哲学とは、誰もが深く納得できる「共通の了解」を見出すこと。
先日こんなツイートをしました。
今日はこれについて少し書き足しておきたいと思います。
哲学とは、誰もが深く納得できる「共通の了解」を見出すこと
みなさんがもし「哲学とは?」と聞かれたら、どのように応えるでしょうか。
私は今まで「哲学とは、考えること」と応えていたんですが、これもきっと間違いではないと思っていて、考えながら納得感の高い結論を導くことそのものが、哲学ということだと説明をしていました。
でも最近になって思考がアップデートされまして、同じ問いに対しての応え方が変わりました。
思考がアップデートされたのは、この本を読んでからです。
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これは世界の教育事情を知るリヒテルズ直子さんと、教育における哲学について探求している苫野一徳(とまのいっとく)さんの共著なんですが、とても読みやすく、いままでの公教育に対する疑問を解消してくれる一冊となっています。
「教育における自由」とはなんぞや、みたいなことも教えてくる内容で、この本を読んですっかりお二人のファンになってしまいました。
この本の中に「哲学とは何か」という記述がありまして、これがめちゃくちゃ腑に落ちてしまったんです。
引用にてご紹介します。
(前略)
ちなみに、ここでいう”本質”や”原理”は、「絶対の真理」といった意味の言葉ではまったくありません。それは、お互いの対話を通して、とことん追いつめて考え抜くことで見出されるべき”共通了解”可能な「考え方」です。
ですから哲学は、時折誤解されているように、「絶対の真理」を探求するものなどではありません。むしろ哲学は「絶対の真理」など(わから)ないということを、これまで力強く論証してきたのです。
ここではそのことを詳論する余裕はありませんが、真理ではなくできるだけ誰もが深く納得できる”共通了解”を見出すことこそが、哲学の使命なのだということは、読者の皆さんにぜひ知っておいていただきたいと思います。(P176)
この本によれば「誰もが深く納得できる共通了解を見出すこと」それが哲学、ということ。
こんなにもストンと腹落ちする説明に出会ったことがなかったので、めちゃくちゃ気分がよくなりました。
こうやって、哲学とは「考えること」から、哲学とは「真理だけでなくできるだけ誰もが深く納得できる共通了解を見出すこと」に定義がアップデートされたんです。
なぜ今、哲学が必要とされているのか?
最近、哲学に対するニーズが高まってきているように感じます。
「なんでだろう?」と考えると、
おそらく、現代に「絶対の正解がない問い」が溢れているからだと思います。
環境問題、格差問題、資源問題、人口問題、テロリズム問題、エネルギー問題など、ニュースなどでよく見聞きするこららの問題には絶対の正解というものが存在しません。
そして、このような類のものがホントに多い時代です。
それでも、社会をより良くしていくためには、なんとかして世界中の人々の共通了解を見出してくる必要がある。だから「哲学」なんだと思うんです。
2015年に国連が定めた「SDGs」なんかは、まさしく哲学的な思考が求められるものではないでしょうか。少なくともぼくはそう思います。
さいごに
最近、とあるブランドのプロデュースをしているんですが、そんな中での気づきをこの前ちょろっとつぶやきました。
フィロソフィーってのは要するに哲学のこと。ブランドを作る時にも大事なのはやっぱり哲学なんですよね。
考えていることややっていることが、あちらこちらで繋がり出していてなんか面白い感じ。
それでは今日はこの辺で。
いつもこのブログを読んでくださっている方々にとって、何かしらの参考になったら幸いです。