田中 新吾

誰かに「収穫を焦らせるような情報発信」はできる限りしたくない。

タナカ シンゴ

私は、誰かに「収穫を焦らせるような情報発信」はできる限りしたくありません。

例えば、最近見かけた以下の投稿は収穫を焦らせる類のものだと思いました。

AIに関連する最新情報ですから当然、役に立つ内容だと思います。

しかし個人的に引っかかったのは「今すぐ試してみてください」という部分。

このような言葉は収穫を焦らせる、と思ったからです。

皆さんにおかれましてはどのように感じたでしょうか?

かくいう、私は少し収穫を焦りました。

このような収穫を焦らせる系の情報発信は、最近に始まったことではありませんが、特に今は大AI時代に突入したこともあってこの手の投稿がSNSで際立っている気がします。

「これ、早くチェックしないと手遅れになりますよ」と。

これまでを振り返れば、私自身もしてしまっていることはありました。

でも、今は十分に気をつけたいと強く思います。

というのは、人は収穫を焦ると時間を短く感じてしまうからです。

私は2023年11月1日から、「タスクシュート認定トレーナー」として、時間を豊かに感じられるように周囲の方々をサポートすることを一つのミッションに活動しています。

その立場からすると、受け手が「時間が短く感じられてしまう」ような情報発信をしたり、関わり方をすることは、本来の使命に反しており、認定トレーナーとして失格だと考えています(本音)。

収穫を焦ると時間を短く感じることについて、最近読んだ本にとてもわかりやすく、納得のいく話が書かれていました。

歩く哲学という本ですが、時間についてめちゃくちゃ芯を食ってます。

スピードの幻想とは、それで時間を稼げると思い込むところにある。

計算は一見単純に思える。

三時間の代わりに二時間ですむのなら、一時間得をする。それが抽象的な計算にすぎないのは、ある一時間と別の一時間は完全に等しくはないからだ。  

急いでいる時、時間はどんどん速くなる。時間が飛び去る、

ということは、急いだその二時間のために、結局、一日の長さが短くなるということだ。時間を細かく分割して、その中をやたらと埋めようとしてみても、一瞬一瞬は破れ散ってしまう。詰め込みすぎれば、飽和するのだ。  

歩いて過ごした一日は、もっと長い一日に感じられる。

そういう日には、いつもより長く生きた思いがする。時間の継ぎ目に無理な力をかけず、どの一時間にも、どの一分、どの一秒にも、それぞれがゆったりと呼吸できるように、奥行きを持たせたからだ。

急げば、時間ははち切れてしまう。

ゆっくりやる、ということは、時間に寄り添うことだ。一秒一秒が、粒となって感じられるほどに。一瞬一瞬が、露となって結ばれてゆく。小雨が石へと降りかかる時のように。

時間がそんなふうにゆるやかに引き延ばされる時には、空間にも深さが宿る。

さて、いかがでしょうか?

他の例を出すと、学校のテストや入試も、焦ってやろうとすると、急いでやろうとすると、時間があれよあれよと過ぎていく感覚を得たことがある人はきっと多いはず。

言い方を変えれば、私たちが体感する時間というのは、1分=60秒の価値ではなく、長く感じる1分もあれば短く感じる1分もあるということ。

そして、ここには「焦り」や「急ぐ」が密接に絡んでいるのですよね。

長く感じる時間の使い方をしている人からすれば時間は豊かであるという感覚が強まります。

が、短く感じる時間の使い方をしている人からすれば「時間に追われる」「時間はない」という感覚が強まっていきます。

経験的に思うに、「時間がない」「時間に追われる」という感覚を慢性的に抱いていると、それは中長期的に見たときにQOLを下げる要因に間違いなくなる。

貧しい気持ちになりますし、常にストレスを感じているわけですから、人生の質に影響がないわけがない。

今の私は、誰かをこういう状況にしてしまうことに、加担するようなことはできるかぎり避けていきたいと強く思うのです。

ではこの思いはどのようにして顕現させようとしているのか?

これは以前書いた記事にあるとおりキーワードはスローメディア化です。

スローメディアとは、「時間に追い立てられず自分のペースでゆっくりと味わうことができるメディア」である。

少し補足をすれば、スローメディアが時間に追い立てられないのは、タイムラインのような形式をしていないから。

ゆっくりと味わえるのは、情報の文脈や視点が丁寧に示されていて、著作者とじっくり対話することができるから。

そんなスローメディアの代表格は「書籍」になるだろう。

対する概念となる「ファストメディア」もここで触れておきたい。

ファストメディアとは、

タイムラインの流れにのまれて、いつまでも見てしまい、FOMO(fear of missing out = 取り残されることへの恐れ)を感じてしまうメディア

といったもの。

その代表格はご存知、Twitter、Facebook、Instagram、TikTokといった「SNS」が挙げられる。

そして、何を隠そう今の私が「スローメディア」を支持するようになったのは「長い間、ファストメディアに触れてきた」というのが大きい。

触れてきた中で上のような感覚を強く身にしてきたのだ。

つまり、SNSをはじめ幾つかの情報発信メディアを運営するものとして目指したいところは、

収穫を焦らせるようなことはなく、自分のペースでゆっくりと味わっていただけるメディア

ファストメディアではなく「スローメディア」です。

そして、ファストメディアの代表格であるSNSにおいても、できるかぎりスローメディア化を目指したい。

例えば、Xのようなものでもです。

私が関与するメディア全体を統べるコンセプト・コピーは、好きな時に、ゆっくり見ていってください

繰り返しになりますが、人は収穫を焦ると、本当は豊かにある時間も、時間を短く感じてしまう。

だからこそ、そのような発信はできる限り避けたい。

ビジネスとしてはそっちの方が儲かるのかもしれないし、インプレッションを集めることができるのかもしれないけれど。

最近ちょっと気になることが続いたので、ここで自分の考えを書き残しておこうと思いました。

今回のお話が何かの参考になれば幸いです。

【著者プロフィール】

著者:田中 新吾

「歩くという哲学」は、この記事で取り上げた以外の部分もとても面白いです。

プロジェクト推進支援のハグルマニ代表。 お客様のプロジェクトの推進に必要とされる良き「歯車」になるがミッション。 現在は、大企業様、中小企業様、NPO法人様など複数のプロジェクトの歯車になっています。 ネーミング、習慣、コミュニティ、地域づくり、タスクシュート、白湯、情報化、情報処理が探求と実践の領域。

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