豊かさゆえに増えるストレス。ストレス軽減にもっと本気になる!
少し前に人の身体は、ストレスを感じることによって食欲を増すホルモンを出す、と聞いた。
だから糖尿病の原因にストレスがあるのだと・・・。
私は、一般に言われている病気の原因は表面的なもので、病気の根本原因としてストレスが大きいのではないか?と感じていたところだったので、このホルモンの話になるほど・・・と感心した。
「社会にはストレスがたくさん。」というような言葉はいつ頃から聞かれ始めたのだろうか?
リゲインのCM「24時間戦えますか?」が1989年、今から33年前だから、このあたりから始まったのだろうか?
私の勝手な印象だが。汗。
そこから今まで社会のストレスはずーっと高まってきてるものなのだろうか?
今後、どこまでストレスは高まっていくのだろうか?
ストレスにはいろんなものがあるのだが、今回は特に今の社会に特有なストレスにフォーカスして考えてみたい。
そのストレスとはたくさんのモノがあることによるストレスだ。
そのヒントは意外なところにあった。
探しモノをするストレス
動画「二度とこれに時間を使うな!!人生で絶対に捨てるべき超ムダな時間トップ5」
こちらの動画はタイトルにあるように、止めるべき無駄な時間を紹介しているものなのだが、意外にもその中に現代のストレスに結びつくものがあった。
超ムダな時間2 妥協を許さない完全無欠を目指す時間
超ムダな時間4 探しモノをする時間
妥協を許さない完全無欠を目指す時間については、以前「完璧主義を疑う」で書いたこととつながるものだ。
完璧主義を避けた方がいい理由を私は「手間をかけたほどの実入りがない、いわゆるコスパが悪いから」としたのだが、こちらではその理由として「ストレスになるから」ということも加えてくれている。
世の中のことはたいがい完璧にならないから、完璧を求めると苦しくなるというものだ。
敢えていうと、我々はいい加減でないと生きるのが苦しいということになる。
これについてもなるほどと思うのだが、特に今回注目したのは、探しモノをする時間の方だ。
ある調査結果で、一般の人がモノを探すのに費やす時間が2.5時間/週(130時間/年)、とあった。
時間のムダもあるが、見つかるまでの時間をドキドキ、ハラハラ、イライラしているということになる。
ストレスに晒されて体に悪いことの方が問題なのではないだろうか?
ストレスがいろいろな病気に影響すると知るとそう感じる。
このストレスを回避するには、
・整理整頓
・断捨離(ミニマリスト)
の2つになるだろうか。
最近どちらも話題になっていて、世相を反映していると思う。
モノがドンドン増える
この豊かな社会では、様々な商品が用途によって細かく分かれてきている。
例えば、包丁ひとつにしても、魚、肉・・・食材分だけ種類があるのではないかと思えるくらい多くの種類がある。
便利なモノを求めればどこまでもいけるようだ。
掃除機は通常のものにお掃除ロボットが加わり、冷蔵庫は寝室用やワインセラーが加わってくる。
更には、今まで一般宅には置かなかった新しいモノも出てきている。
例えば炭酸水メーカー、例えばビールサーバー。
モノはドンドン、ドンドン増える。笑
私の場合、お掃除ロボット、ワインセラー、ビールサーバーは現段階で何とか踏みとどまっている。
しかしすでに私の部屋にはこれまでに増やしてきた埃をかぶった過去の遺物が溢れていて、特に目に付くのが健康器具。
今となっては邪魔になるストレス、それに粗大ゴミに出さなければならないが放置されたままであるというストレスが上乗せされたままの状態。
モノを所有することで、モノを探し出すための無駄な時間、そしてそのストレスが発生するのだが、それ以外にも、置いておくスペースも必要だし、掃除やメンテナンスも必要になる。
以前、同じ時期に洗濯機とテレビが故障してワサワサしたことがあった。
最近は、羽毛布団とマットレスが同時にヘタってしまった。
更には、リモコンが壊れるは、ジャンパーのファスナーのつまみがもげるは、バックのファスナーがいかれてしまうは、そこら中の電池が切れるは、必要不可欠な生活アイテムのメンテナンスだけで私は誠に忙しい。笑。
丸い電池まである。
一体電池が何種類あるというのか・・・。
私は一体どれだけの生活アイテムを保有しているのだろうか?
贅沢になったものだ。
モノがある生活は便利で豊かだが、これらにいわゆる管理コストというものがかかる。
この管理コストには、モノの整理整頓も含まれる。
つまりモノが増えるとあれこれとやることが多くなり、ズボラな私にはどう考えても大きなストレスなのだ。
整理整頓なんてものは、大人として当たり前だろうが!と一蹴されてしまうだろうが、苦痛なものは苦痛だと正直に言っておきたい・・・。汗。
ズボラ人間の生きる道
モノが多くなると人生がその管理に追われたままに終わってしまうのではないか?
私は、そんな嫌な極端な想像までしてしまうような人間だ。
それでも、日々の快適な生活があるのはモノのおかげなんだと自分を何とか納得させようとしてはいるが・・・。
整理整頓でさえ嫌なズボラな私はこの豊かな時代にどう生きればいいのだろうか?
思うに、歴史を遡るとここまでモノが溢れる時代はなかったのだと思う。
モノがない時代は管理コストが少なく、その分ではストレスは少なかったと言える。
もちろんモノを使うことによって時間が短縮したり、別のストレスは減ったからモノを所有する方がいいとなってきたのだろうけど。
はて、モノによるストレス解消とモノの管理で生まれる新たなストレスは果たして見合っているのだろうか?
