異物が交わり新たなものが生まれる。これこそが喜びである。~福岡旅より~
久々に福岡に旅行することになった。
キッカケは糸島に引っ越した友人にお誘いいただいたことだった。
短い間だったがとにかく楽しい旅だった。
そしてまた、振り返ってみると濃厚で不思議な旅でもあった。
なぜ楽しかったのだろうか?
旅の全日程が晴天だったのだが、そのこと同様に偶然の巡り合わせ、ただのラッキーだったのかもしれない。
でも、それだけだったのだろうか?
自分が引き寄せた面が全くないとは言えないかも、とも思う。
そんな不思議な旅で起きたこと、旅から感じたことをとどめておきたいと思い、PCに向かい始めた。
次回もこのような楽しい旅になる方法が見つけられればいい、などと都合の良いことを考えながら・・・。
次々にお誘いいただく街 博多
博多の人気もつ鍋屋は、平日の夕方18時で既に満席でお一人様でも入店できなかった。
以前とは違い、今は予定など立てやしない。
行き当たりばったりだから、満席もしようがない、屋台にでも向かおうか。
川縁の屋台の並びをうろつくも情報がないからどの屋台に入ったらいいのかの決め手はない。
どうしようもなくなった頃に、もう歩きたくなくなってしまって、その時目の前にあった屋台が空くのを待つことにした。
少し待って何とか入店できた。
優柔不断な私を結果的に疲れが後押ししてくれたようだ。
私は博多の人に博多のことをいろいろ聞いてみたいという好奇心をもっていたが、忙しい店員さんに話しかけたり、両隣のカップルに話しかけるほどの図々しさはなかった。
お客さんが博多の人なのかすらはっきりしないこともあり。
ひととおり飲んで食べて店を出ようとした時に、隣の隣の席にいたハットのお父さんからこんな自嘲ぎみの言葉が聞こえてきた。
「こんなに長居して飲んでるのは俺らだけだ。」
確かに他のお客さん、特にカップルはサクッと飲んで食べて回転していっている。
私はこのお父さんの言葉を、勝手に声をかけていいフリだと捉えてしまって、声をかけてしまった。
そこまでは静かに終わるはずだった夜が、ここから動き出してしまった。
ハットのお父さんは、神奈川県から遊びに来た2人組で明日糸島の友達のところに寄せてもらうのだという。
私も明日は糸島入り。
どうやら私と全く同じ旅程の人に声をかけた模様だ。
私は東京からだと伝えるとさっきの女子2人組は三重からで観光客ばかりだという話から始まり、お父さんの地元の野毛の飲み屋の話や、地方でBar巡りのコツなどを教えてくれて、私からは明日の糸島にあるBarを紹介したりした。
そうするとお父さんから、
「博多にもいいBarがあるんだ。お兄さんこの後の予定は?」
とお誘いをいただいた。
もちろんこの後の予定などはない。
そんな話をしていると今度は隣のカップルの女性が声をかけてくれた。
「この屋台には博多の人は来ないですよ。」
このエリアは観光客だけで地元の人の行く屋台は別のところにあるという。
ハイボールもこちらのエリアの方が100円高い。
そして、地元の方が行く屋台を教えてくれた。
そう言うところをみるとこの人は多分博多の人なのか?
ではなぜ地元民が来ないような屋台に来たのか?
