手放しで便利になっていいのか?「便利」を疑う。
スマホを4年半ぶりに買い替えた。
できるだけ使い続けることで出費を抑えることを基本戦略(戦略とは何ともおこがましいが)としている私だから、いつもならばずーっとグズグズしているはずなのだが、今回ばかりは周りに推されて従順になり、想定外に素早い買い替えとなった。
前の機種から世代は6つ変わり、動きは全く慣れないくらいになめらか、内蔵メモリーがおよそ2倍になり、重さがほぼ変わらず。
これが4年半の進化ということのようで、加えて月のデータ容量上限が3倍になってしかも基本料金/月が数千円安くなるとのこと。
値上がりばかりの昨今、安くなるものに久々に出会って、私はどこかキツネにつままれたような感覚になった。
最初の大事?は、モバイルPASMO(スマホで改札を抜けられる)、そしてそのオートチャージ(残金が足りなくなったら自動的に補充される)などの設定。
上手くいかず、モバイルPASMOとカード会社の間を何度もたらい回しされ、四苦八苦しながら何とかを完了にたどり着いた。
こうしてまたひとつの便利を手に入れたわけなのだが・・・。
この安堵の瞬間に、便利というものをどこまでも追いかけることで良いものだろうか?
そんな私らしいひねくれた疑問が浮かんでしまった。
4年に一度のアップグレード
買い替える日、スマホショップの滞在時間は既に2時間を超えている。
店員の説明が続く。
私は目をパチクリさせながら、それを聞いている。
特に印象的だったのが、セキュリティについて。
迷惑メールや不要広告を自動カットできる有料プランが充実している。
4年前はそんなことの説明がなかったように記憶していて、世の中は今そんな風に変化してきたのか!と感心する。
これまでの私は、迷惑メールも広告もお手上げーとなって放置したままだった。
そういう意味では、4年以上ずっと社会と断絶して下界に潜伏していたようにも感じる・・・。
最近のスマホ事情を長く聞かされて、スマホ以前に自分自身のアップデートというものがこれから必要なのだ。
そうしないといずれ浦島太郎状態になってしまう。笑。
そんな未来を想像してしまう。
たかがスマホとは思っていたが、もはやスマホはAIとともに先生でもあるし、アドバイザーでもあるし、財布でもあるし、部屋のキーでもある。
どうやら、潜伏しているうちにそんな地位に上がっていたらしい。
そして他にもこんなことも実感する。
メールや広告やSNSの投稿が簡単にできる、そんな便利が手に入ったということが、不要な大量なメール、広告、投稿にさらされるという不便を同時にもたらすものでもある、と。
便利による不便で言えば、スマホを買い替えてまず始めにやったこと、それは必要なアプリをインストールして、そのアプリの通知機能をすべてOFFにするということ。
思い返すと始めは通知をOFFにすることに頭が回らず、通知に追われる日々は地獄のようだった。笑。
通知機能がデフォルトONに設定されているという便利でとてつもない不便。笑。
ついでにもう一つ、ホーム画面で上フリックすると勝手にニュース画面が開く(イラッ!)。
このなんともありがたいデフォルト機能もすぐさまにOFFった。
贅沢なモノ
潜伏している私にとっては、気づくといろんな便利がポピュラーになっている。
有名になったウーバーイーツのような食品配達サービス(タクシーもある。)、そして、各種サブスクリプション(月定額で使い放題的なサービス)。
当然どちらもまだ利用したことはない私にとっての贅沢品。
そもそも私が子供の頃は、外食自体が贅沢なものだった。
自ら料理する手間をお金を使って取り除く、という行為。
食品配達サービスは、そこから更に店に出かける手間までをお金で取り除く。笑。
何という贅沢。
歩きもせず、美味しいモノを食べるんだから贅肉がつく一方だ。
サブスクリプションはどんなものもやりたい放題の贅沢。
最近は家や時計なんてのもあるらしい。
(家は全国のいろいろな家を移住できて、腕時計はいろんな種類を毎日付け替えることができる。)
わかりやすいところではファミレスなんかの「ドリンクバー」だろうか・・・。
糖分たっぷりのジュースなどを際限なく飲める。
しかし、私の場合、どうせ抑制ができないだろうから、カロリー過多に簡単になっていたように思う。
“放題”の自由には、逆に強い自己抑制力コントロールが必要で、意志の弱い私なんかにとって非常に危険なものだと思う。
私が子供の頃にあんな便利なものがなくてホントに良かったと今にして思う。
「便利」を警戒する
便利な外食はそこに頼ることで料理の腕が育たず、それに加えて食品配達サービスに頼ることで脚力まで奪われる。
サブスクリプションは、コントロールが効かないと過剰になってバランスが崩れる。
こんな風に便利なモノには必ず裏がある。
便利を享受すれば、別の何かを失うのが、この世界の摂理とでも言ったらいいだろうか。
便利そのものと便利によって新たに生じる不便もあるし、便利によって失われる能力もある。
便利をどれだけ享受するか?
個人の自由ではあるのだが、社会の要請によって便利を強制されることも出てくるのだろう。
スマホでQRコードを読み込まないとオーダーできない飲食店とか・・・。
自分は便利にどこまで抗えるだろうか?
目先の掃除機の吸引力が最近弱っていること、そしてドライヤーの風力も落ちてなんだか焦げ臭いことなどがドンドンと誘惑がやってくる。汗。
さて、このまま便利を享受し続けた未来はどうなるのだろうか?
脚力や料理の腕など、昔の人が平均的に当たり前に持っていた能力は失われていくのだろう。
最近の子供の体力が落ちている背景には、便利さがあるように感じる。
そして、年配から若者への小言。
「今の若者はしようがない・・・(生きるための常識的なことができないという意味合い)」
がこれからも変わらないということがハッキリわかる。
豊かさが続く限り、若者の方が年配より時代が進んだ便利さを経験するものだから・・・。
でも、そうなったらそうなったで反作用が必ず起こっているものだ。
若者は、便利を受け取ることによって消費しなかった時間とエネルギーを別のこと、例えば自分の好きなこと、に費やすからだ。
若者の好きなことなんてのは年配から見ればしようもないことのように映るのがまたこれまでの定石でもある。
それはたぶん生きていくことと直結しないように見えるからだ。
いずれにしても好きなことへの集中は、それぞれの専門性として光ることになるだろう。
社会は信じられないくらいに当たり前のことができないけれど、個性的な人々で溢れることになるわけだ。
共同作業をする、あるいは会社での教育には、結構な努力が必要になるだろうが、これはこれで楽しい世界のように思う。
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ところで、自分の専門性ってなんだろうか?
いや、「便利」に抗ってきたんだから、平均的によくできていてその分専門性はないんだよ。
違うなあ、こうして「便利」を疑うような変わり者だから、それだけで十分専門的だな!
・・・何ともしようもない専門性。汗。
いずれにしてもこれから「便利」を享受するならば、もっと専門性を磨かねばなるまい・・・。
UnsplashのJonas Leupeが撮影した写真
【著者プロフィール】
RYO SASAKI
スマホショップには、ご高齢のお客さんがたくさん。
高齢の方にも結構売れてるんだとか。
潜伏している間に、ドンドン変わってるんだなあと。
工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。
現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。
ブログ「日々是湧日」