情報を発信する時の二つのモチベーション。
どうも、田中新吾(@Shingo_tna)です。
巷ではタナシンと呼ばれています。
情報を発信する時のモチベーションは大きく二つあると思っています。
一つは「何かを発信しなきゃ」というモチベーション、もう一つは「これを発信したい」というモチベーションです。
今日はこの辺の話をすこし。
「何かを発信しなきゃ」では、気持ちのいい発信はできない
「何かを発信しなきゃ」は、普段からSNSやブログなどで何かを発信している人ならば、一度はもったことのあるモチベーションだと思います。
でも、このモチベーションで発信した時ってなんか気持ちが悪いんです。
これは多分「何かを発信しなきゃ」は、普段から何かを発信している人が、情報に対して受動的になればなるほど生じやすいモチベーションだからだと思います。
TwitterやFacebookのTLなんかは、このモチベーションを生じさせやすい場所の好例かと。
情報に対して受動的になっているというのは、他の誰かが作った情報をたくさんインプットしている状態なので、「何かを発信しなきゃ」とは思うものの、発信の源泉になっているのは「他の誰かが作った情報」であることの方が多い。
こんな感じで、誰かが作った情報をもとに発信をしているからどこか気持ちの悪さを感じるんだと思います。
気持ちのいい発信とは、「自分の思考や意見がしっかり入っている発信」あるいは「自分の思考や意見が含まれている割合が多い発信」なので、そうではないことをやっていると考えれば気持ちが悪いと感じて当然ですよね。
だから「何かを発信しなきゃ」と思っている時は、何とかその気持ちを抑えて「発信しない」方がきっといいんだと思います。その方が気持ち悪さを抱えずに健全にいられるはず。
「これを発信したい」は、能動的な姿勢の中から自然と生じるもの
一方、「これを発信したい」というモチベーションから生まれる発信は、とっても気持ちがいいものになります。
これは「何かを発信しなきゃ」は動機が外にあったのに対して、「これを発信したい」は動機が内側にあるからなのかと。内側にあるからしっかり自分の思考や意見が乗っかるんです。
こうやって考えると、できるかぎり「これを発信したい」というモチベーションで発信をしたいと思うのですが、ついついTwitterやFacebookを眺めていると「何かを発信しなきゃ」になってしまいがち。
「SNSを見るのはほどほどに」というのは、日々発信するようになってから余計に思うように僕はなりました。
ちなみに、「これを発信したい」というモチベーションは、「能動的な姿勢の中から自然と生じるもの」だと考えます。
だからこそ、自分から人に会いにいったり、自分からコミュニケーションを取りにいったり、自分からすすんで本を読んだりすることがとても重要になってくるんだと思っています。
現代は、自分が気をつけないといつの間にか受動情報が多くなってしまう社会なので、ここは鬼の気持ちでそういう可能性を断ち切ることも必要なのかもしれません。
例えば、Twitterを見るのはPCを開いた時だけにするとかです。
さいごに
この記事の元ネタはこちらのツイートです。
「何かを書かなきゃ」という意識でいるときほど、それでは発信にならないので、コミュニケーションをした方がいい。発信とは、コミュニケーションの中から自然と生まれる「これを書きたい」だから。
— 田中 新吾 (@Shingo_tna) April 18, 2019
ツイートだけだと言いたいことが全然言えなかったのでブログに書いておこうと思いました。
それでは今日はこの辺で。
いつもこのブログを読んでくださっている方々にとって、何かしらの参考になったら幸いです。