そんなことを考えると、何となくこんなイメージが頭に浮かんできた。
【モノの数とストレス・利便性の関係】
こちらは、所有するモノの数を横軸にして右に行けばモノの数が増えるグラフ。
モノの数に伴ってモノの管理のためのストレス(青線)がどうなるか、モノを使うことによる利便性(オレンジ線)はどうなるかを表している。
利便性は初期段階ー例えば当時の家電の『三種の神器』と言われた白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫ーのモノによって利便性が格段に上がるが、その後他のモノが増えても、最初ほど利便性が大きくはあがらない。
一方のモノを管理するためのストレスは、モノの数が多くなると極端に上がっていく。
高度成長期以降の豊かな時代はドンドン右に進んできたが、現在では利便性が当初ほど大きく上がらずにストレスが増える段階に入ってきているのではないか?
ストレスも利便性も数字にすることなんてできはしないのだが、なんとなくこんな感覚なのだ。
増える管理ストレスを発散するために更にモノを増やし、それがまた管理ストレスを増やすことになってやしまいかとも。
このようにイメージすると、ストレスを減らすにはあまり右に進まずに、目指すは赤矢印のあたりの利便性を享受しつつ、ストレスがあまりないあたりということになるのではないか?
所有するモノをそこそこに抑える。
老子の「足るを知る」がピッタリするだろうか・・・。
そしてズボラで管理が苦手な私であれば、平均よりも左にした方がいいのではないか。
※グラフはあくまでもイメージです。
コレクターといったモノを管理することが好きな人もいるし個人差があります。
また、多様なモノを所有して利用することを趣味としてストレス発散する、といったようなことも複雑に絡まるので一概には言えないので、特にズボラな人に当てはまるひとつの大きな見方としてご覧いただければと思います。
陽極まれば陰に転ず
今の時代は、みんながいろいろなモノを利用することで生活がよりよくなる。
だから、みんないろいろなモノを購入して利用方法を学んできた。
これは環境に適応するための努力であるとも言える。
私のようなズボラな人間は、そのような新しい豊かな環境に適応できなくなっているはみ出し者なのかもしれない。
でも一方で、人ひとりが管理できるモノには限界があることは物理的な必然で、それを超えて管理するには他の人を雇うなどするしかない。
それはなかなか難しい。
モノの便利さを求めてモノを増やしてきた私は、もしかしてどこかモノの管理に一杯一杯になっていて、この先どうしたらいいのか、わからなくなっているのではないだろうか?
今まで管理できている、と思っていたことは幻想でただのやせ我慢だったのではないか?
『陽極まれば陰に転ず』
この言葉がピッタリする。
多様なモノを所有することで便利になった生活は、それが進むことでまた別の問題が起きる。
豊富や便利という素晴らしいものにはまたそれなりに、影の部分があってすべて良いことばかりではないのだ。
最近の断捨離やミニマリストは、このような世相を背景に登場してきたように思う。
陽が陰に転じたことへの先行した反転の動きで、これまた自然なことのように思う。
断捨離の目的は、見た目をよくすること、スッキリ感や運気を上げること、効率をアップするため、などと言われる。
また、ミニマリストは、CO2排出を削減するといったサステナブルなところから登場したような印象があるのだが、両方ともストレスを減らすために特に重要なのではないか?
今の私はそう感じるのだった。
同様に情報も豊かな時代、いやむしろ情報過多だとネガティブに言われることが多くなっている。
例えば不幸な情報もバンバン入り、心が波立つことが多い。
これも情報伝達手段が限られた昔だったならば、知ることがなくて憂うことが少なかったはずだ。
たくさんの情報を処理する現代人は、かなり鍛えられているとも言えるが、同時にストレスフルなのだろう。
こちらの情報も断捨離ーシャットダウンと言った方がいいのかーが必要なのだ。
ずいぶん前になるが、どこかの起業のCEOが同じTシャツしか着ない、と言って話題になったことがあった。
その時はそこまでするとは、何とも個性的な人だ、くらいの印象だったが、今はもう少しよくわかる。
豊かな社会では選択するというのもストレス。
人は自分が意識していないところでストレスを感じているのではないだろうか?
だから、少しでもストレスを減らすことをもっと真剣に考えるべきではないか?
今回、今までよりも、ストレスを結構深刻な問題として捉えるべきだという感覚になった。
これからの買い物は「節約のため」よりもむしろストレスを増やさないためにより慎重にしようと思う。
私のズボラは褒められたものではないのだが、モノの管理ストレスを人より感じてしまって嫌が強くなるから、逆にこのストレスを減らす知恵が働くんだ。
我慢はしないと決めている。汗。
ズボラにも影だけでなく光があり、それで反転し始めるのだ。笑。
UnsplashのJakob Owensが撮影した写真
【著者プロフィール】
RYO SASAKI
これからはモノの購入数と破棄数をカウントして、破棄数が上回るようにしていきたいと思いました。
このストレスに限らず、自分にあるストレスをハッキリしていきたいとも思いました。
工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。
現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。
ブログ「日々是湧日」
会員登録していただいた方に、毎週金曜日にメールマガジン(無料)をお届けしております。
ちょっとした気づきや最近の出来事など、メールマガジン限定のコンテンツもありますのでぜひご登録ください。
登録はコチラから。
幅を愉しむwebメディア「RANGER」に対するご意見やご感想、お仕事のご相談など、お問い合わせからお気軽にご連絡ください。
最後まで読んでくださりありがとうございます。
これからもRANGERをどうぞご贔屓に。