聞くとこのカップルは会社の上司と部下でリサーチに来たのだという。
上司の娘婿の両親が今度、博多に来ることになって屋台に行きたいと言ってるので、良い店を見つけたいのだそうだ。
不思議なことがあるものだ。
偶然にも、同席できないはずの博多の人が隣に座り、話を聞くことができた。
リサーチは今日この店で2軒目でさらにこの後2軒回るのだという。
この屋台は、リサーチのためにチョイスした4軒のうちの1軒で、評価が高かったので選ばれたらしい。
どうも私は強い引きを持っているようで、さらに、
「この後、一緒にリサーチに行きますか?」
とその部下の女性からお誘いをいただいた。
私はこれらのお誘いにありがたくも少し面食らってしまい、どちらにも強い意思表示ができないまま屋台を出て帰路に向かったのだが、すぐに紹介してもらった地元の人が行く屋台が気になり出して赴くままに向かうことにした。
地元屋台の暖簾をくぐるなり、常連さんに地元民ではないと見抜かれてしまい、すぐに自己紹介することになった。
私は幸運にも例の博多への好奇心を満たすことができるとばかりに、年金暮らしだという隣のお父さんに聞いてみることにした。
博多空港がものすごく街に近くて便利である歴史的背景や博多人と東北人(自分)の気質の違いについてなどを。
「博多の人はバカだから・・・」
などとおどけて始まったお父さんの話は明るくて分かりやすい、いい話だった。
そうしているとまた別の常連さん、若くて金髪で男前の男性が、
「越冬の有無があると聞いたことがありますよ。」
と割って入ってきた。
確かに東北人に表裏があるとすると厳しい冬が影響しているように思えた。
この金髪の男性、話が上手い。
聞くとホストクラブを経営していて、その日は一緒にやっている弟と屋台に来ていた。
そうか。
やはり話す商売か。
聞くと自分のビジネスを客観視するために、また、弟の売上を上げるためにコンサルティングをつけていて、月に数十万円支払っているという。
客観視しないと危険だ、とはかなりしっかりしている。
兄はかなり優秀でパワフルなやり手。
弟は兄にすがる元嵐の桜井君似の甘えん坊というところだ。
業績的に弟にも兄のようになってもらいたい兄と、兄に追いつきたいが追いつけないのはずいぶん前にわかっているがそれでも売上を上げたいというジレンマがある弟、という感じのようだ。
「人はそれぞれ異なるからねえ。
兄と弟の生まれた環境もそもそも違うし。」
などとを話してみたら、弟は子供の頃に兄から脅されて怖かったという今でも残っている記憶を話し始めた。
兄の前で話したのは初めてだという。
当然兄の方は覚えてない。
「聞きたいから、何でも言って。」というから、
「お兄さんは、自分にはない弟の良さはなんだと思う?」
と質問してみたところ、流暢に話す兄が口ごもってしまった。
「(兄と比較して足りないことを肉付けするのではなくて)弟ならではの良さを伸ばすようにしないとねえ。」
などとお酒の勢いで偉そうに続けてしまった。
明日がゴルフでもっと早く帰る予定の2人がお代わりを何回か繰り返し、私と話してくれた。
私がトイレのため席を外した時などは、先輩はどこに行った?と探してくれたりもしていた。
何ともありがたいことだ。
女性のことはからっきし不得意な私が、ホストの兄弟と兄弟の話題で何とか会話になったこともまたラッキーだったと思う。
兄弟と一緒に屋台を出て別れた。
博多の人は表裏がなくて楽しい。
そんな印象が残った。
その時に、先程の越冬の話と合わせてあることを思い出した。
サラリーマン時代に7大支社の集まりがあって、博多人の後輩が余興したことがあった。
それは、お笑いコンビ、レギュラーのあるある探検隊のネタを模したもので、
「あるあるいうでー 東北支社は根が暗い、あるある探検隊!あるある探検隊!」
というフレーズだった。
大爆笑だったが、的を射すぎていたのか東北支社はおかんむり。
裏で大目玉を喰らったんだそうだ。
その後輩は最近会った時も、
「あの時のことは、未だに思ったことを言っただけで悪いと思ってませんよ!」
と笑って話していた。
さすが!越冬がないから裏表がない。笑。
私は思い出し笑いをしながら、ひとり帰路についた。
自分が話したいワードが飛び出す街 糸島
以前の記事、
アナログレコード、キャンプ、ライブが今人気!そこに共通する理由とは?
