体の弾力を回復させるために風邪をひくという意外。そんな自分の”意外”をずっと追い求めたい。
いつからか、本を適当に飛ばし読みすることが当たり前になった。
子供の頃の私は、必ず律儀に教科書の1ページから順番で読み進めて、読み飛ばすなんてことはなかったから、ずいぶん変わったものだと思う。
何も考えずに感覚に任せ、ただ引っかかるところだけを読むようになった。
この”引っかかる”を、もう少しかみ砕いて言葉にするとすると、自分にとって”意外”なもの、ということになるだろうか・・・。
自分が持っている意見と一致して共感するところは”意外”ではないから、引っかからずにどんどん飛ばす。
ただ、意見が一致するものでも、その意見の根拠や背景が意外なものにはまた引っかかる。
自分にこの”意外”があるということは、既に自分の中に”意内”(こんな言葉がないのが意外だが)があるということになる。
”意内”とは、自分の知識であり、自分の中にある常識と言ったらいいだろうか。
そうすると、あちこちに”意外”があるということは、私にはまだまだ常識がこびりついているということで、自分の了見が狭いということなのだろう。汗。
私は、何かと言えば「自分は常識に縛られない!」と鼻息が荒いのだが、そんな私に未だ”意外”なことが多いことを何と説明すればいいのだろうか?笑。
そんな相変わらずのことを考えながら、今回は、そんな私が最近最も”意外”だったことを紹介してみたい。
風邪は体の弾力性を回復するためのもの
この本のタイトルが、まさに”意外”で目に留まった。
風邪というものは、体を休めなさい!というサインである。
そして、熱が出るのは体内に増殖した外敵をやっつけている最中だから、苦痛ではあるが、熱を下げない方がよい・・・。
こんなところが、これまでの私の風邪に対する認識だったのだが、この本では、この”風邪はサイン”という捉え方を超えて、風邪に大きなメリットがある、という捉え方をしている。
『体に弾力性がなくなることによって風邪になり、風邪が完治した時には、体の弾力性が戻っている。』
※解熱など、風邪を早く経過させようと急ぐと、風邪が完治せず、体の弾力性が十分に回復しない、とのこと。
このことを裏付けるものとして、脳溢血になった人はある時から長らく風邪にかからなくなっている、といういくつもの事例がある。
風邪にかからないため、血管の弾力性の回復ができないままになってしまう。
つまり、逆から見ると風邪のメリットは、この体の弾力性の回復、ということになる。
このことは、一般的に言われる風邪もひかずにいつも元気に見える人が返って大病を患う、ということを裏付けるものでもあるようだ。
何とも”意外”な内容だ。
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この本を読んでいる時、何とも都合よく喉に痛みが出てきた。
私の場合、風邪は必ずといっていいほど、喉の痛みから始まる。
この本に紹介されている、喉からくる風邪を治す方法を早速試してみることにした。
その方法は、首の両サイドの頸動脈をマッサージする、というごく簡単なものだ。
マッサージによって頸動脈の弾力性を元に戻すというものなのだろう。
まず、顎に近い喉の上の部分をマッサージする。
痛みが下に移動したようなので、今度はその痛みを追いかけるように鎖骨付近の喉の下の部分をマッサージする。
その結果、通常この風邪は咳や熱へ発展して長くなることが多かったのだが、意外や意外、マッサージ開始から2日ほど経過したあたりで、喉の痛みが引いて熱が出ることもなく巻く引きとなった。
こんな非常識な(私にとっての)方法で結果が出てしまうとは!
何と面白い。
そんな経験をすると”風邪にかかる”という表現がどこか実態とズレてるのではないか?
そんなことを感じる。
風邪を悪者のように、かかったら失敗のように捉えてしまっているのは、誤った固定観念なのではないか?
人間の単純潔癖という悪いところがここにも出てしまってるんではないか?
人を車に例えるとすると、風邪をカーレースで不可欠なピットインのようなものと捉える。
”今年もこの季節に風邪というリカバリー期間に入った”というような、より適切な表現に変えた方がいい。笑。
そして、こんな勘違い(”意外”)がまだまだ身の回りにあるんだと思うと、私は私の”意外”をとても止められそうにはない。
“意外”を追い求める
面白いマイナーな?本があるものだ。
まだまだ、”意外”な本はあるのだろう。
この本にあった、私にとっての”意外”を分解してみる。
世にマッサージの方法はいろいろあれど、私は筋肉の凝りほぐしとツボ(経絡)押しの印象が強く、血管のマッサージなどというものを始めて聞いた。
そして、風邪を治療して苦痛を短く終わらす、なんてことは考えずに苦痛を受け入れて、風邪をチャンと経過させる。
風邪の苦痛は、むしろ感謝すべきものなのだ。
こんな風に、苦痛から逃れようとする私の常識を真逆に捉えることが、次の”意外”だった。
さて、濁りなく物事を眺めれば”意外”はそこかしこにあって、”意外”が尽きることはないんだろう、と思う。
”意外”に出逢えた時に、またひとつ自分の常識という縛りから解放され、自由を獲得することができる。
そして、時に今回の『風邪の効用』のように、今までなかった有効な方法を手に入れることができたりもする。
”意外”との出逢いはいいことだらけではないだろうか?
では、このいいことだらけの”意外”にこれからよりたくさん出逢うためにするべきことはどんなことだろうか?
まず、自分の引っかかる感覚に素直に従うことが前提ではあるのだが、それ以外にこんなことがあるかもしれない・・・。
非常識はいつも少数意見にあるのだから、幅広い人へのリーチを目的とする広告(多くの人が知っている)から距離をおくこと。
自分からみて合理的だったり、より稼げそうなものから距離をおくこと。
資本主義にハマらない変態を探すこと。笑。
まあ、こんなようなことをツラツラ書かずとも、この世の”意外”が尽きることはない。
今の社会に飽き飽きだ!
それで十分!
飽きがあるだけでその反動で”意外”は簡単に見つかるのだ!
待ってろ”意外”!
なーんて、ヒーローのような全く似合わないセリフ。
“意外”にも?自分が壊れてきてしまったのでこれで終わることにする。汗。
UnsplashのSpurwing Agencyが撮影した写真
【著者プロフィール】
RYO SASAKI
この常に“意外”を求めるスタンスこそが、奇しくも、人の弾力性を維持しているのかもしれませんね。
なんて。笑。
工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。
現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。
ブログ「日々是湧日」
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