「完成」「安定」は幻想である。創造のためにこれまでの自分を破壊してみることにする。

その日の呑みの場は、私のお疲れさん会とその店の周年記念が重なって、盛り上がっていた。
お疲れさん会とはいったものの、ひとつの締切を終えただけで、そんな大げさなものではない。
ただ、私はここ数日ギンギンに詰めていたので、その日はその興奮が残って、結構駆かり気味だった。
そしてその日も周りは若い人ばかり。
若い人に共通して感じることと言えば、元気なところ(体はどこも痛くないんだろう笑)、そして未来を向いているところ、いろいろ感じていることを言葉に上手くできなくて歯がゆそうにしているところ・・・。
若い人の話を聞いて「それってこういうことかなあ?」と私が少し言葉を変えて理解しようとすると「そうそう、そういうことです。」と返ってくる。
このやりとりでシックリくることがよくあるのだ。
それでも私が若かった頃よりは、みんな格段にしゃべれていることは間違いない・・・。
そう言えば、ここのところの私の呑み友と言えば、20代〜40 代の年下ばかりで、この前なんかは、よく行くお店の店主のお子さん(16歳)と長々話し込んでしまった。
最近は、同年代や年上の人と呑みに行く機会がめっきりと減っている。
・・・なぜだろうか?
よく言われる話として、(私も含む)歳を重ねた人たちは、昔話、自分の武勇伝、そして体が悪い話しかしないから、聞く側として私が面白くないからなのだろうか?笑。
それとも私が若い人にあって自分にないものが新鮮で、それを私が求めているからなのだろうか?
逆に話す側の私自身は大丈夫か?
昔話、武勇伝、やってしまってはいないか?汗。
・・・・・・
こんなことを若い人たちに聞いてもらっていると、そこに、ある社長さん(私は初対面)が来店してきて、ご挨拶の時少しだけ会話をかわす機会があった。
そして、この社長さんとの会話が、私の疑問、「歳をとると面白くなくなる?」に対する答えに見事に結びついたのだった。
解体業という仕事
その社長さんは、このお店の店主の同級生で常連さんだと店員さんから教えてもらった。
社長の第一声が、「解体業をやってます!」だった。
それに対して私から出た反応が、
「あの古いビルとかを爆破する、なんてことをやられてるんですか?創造的ですね!?」
というもの。
そんなことを言い出した自分に驚く。
過去に考えたこともなかったのに何で?
教会のレンガを積んでいる仕事をそのまま物理的なこととして捉えるのか、教会での教えを多くの人に伝えるため、というその最終目的まで含めて捉えるのか?
これは有名な話だから、これが頭の片隅に残っていたのかもしれない。
私のこの言葉に周りがポッカ〜ンとしていたので、
「街が新しくキレイに変わっていくという恩恵をいただけるのは、解体あってこそでしょ!?解体がないと創造がないわけで・・・」
と慌てて補足することになった。
これに対して社長は目を見開いて、「我々は新しい街を創造するための基盤を創っている」そう社員にメッセージしていると話してくれた。
私という全くの素人の反応が意外にも社長と近くてちょっとだけ嬉しい。笑。
社長からは「研ぎ澄まされている!」とのお褒めの言葉までいただいて、その後社長は私のいるテーブルに合流して盛り上がった。
私のこの反応は、締切に追われてきて駆かっているからなのか?
どこか自分ではないような自分に驚いた。
「完成」「安定」という幻想
「解体」は「創造的」である。
は、
「破壊」がなければ「創造」できない。
と言う意味合いから来ている。
社長が来る前に話していた、「歳をとると面白くなくなる?」という理由が、ここにあるのではないか?
私はそんなところに思いを馳せる。
我々世代には、ここまで生きてきた長い期間の様々な記憶がある。
その中には、やってやった!頑張った!などといった記憶もあり、それが時に繰り返し(笑)武勇伝として披露され、それがまた今の自信を支え、アイデンティティの一部となっているものだ。
もっとも輝かしい自分が過去にいた。
だから、自然に意識が過去に向かうのだろう。
これに対して、若者の意識は逆の未来に向いていて、未来とは逆の過去の話は、今もしくは未来の課題を解決するための足しになる場合において初めて有効になる。
しかし、時代の流れが早いため、過去のことが未来の役に立つケースばかりではない。
また、我々の中には経験によって培われたそれぞれの価値観も出来上がっている。
ただし、これもまた過去の環境に適応するために創り上げた価値観でもあって、その価値観が、今の環境適応にどこまで使えるものなのだろうか?と思ったりもする。
このように我々と若者のベクトルがあってないところが、若者がおじさんの話が面白くない原因なのではないだろうか?
