田中 新吾

「一人で居たい」と思えるのは幸せなこと。

タナカ シンゴ

昨日こんなツイートをしてみました。

早速、反応もいただきまして、ありがたいかぎりです。

と、いうことなんですが、今回はこれについて少し補足をしておきたいと思います。

「一人で居たい」と思えるのは幸せなこと

私はしょっちゅう「一人で居たい」と思います。

一人の時間が欲しい、一人になりたい、一人で居たいとよく思います。

でも、ふと思いました。

「一人で居たい」と思えるって「自分の周りに他の誰かの存在があるからだよな」って。

これはとても極端な例ですが、この世界にぼく一人しか存在していなかったとしたら、

「一人で居たい」なんて言葉が生まれるはずがありません。だって、一人しか居ないから。

というか「一人」という言葉すら生まれていなかったのではないでしょうか。

結局、自分の周りに支えてくれている誰かの存在があるから「一人」という言葉が存在し、

そして「一人で居たい」という感情が生まれているということだと思います。

こう考えると、「一人で居たい」と思えるということはとても幸せなことだと思ったんですよね。

これがいわゆる「孤独」という状態。

そして、ホントに辛いのは「一人で居たい」とも思えない状態になってしまうことだと思います。

つまり「孤立」です。

孤立とは、自分から関係性を断ち切ること

前にこんなツイートをしていたのを思い出しました。

孤立とは「自分から関係性を断ち切ること」だと私は思っています。

独自の考えは大切だと思うけれど、それにこだわりすぎると、ひととの関わりが削ぎ落とされてしまう可能性があるので十分に気をつけたい。

これを忘れずにしっかりと心に留めておきたいと改めて思った次第です。

自分がいまどんな「ひとり」か知るように心がける

孤独という「ひとり」は一人では感じることができません。孤独は、誰かの存在で確認するものです。

だからこそ、孤独というのは「人間である証」と言ってもいいのではないでしょうか。

そして、孤立は仲間が欲しいのに誰もいない「ひとり」のこと。

さらに言うと、孤高は誇りのある「ひとり」ということになります。

こんな感じで人間はいつも「ひとり」なんですけど、自分がいまどんな「ひとり」か知るように心がけることは

この先をよりよく生きていく上でとても大事なことなんじゃないかって、思うんですよね。

何かしらの参考になれば幸いです。

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