RYO SASAKI

社会的役割と本来の自分を分離してみることで、自分が何者なのかを探求する。

タナカ シンゴ

染み付いたものというのは、なかなか抜けないものだ。

長らく金融コンサルティングを生業にしてきた人に「瞑想」のやり方を伝える機会がなぜだかあって、簡単なものを伝えてみたことがある。

数日後教えてもらった結果は、全く上手くできなかった、という内容だった。

「瞑想」とはその間だけ何も考えないか、何かひとつのことだけに集中するものだが、その人は集中しようとしてもすぐに仕事のことが頭をよぎってしまって10秒も持たなかったらしい。

金融というものは、株価が刻々と変わり、遠い国のお偉方の発言によって資産価格が一気に増減するようなものだから、情報に常にアンテナを立てて、都度都度判断するのがその人にとっての長らくの習慣なのだろう。

だから、その情報およびそれに基づく判断というものの遮断を強いられる「瞑想」のようなことはやったこともないし、できなくなっているのだろう。

これも一種の職業病とも言えるのかもしれない・・・。

そんなことで、職業病というものを考えてみることになった。

今回は職業病というもの、それと本来の自分というものを分離するといったことについて書いてみたい。

染み付いたもの

時々通うビールの醸造所があって、そこでお会いする旅客機のパイロットの方がいる。

物腰が柔らかく穏やかに見えて、それでいて知的なところがにじみ出ているような人だ。

一旦、パイロットと聞いてしまうともうパイロットにしか見えなくなってしまうような出で立ち。

私が、パイロットと聞いて真っ先に思い浮かんだことは、多くの人の命を預かっている仕事だから、自分を健康に保つことも含めて、大いに自制心が求められる職業である、ということだった。

自制心の足りない私にはとてもできるものではないと感じるし、もっと言うとパイロットにさせるには私はどう見ても無責任過ぎるところもある・・・、そんなことも思う。汗

ある日、この人にこんな質問をしてしまった。

「このお店、小型の飛行機くらいの収容人数ですよね!?もしここの店で酔っ払いが暴れたりなんかすることがあったら、(このパイロットは)この店のお客さん、店員さんを守るために立ち上がるんでしょうね!?」

私の好奇心は、休みの日とは言え染み付いたパイロットという役割から簡単に離れられないでしょ!?というようなことにあったようで・・・。

たぶん、このお店を機内と重ね合わせて、不測の事態では結局パイロットたる役割行動をするのだろう、と思ったわけだ。

彼の反応は、

「勘弁してくださいよ。笑。そこ(その役割)から離れるためにここに呑みに来てるんですから・・・」

というものだった。

酔っていたとはいえ、何とも不粋な質問をしたものだと思う。

私が、こんな不粋な質問を思いついて、しかもそれを口に出してしまうのはなぜだろうか?

私に人に嫌なことを言って、何かに反発したいと思いがくすぶっているからなのだろうか?

そんなことを後から思った。

・・・・・・

染み付いたと言えば、私もサラリーマン時代が長かったからいろいろあるのだろう。

私が長く居た会社は、言ってしまえばセールスの会社で随分鍛えられたものだと思うのだが、この会社の人は、やたらと人のことを聞いてくる傾向があるらしい。

この会社の人と今もやりとりしているとある人がそう話してくれたことがある。

そして、その聞いてくる感じがどうやら私にもあるらしい。汗。

これはどう見ても染み付いたものと言わざるを得ない。

また、こんなことを言われたこともある。

(この会社の人は)「共通して、羞恥心というものが、どこか欠落しているような感じがする。」

どうやら私と言う者は、恥ずかしいことを平気でできてしまっているらしい。汗。

これらが言わば会社での鍛錬によってできた私の職業病というものなのだろう。

人は環境に適応する生き物だから、何かに専門的に取り組めばそれはその型が身につくもので、それがそれ以外において修正が効かなくなった場合、癖に見えて職業病と言われるものになる。

さて、私がパイロットにしてしまった不粋な質問。

これは職業病によるものなのだろうか?それとも元々私の血に流れているものによるものなのだろうか?

指導者たる血が流れていない?

