最初のドミノを倒す。
私がしている仕事は「企画」ごとが多いです。
根拠や仮説に基づき企画を立て、クライアントに提案をし、それを仕事としていただいています。
昔とくらべ今はこの割合が減っているのだけど、それでもやはり「企画仕事」というのは性に合っている気がします。というか好き。
企画の仕事をしているとそれはそれで気付くことがあり、自分なりに「これは勘所」としているものもがあります。
今回のタイトルにしている「最初のドミノを倒す」はそのうちの一つという位置付け。
普段、ツイッターでつぶやいていることの多くは仕事の中からの気づきだったりするので、今後、このブログで140文字からその話を広げてみるのもいいかもと思っています。
最初のドミノを倒すことに力を注ぐ
さて、何の企画でもそうですが「企画者がワクワクドキドキしていること」が一番にこないと「最初のドミノ」が倒れることはないと思います。
最初のドミノが倒れるかどうかは、お金でもなく、企画の内容でもなく、その企画者の「情熱」にかかっていると思う。
それで、ここで言う最初のドミノというのは「協力者」であることが多いと思います。
だから、私の場合、企画を作るときに協力者もワクワクドキドキしてしまうほどの情熱を自分が持てている企画なのかどうか、自身にしっかり問うようにしています。
そこまで情熱がないのであれば、上手く行かないのでやめた方がいいという結論もでます。
でも、この最初のドミノが倒れさえすれば、企画は一気に進捗する(ことが多い)。
ドミノ倒しというものは、最初のドミノを倒した時点でゴールまで辿りつくことがほぼ確定するものです。
だからこそ「最初が肝心」というのはその通りで、無数にある最初のドミノから「倒すドミノを選び」「そのドミノの前まで行く」ことに時間をかけ、そこに頭と体を傾斜するべき。
「倒すドミノ選び」はとても大事なこととして捉えています。
なぜならば、倒したドミノの先にドミノが無ければ1枚のドミノが「パタン」と倒れるだけで全体の変化は起きないから。せっかく倒したのに1枚倒れただけで終わってしまうのはとても残念です。
もしくは到底倒れそうにないドミノを選んでしまった時も大変。
これではせっかく良い企画を描いていたとしても一向に始まることはないからです。
だから僕は、最初のドミノを選びを「かなり慎重」にするようにしています。
でも、石橋を叩き過ぎかもしれないくらい慎重にしている傾向があるのはちょっと問題だとは思う。
そして「あのドミノにしよう!」と選んだとしても、そのドミノの前まで行くことが出来なければ倒すこともできません。こないだ倒した最初のドミノに関しては、そのドミノの前に行くまでに半年もかかってしまいました。
時間がかかったのは、選んだドミノに行くまでには少し険しい道のりだったから。
それでも無事に辿り着き、情熱が伝わり倒すことが出来たから結果的には良かったです。最初のドミノが倒れたことで、次々と今ドミノが倒れ始めている。
このドミノが倒れていく先を想像するだけでとても楽しい。
しかしやることは1枚1枚きっちりと倒していくことでしかない。
ちなみにこの「最初のドミノ」という喩えは、作家エージェンシー、コルク代表の佐渡島さん(@sady)の著書「ぼくらの仮説が世界をつくる」を読んでから以降、色々な場面で使わせていただいている。
その他にも気付くことは多く今でも時々読むのだが、これは良本だと思う。
さいごに
それにしても「最初のドミノ」という喩えはかなり馴染みやすい。
前に、waseiの鳥井さん(@hirofumi21)がコミュニティの在り方の話で「トトロのおなかのうえ」と表現していた。
これも「あーわかる!」となる秀逸な喩えの一つだと思う。
「トトロのおなかのうえ」という解釈はなかなか出来ない。これには超納得感。安心安全(おなかのうえ)があって、初めてイタズラやズルさ(飛び跳ねるあるいは熱狂)を獲得できるというメタファー。 https://t.co/5m4bhfptei
— 田中新吾/RANGER (@ranger_blog) February 16, 2018
こうやって、伝わりづらいものを伝わりやすくする「喩え(メタファー)」の話はまた別の機会に書いてみたいと思っている。
「メタファー(隠喩)」はなぜ必要なんですか?何で使うようにしているんですか?と聞かれたら「それは新しいことを世の中や誰かに伝えるためです」と応え、事例を付ければたいてい理解してもらえる。
— 田中新吾/RANGER (@ranger_blog) March 13, 2018