考えることと同じくらい諦めることも大事。
この間、こんなツイートをしました。
今日はこのことついて少しだけ補足しておきます。
考えることは大事
今更あらためて言う必要もありませんが、考えることは大事です。
考えを深めていけば今持っている目線ではない新しい目線が見えてくることがあるからです。
個人的な話をすれば考えることが趣味で、複雑にかんがえてシンプルにとらえるがモットーです。
それに考えるというのは意思決定においてとても重要な行為だとも思います。もしも考えることをしなければほとんどの意思決定は信じるしかありません。
意思決定が信じるしかないってのは危険な香りがプンプンする。
あとは、考えた時間の分だけやっぱり話の面白さは違ってくると思っていて、
そういう意味でもやっぱり考えることは大事だし、単純に楽しい。
諦めることも大事
でも、それと同じくらい「諦める」ことも大事だと思っています。
考え続けていれば何かしら光が見えてきそうな気がしますが、どんなに考えても見えない時は見えません。
そんな時に見えないものを見ようとして、それでも考え続けていると変な沼にハマる。
考えることが楽しかったはずが、いつの間にか考えることがストレスになります。
考えるのがどんなに好きでも、これでは元も子もないじゃないですか。だからそんな時は思い切って諦めるようにしています。引き際は大事。
それに、諦めたとしてもそのことをいつの間にか忘れて、ふとした時にまた考え出したりしていて、人間はちゃんとやり直せるようにできていると思うんです。
ちなみに、諦めることを仏教語では「明らめる」というんだそうです。これを知った時は目の前が少し開けました。
ただ、ツイートにも書いた通りで、考えもしないやりもしないのに諦めるのはよくないと思います。やってやって諦める。そして明らめる。そうありたいなと。
諦めたら試合終了ですよ。
by スラムダンク安西先生
これは本当にそう思うけれど、終わりは始まりでもあるのでとらわれすぎるのはよくないなと個人的には思うんです。
さいごに
最近考えるのを諦めたことは、愛と呪いについて。
株式会社Waseiの鳥井さんが以前書かれていたこの記事が結構好きなんです。
たとえ金銭的な対価を受け取ることができなかったとしても、誰からの評価も受けることができなかったとしても、人間が毎日淡々と続けられることは、愛と呪いだけ。
もちろん何かを表現する上でも同じことだと思っていて、本当に心から好きなことか、心から憎んでいることしか、人間は表現し続けることができないようになっているんだと思います。
本当に好きなことか、本当に憎んでいることしか続けられないというのは本当そうだなと思ったんです。この頃から愛とか呪いについて少し考えるようになりました。
過剰な愛が呪いになることがあるのは、愛が淡々と続けられることであることと、愛は多くの言葉を生み出すから。その言葉に囚われすぎた時、愛は呪いになる?
全然わからなくて、これ以上考えたら自分が呪われそうなので一旦諦めました。
愛と呪いは奥が深い。
それでは今日はこの辺で。