また別の話になるが、先日、元プロ野球阪神タイガースの鳥谷さんが、「指導者にならないんですか?」と聞かれて、ならないと即答していたことが印象に残った。

その理由はこんなような内容だったと思う。

「人それぞれ違うので、ああせいこうせい、と他人が言うのことをしたくない、それは人の個性を奪うようなことだから・・・。」

続けて、

「自分は自分に目標を課して、自分の中で試行錯誤しながら、それをクリアしていくことが好きで、それをやってきたわけで、それと人のことは別なんです。」

これを聞いて、私も全く同じような感覚があることに気づく。

私は自由でありたい人で、自分の自由が阻害されることを嫌う。

それを他人に対しても同じように思っているようで、よく言えば一貫性があると言うか・・・。

何からのリーダーになって多くの人を巻き込んで社会に貢献しよう!という思いに比べて、それぞれの自由を尊重したい思いの方が明らかに強い。

これらの思いの強さが私とは逆転している人もまた多く存在するのだろう。

私のこの感覚は、若い頃から何も変わっていない。

これは鍛錬されたものではなくて、私という者が元々そういう血を持っているとしか言いようがないのだ。

会社の中でリーダー的立場になってもどこか居住まいが悪かったのはこのせいだったのだろう。

この時点で、出世に限界があることは明白だし、人を巻き込んでの大きなことをやってのけるようなことはできない。

そのことが早い段階で確定したというわけだ。汗笑。

そしてあらためて今自分に問うと、指導者になることは金輪際御免だ!という感覚が強いことがわかる。

若い頃は指導者になれないのは、知識不足、経験不足だとして処理していたが、私という者は、元々指導者にはなれない。

いや、指導者になりたくないから、ならなかったのだ。

何とも言い訳がましい話だ。笑汗。

社会的役割と自分本来を分離する

さて、社会的役割を担うために鍛錬されたことによって現れる、いわゆる職業病のようなもの。

それは後天的なものと言えるのだろう。

そして、自分本来持っているもの。

こちらは、先天的なもの。

この2つのものが合成されたのが今の自分ではあることに間違いはないわけなのだが、どうもこの2つを区別したい思いが自分にはあって・・・。

それは後天的、先天的含め、単純に自分が何者か?を知りたいという好奇心からくるものでもあり、特に先天的なものを知りたい、という思いが強い。

先天的なものは、社会においてはとかく抑制されやすいもので隠れている可能性が高いから抑制を解きたい、と言ったところだろうか・・・。

さてそれでは、私のパイロットへの不粋な質問は、後天的なもの(社会的役割)から出たのか、先天的なもの(自分本来のもの)から出たのか?

本来持っている子供のようなイタズラ心、それは大人になるにつれて抑制されてきたものだろうが、再度会社の鍛錬によって羞恥心が外されたことによって表出してきたと言えるのかもしれない。

全く別の見方をすると、人の職業病なるものはそう簡単に切り替えられるものではない、という自分の確信を強力に補強するために、パイロットの例を記憶に刻みたい、という誠に身勝手な思いからだったのかもしれない。

さらに、パイロットの人がもっとダイナミックな切り替えができるための気づきになれば・・・などと利他的な美しい理由を取り繕おうともしてみたのだが、これは簡単ではないだろうし、そもそも大きなお世話だし・・・これには無理があると反省する。

先天、後天から話は外れてしまった。

私が3歳くらいの時、本の朗読も得意でおしゃべりだったと言う話を、正月の親戚の集まりで聞いたことがある。

それから、どうネジ曲がったのか社会人になるまで無口で過ごし、40歳になった頃同僚から(しゃべりが)機関銃のようだ、と言われるまでになった。(戻った?)

私の中で先天と後天が混じり合ってきたように思う。

私は会社で相手のことをいろいろとヒアリングしてそれを元に商品をセールス(営業)することをやってきたわけだが、人の話を聞く(ヒアリングする)のは先天的に好きだったと思うが、それを使って人に何かをセールスをすることは今でも嫌いだ。

それは指導者ができないことと同様、相手を自由にしたいからで・・・。

セールスというものを相手を誘導するものと捉えるから、指導することと重なるのだ。

ここにも先天と後天が混じり合う。

・・・・・

とりとめもなくなってきたが、これからも私はこんな風にああだ、こうだ、と自分が何者なのか探求して行くのだろう、そう思う。

先天と後天なんてハッキリ分離できるものではない、そんな考えもよぎるのだが、それでも敢えて先天と後天に分けるアプローチをひとつの材料にして自分という者を探求していきたい。

その理由を先ほど少し書いたのだが、実際のところなぜだかただただ好奇心が湧いてきて楽しいから、と言った方がシックリくるように思う。

こんな自分だけの満足のためだけの、何にもならないことに好奇心が湧いてくるのだから、そしてまたその理由を上手く説明できないのだから、これは間違いなく先天的な血の流れによるものなのだろう。

後天的なものには必ず合理的な目的があるはずだから・・・。

UnsplashKristopher Allisonが撮影した写真

【著者プロフィール】

RYO SASAKI

一般的に欠点だと言われるようなことを親が個性だからいいんだよ!と子供の頃から教えられてきた人にとって、今回の内容は当たり前のこと過ぎて全くピンとこないんだろうと思います。汗。

工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。

現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。

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