田中 新吾

ブランディングは地味である。

タナカ シンゴ

私は仕事柄「ブランディング」という言葉によく遭遇します。

というか、それを仕事にしたりしているので自分もよく口にしてます。

ということで、今日は自分が思う「ブランディング」とは?について少し書いてみたいと思います。

ブランディングは地味である

最近「ブランディング」という言葉が人やシーンによって色々な意味で使われているのを耳にします。

これはインターネットおよびSNSによって「個人」にまでその裾野が広がったせいもあるでしょう。

と同時に、これによって「この人、とりあえずブランディングって単語を使っているだけなのでは?」みたいな胡散臭さを感じることも増えた気がする。

そして、そういう人に限って「ブランディング」のことを「CI」とか「VI」のような視覚化されるものとして捉えており、本質を分かっていない気がします。

その人にとってのブランディングは目に見える「派手さ」や「かっこよさ」になってしまっている。

しかし、これも分からなくもありません。なぜなら、ブランドを勘違いしている節があるからです。

多分、そういう人のイメージを支配しているのは「高級ブランド」。

ブランドという言葉を浸透させるには一役も二役も買ったと思うけど、どうにも今となっては足かせになっている気がします。

確かにブランドというものは高尚で、直ぐに得ることのできるものではありません。

でも、すべての物事、あるいは全ての人がブランドを目指すことができるので、「高級」である必要はないのです。

ただし、そのために必要な「ブランディング」というプロセスは決して簡単ではありません。

むしろ、とても時間がかかり、なにより地味。

前にこんなつぶやきをしました。

自分のしたつぶやきの中では「いいね」がたくさんついた方なので、周りの人もそう感じるのだと思います。

ブランディングというのは、これと非常に似ている。

というかこれそのものだと個人的には考えていて、いたってシンプルだけど恐ろしく地味な営み。

約束を守って実績ができて、実績ができると信用されて、その信用がたくさん積み重なって信頼されて。

CIやVIも当然大切だけど、人格を伝える手段を決めただけであって本質ではないし、それでおわりではなくはじまり。

ブランディングというのは、良好な人間関係をつくるのと同じくらい「地味」なんだと思う。

地味だから当然、面白くないこともたくさんある。煌びやかなことの方がむしろ少ない。

でも、諦めずにずっと続けた先に「ブランド」がある。

ブランディングの役回りについては、こちらの記事を読んでもらえるとスッキリすると思います。

ブランディングは、決め・守り・攻めの3種類に分けて考える

DeNAでMERYやオセロニアのブランディングをやっていた方が、個人の経験に基づき書いている記事で腑に落ちるところが多い。

「ああ自分も意識していることだなあ」と最初に読んだ時に思った。

さいごに

ちなみに、約束というのは必ず守れるものではありません。

当然守りきれないこともある。

自分だってそうです。

だからそういうことを想定した全体の設計がブランドには必要になってきます。

この間、スラックがバグった時、アップデート時のコミュニケーションが少し話題になってましたね。

こうしたことも今の時代では「ブランディング」における重大な要素だと思います。

それでは今日はこの辺で!

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