「かわいい」も「美しい」も美意識でいいじゃん。
「美意識」
今まで「アーティスト」や「デザイナー」のものという認識をしていたこの言葉が、最近ずいぶん身近な存在になりました。
それは、周囲にいる存在がこの言葉を頻繁に使うようになったのと、私自身も使うようになったからです。
世界のエリートまで鍛えているようなので、現代においては大切な考え方なのかもしれません。
個人的にはまだあんまり「なぜ」というところまでは突き詰めることはできていなく、答えらしいものはまだありませんけど。
ちなみに、この山口周さんの本は積読です。
すこし前に、ビジネスモデル図解のチャーリーさんのツイートに対してこんなリツイートをしたんですが、その時考えていたことを整理も兼ねて書いておこうと思います。
これめっちゃかわいい。愛おしいと思う美意識が、かわいい。尊いと思う美意識が、美しい。ピクトグラムへの美意識は美しいというよりもかわいい。 https://t.co/0Kti8QohoI
— タナカシンゴ (@ranger_blog) July 11, 2018
愛くるしい美意識か、尊い美意識か
ビジネスモデル図解で使うアイコンを量産しているというつぶやきだったんですが、これを見たとき「あ、かわいい」となんの混じり気もなく素直に思いました。普通にかわいい。
その時、ふと思ったのは何かを「かわいい」と思うことも「美意識」なんじゃないか?と思ったんです。
なんの根拠もありません。ほんとにふと、です。
とりあえず、この仮説を正しいものとして少しだけ思考の歩みを進めました。
そうしたら、
愛おしいと思う美意識が、かわいい。
尊いと思う美意識が、美しい。
こういうアウトプットに辿り着きました。
「美意識」というと「何かを美しいと思う気持ち」となって「美しい」「beautiful」をまずはじめに連想しがちです。
でも、もっと対象を拡げてもいいんじゃね?と思ったんですよ。
その方が自分の美意識について気付きやすくなりそうだし、幸せなんじゃん?と思いました。
かわいいも美しいも同じ美意識であって、同一直線上にあるもの。
違いは「愛おしい」と思う気持ちが強いか「尊い」と思う気持ちが強いかどっちかって話。
例えば、前にnoteでこんな記事を書きました。
この中で「富士山は美しい」ものの象徴的な話をしているのですが、これはまさに美意識です。
でも「愛くるしい」という感覚ではなく「尊い」。
だから「美しい」という表現になるのかと。
先のツイートの中に出てくるアイコン(ピクトグラム)は「愛くるしい」から「かわいい」です。
さいごに
「美意識」と辞書を引いてみました。
美,醜の評価が成り立つ対象一般に対する精神の活動ないし態度。それゆえ美的なものの創造,観照,批判を含む情緒的,直観的判断力を主体とし,ときに美的経験と同義に用いられる。経験心理学的には美意識は美的事実を内容とする意識をさし,H.コーエンに代表される先験心理学的立場では,美の生産を行う特殊な統一的意識をいう。存在論的美学では,理念としての美の認識を頂点とし,感覚的快美感を底辺とする構造の意識全体をさす。
とか言われても正直ぜんぜん分かりません。納得感ゼロ。
それにこの定義が書かれたのがいつなのか?ということもあるでしょうね。
随分と昔のものだとすれば「いま」使われ始めている美意識の定義からはもしかしたらだいぶ変わっているのかもしれない。
だから、自分なりに考えてその言葉の意味や定義を持つ方がいいんじゃないか。
きっとその方が、自分にとってその言葉が身近になり豊かさを感じるのではないか。
そんな風に私は思うんです。
例えば、サクちゃんのこれもそうです。
すごくきれいなものを見たときやおいしいものを食べたときに 誰かを思い出して見せてあげたい食べさせてあげたいと思う気持ちを愛と呼ぼう。
— 桜林 直子(サクちゃん) (@sac_ring) July 7, 2018
ここまで思考の過程を書いただけで、「それ分かる〜」という人がどれほどいるか皆目検討もつきませんし、まとまりの無い文章ですみません。
でも、読んでくれた人がいたら「ありがとう」と言いたい。
それではまた。