も言ってしまえば一つの「環境」であり、置き換えて考えることが可能なのだろう。

つまり「豊かさの奴隷」ということである。

①人間はいかなる努力をしようとも「豊かさ」には逆らえない。

②「豊かさ」を利用することでなりたい自分に近づけることができる。

こう考えると「豊かさの奴隷」なのだから、危機意識が根付かないのも仕方がないとしか言えないのかもしれない。

ではこの状況をふまえた上で、もしも危機意識を持ちたいと思うならばどうすればいいのだろうか?

色々と複雑に考えもしたが結構シンプルなところに行き着く。

「豊かさ」から離れて「豊かさ」のない環境に身を置くようにすればいい。

そうすれば誰でも嫌でも危機意識は根付くのではないだろうか?

これまで基本的に自分自身のことは棚に上げて思うことを書いてきたが、私だってやっぱり「豊かさ」に囲まれているわけで、環境問題にしても人口問題にしても危機意識は根付いていないと思わざるを得ない。

根付いているのならば、強度のあるアクションしているはず。

しかし、少なくとも何も考えていないわけでなく以上のような問題意識はあり、だからこそ人がいない地域にもできるかぎり足を運びたいと思うし、環境問題を身体で感じられる現場・地域にも足を運びたいとも思う。

この先も「豊かさ」を感じていると思った場合は、できるかぎりその状態を良しとせず、豊かさを感じているからこそそれに対して向き合って丁寧に考えることをしていきたい。

それによって自分にとって大切な新たな気づきを得れられるかもしれないから。

*1:出生数80万人割れ!データで見る人口減のヤバさ

*2:日本の山を豊かにする、修験の極意とは|「千日回峰行」満行者の塩沼亮潤さん②

*3:島国が消えゆく遺産を守るためにメタバースに注目

*4:事実はなぜ人の意見を変えられないのか-説得力と影響力の科学

*5:「環境問題に鈍感」なままでは生き残れない時代へ

UnsplashTakashi Watanabeが撮影した写真

【著者プロフィールと一言】

著者:田中 新吾

プロジェクトデザイナー|プロジェクト推進支援のハグルマニ代表(https://hagurumani.jp)|タスクシュート(タスク管理術)の認定トレーナー|WebメディアRANGERの管理人(https://ranger.blog)|「お客様のプロジェクトを推進する歯車になる。」が人生のミッション|座右の銘は積極的歯車

「豊かさ」とは良いものなのかそれとも悪いものなのか、これも統一的な答えのない問題の一つなのだと思います。

●X(旧Twitter)田中新吾

●note 田中新吾

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