では、周波数2万Hz以上の倍音が体にいいらしい、という話を書いた。
糸島の友人にこの倍音の話をしながら、糸島でお昼ご飯を食べた日の夜のこと。
友人のご夫婦と私は、食事処で偶然に出会った女性に連れられて2軒目にハシゴすることになった。
女性が知っているというBarに入店して盛り上がっていた。
その途中、オーナー兼店長がアーティストであると紹介を受けて、名刺をいただいたところ、
そのアーティスト名が、な、なんと「倍音ケイイチ」さんだった。
口琴などの奏者であり、その動画を見せてもらうと名前の通り倍音豊かな素晴らしいものだった。
「しゃべれば、現れる!」
何ということだろうか?
このことでハイテンションになり酒がすすんでしまって、隣に居合わせた九州大学の先生に無理に歌を歌わせてしまった。汗。
また別の日。
糸島の日本酒の店で夕食まで時間をつないでいた時に、年配の常連さんが一人入ってきた。
開口一番、
「ヘルストロンはすごいねえ。」
ヘルストロン:頭痛、肩こり、不眠、慢性便秘を緩解する電位治療器
と語りだした。
ヘルストロンという言葉は、とうに忘れていた。
どうも引っかかると思ったら、以前私の両親が購入していつからか実家に置かれるようになっていたものだと思い出した。
その常連さんはヘルストロンを知っている者が隣に現れて驚き、私も驚き、ヘルストロンの使い方や効能について語り合ったのだった。
また別の日の朝、糸島の喫茶店でコーヒーを飲んでいるとこれからランチを提供するというBarの店員さんが店に入って来た。
今度の開口一番は、
「オルチョ・サンニータが美味しくてランチに使っているんです。」
オルチョ・サンニータ:アサクラ株式会社が提供するイタリアンオーガニックオリーブオイル
こちらは私が長らく愛用している大好きなオリーブオイルだ。
朝倉代表にもお会いしていて、イタリア人に品質管理を教育する苦労を聴いたことがある。
店員さんとはオルチョ蒸し(野菜と塩とオルチョだけの無水料理)などについて会話が弾んだ。
その場はそれだけで終わった。
ところが、私はそのつもりはなかったのだが、巡り巡ってその3時間後になぜか、そのBarで例のオルチョを使ったランチを食べていた。
非常に美味しかった。
今度は、「語れるワードが飛び出す。」
何ということなのだろうか?
なぜこんな小さな街で頻度高く出会うんだろうか?
これらのワードは、東京のお店では聴いたことがなかった。
偶然とは片づけられないように感じるのだった。
違うものどうしが組み合わさることがクリエイティブ
最後にもうひとつ書いておきたいことがある。
倍音ケイイチさんのお店、「いい時間。ハイホー」にまた別日にうかがった時のこと。
倍音さんの、
「また来たんですか?
出禁だって言ったじゃないですか?」
と言う言葉に私は恐縮して、
「その節はご迷惑をお掛けしました!」
と謝罪したところ、意外にも
「どこが迷惑だったんですか?愉しい夜でしたよ。」
とおどけて迎えてくれた。
お店には、この前無理に歌わせてしまった九州大学の先生もいらっしゃって、
「うわー、帰ろうと思ったのに来たー!」
と嫌がられてしまった。
同様に謝罪したところ、もう一杯お代わりして付き合ってくれた。
多分そうだろうと思っている。
私が服装のせいか、
「この前と雰囲気がずいぶん違いますね」
と先生に伝えると、
「どの口が言ってるんですか?こっちのセリフですよ!」
と返ってきた。
無理もない。
先日はひどかった。
今日の私はさほど飲んでない。
先生は、
「(私が)シラフの時に会えて良かった。」 と言い残して帰って行った。
何とも優しかった。
お店では、店長とお客さんがそれぞれのお勧めの音楽を出し合う、さながらお勧め合戦のようなものが進んでいた。
その日のテーマは、エキゾチカ(1950年代から60年代に流行した、東洋やアフリカ、ラテン・アメリカなどの風土を連想させる音楽ジャンル)といったらいいのか、古くからある各国の曲を現代のバンドやオーケストラの新しい編成でカバーしたものだった。
印象的なものをピックアップすると・・・
「かじゃでぃ風節」新崎純とナイン・シープス
琉球古典音楽にエレキバンドの編成が加わったなんともクロスオーバー(ジャンルの垣根を乗り越えて融合させた音楽)な曲になっている。
「東風:YMO」セニョール・ココナッツ
逆に1980年代のテクノポップを南米のラテン音楽のバンド編成でカバーした曲。
セニョール・ココナッツはチリに移住したドイツ人が作ったバンドで、YMO他シャディーなどいろいろなカバー曲がある。
全く知らないものばかりだった。
この懐かしさというのか、少し違和感もありながらそれはまた新鮮にも感じられる。
とても心地よい、あるいは、乗りがいい、という感覚は何なのだろうか?