ここで、私が過去の輝かしき自分に意識が向くことを助長している理由がもう一つあることに気づく。
物事には一旦の完了があって、それは時に一旦の完成とも言える。
私の中の長き経験の中に完成らしきものがあって、私が正しいとしている価値観が出来上がっているのだ。
更に、その完成というものの安定に常にいたい、という思いがある。
完成は常に安定していて楽なオアシスだから・・・。
これが、聞くところのコンフォートゾーン。
・・・ところが現実は・・・
物事は常に変化しているのだから、ある一瞬にベストなものが完成したとしても、変化した一瞬先はもうベストとは言えない。
経過とともにベストではないものが「安定」してしまうことになるから、いずれ弊害がハッキリしてくるはずなのだ。
人は常に物事のある時点を切り取る、そんな静的な捉え方をして人とシェアしている。
これはそうしないとわかりにくいから、というだけであって本来は便宜的なものなのだ。
物事は常に動いている。
だから本来は「完成」「安定」なんてものは存在しない。
ただ、変化の中のひとつの区切りとしてわかりやすい目標として、あるいは「未完成」「不安定」と区別するための概念として創り上げただけだ。
そもそも「完成」も「安定」も希望を含んだ幻想とも言うべきものなのである。
・・・・・・・
さて、そうしてみると、そんなような「完成」や「安定」を私は私の過去に見いだして、大切にしているということになる・・・。笑。
まるで、骨董品を愛でて磨きをかけるように・・・。汗。
生きるということは、そもそも今に対して、そして未来に対して適応していく不断の変化であることを思い出す。
歳をとったからといってこれが残念ながら変わるものではない。
もし、「完成」「安定」というコンフォートゾーンに長くいることを選択するならば、現実から乖離していずれ適応が難しくなることはハッキリしている。
私が破壊すべき完成された私
さて、このことに気づいた私がなすべきこととは何だろうか?
ここで先ほど登場した「解体業の社長」の話がその救世主のようにつながることになる。
「解体」「破壊」をしないと新しい「創造」はできない。
これはビルのことだけでなくて、人にも当てはまるということだ。
ビルの耐用年数は20〜50年(構造によって異なる)だという。
人の知恵や価値観にも耐用年数があるのだ。
私が長く大切にしてきた「完成」や「安定」も、どこかで破壊しなければ、現実と離れ若者が興味を持つ未来の話ができない。
そして、これからの環境に適応することもままならない。
・・・ということで、自分の中にあるたくさんの「完成」と「安定」の中から、ひとつひとつ破壊して行くことにしよう。
これが正しいとしてきた知恵や価値観が破壊対象だ。
正しいとした価値観ゆえ、それと真逆の価値観、それは見向きもしなかった価値観はどんなものだろうか?
そう考えた時、破壊すべき価値観として真っ先に思い浮んだのは、「(私の)リスクを取らない資質」、だった。
新商品に飛びつく時もいつもレイトカマーで、トラブルが減って、価格が落ち着いて来てからやっと動く。
どうやらかなり慎重に偏り過ぎている。
これはここ最近、人生哲学を学んでいく中で自分の弱みを上げていってハッキリしたものだ。
このことは昔から認識してはいたのだが、それが正しいと思っていたのだ。
しかし、それゆえ先行者利益を獲得することがかなり少なかったことにやっと目がいったのだ。
そんなこともあってか、ここ最近、人から勧められたら断らず何でもすぐに取り入れる(信頼できる人からに限定しているが)という個人的キャンペーンをやっているのだが、これはこれまでの私のひとつの「完成」を破壊するためのトレーニングであることに今気づく。
未だに前例がないものや成功が自分の頭の中でハッキリ計算できないものには、清水の舞台から飛び降りるような(やったことはないが)感覚があって、怖い。
だからリスクを取れない。
怖いから贅沢は止めよう!という別の正論を持ち出して、恐怖から逃げていたのだ。
しかし実際やってみると、怖いと思ったほどのことは、起こらないものらしいのだ。
なので、その怖さを敢えて選択して怖いことをたくさんやってみて怖くないことを覚えるというわけだ。
こんな風にして、リスクを取る怖さに打ち勝って、これまでの私を破壊していきたい。
破壊すると決めないと、ずーっと「完成」を愛でるだけで、「完成」が「創造」の足枷になるのだから・・・。
まあ、これは私の「安定」と「完成」の一例であって、まだまだ破壊すべきものがあるのだろう。
ひとつひとつ発見して、「破壊」をずーっと繰り返してたくさんの「創造」をしてみたい、今更ながらにそう感じている。
追記
それにしても今回のことは、どう見ても疑問に思っていることの答えが、すぐに社長さんの登場という形で目の前に現れた、ということのように思えてしかたない・・・。
どうやら、いよいよ私は、「願えばすぐ叶う!」というマスター領域に入ったようだ。笑
ただこのようなフィクションをこしらえただけにすぎないのかもしれないのだが・・・。汗。
まあ、モノは考えようだ!笑。
UnsplashのMarek Studzinskiが撮影した写真
【著者プロフィール】
RYO SASAKI
工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。
現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。
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