私は、YMOはまさに世代で当時は歯切れのいいデジタル音に魅了されたものだったのだが、それを聴いてきた者としては、今逆にアナログバンドの音がまた優しく体に染み渡り、鳥肌ものだった。
YMO世代に是非聴いて見て欲しい傑作だ。
糸島最後の夜は、この何とも不思議な異物の交わった曲に酔いしれたのだった。
さて、これらの福岡旅をやや強引だがひとつの感想にまとめることにしてみよう!
この意外な別物を組み合わせるということ。
このことは、新しいビジネスでも必要な発想と言われる。
最近では、
パソコン+携帯電話 = スマートフォン
など。
あるいは、混血の多くなる中央アジアでは、美男美女が多い、とか。
突飛に異物がくっつくことには苦労やストレスが付き物なのだろうが、音楽のように超えてみると素晴らしいものができる可能性がある。
例えば、今回のように見ず知らずの私という東北人が、博多人や糸島人と、あるいは、年齢も経歴も違う人たちが、ひとつのテーマで話すことで、共感ができたり未知の情報を埋めることができたりする。
また、物事は単純ではなくていろいろな見方があるから、単純な捉え方ではバランスが悪いし固定されて気づかないながら、生きづらくなっているものだ。
だから他からの別の見方を加えることでバランスよく受け皿が広がり、動きやすく厚みが増す。
何らかの影響を受けて別の見方も加わり、新しいものが自分の中にクリエイトされていくのだ。
それは必ずしも新サービスができるというような大きなことでないにしても・・・。
お互いの違いを尊重し自分なりにクリエイトし続けるーこれは迎合するのではなく自分の考え方を固辞するのではなく、ただ素直に感じるーことによって新しい自分に日々変わっていく、これこそが健康的で面白いことなのだと感じるのだった。
共感してもらえること、発見があること。
これが人としての基本的な喜びでもある。
だから話し、聴く。
それが未知の者と組み合わさることで喜びが大きくなる。
マウントをとるといった着飾る目的ではなく、それぞれがそれぞれで自分の本質をクリエイトするために話している。
広く受け入れができると警戒が解かれて、自分の未知なことをより引き出せるようになる。
自分でも自分のことを美化せずに正直に話す。
意図せず、求めず、こだわりなく柔軟に流れていくと自分の気づき(感性)を抑制しなくなり、創造が生まれていく。
この福岡旅で感じたのは、こうして自分を新しく創造する喜びだった。
この創造する喜びの認識があれば、次回の旅も間違いなく楽しいだろうと思う。
UnsplashのNichika Yoshidaが撮影した写真
【著者プロフィール】
RYO SASAKI
実はここには書ききれないほど、まだまだ別のご縁もありました。
本当に不思議な力を感じ、パワーをいただいた福岡旅でした。
工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。
現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。
ブログ「日々是湧日」
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