田中 新吾

暮らし感を獲得すること。

タナカ シンゴ

今日は「暮らし感」について。

30歳でつとめていた会社を退職し、地元に戻り、半社員半自営的なワークスタイルに変えたのも、実はこの「暮らし感」が影響しています。

なかなか書けなかったのですが、ちょうど昨日まで訪れていた地域で「やっぱり暮らし感だなあ」と思うことがあったので書いておこうと思います。

福井市殿下地区にて

昨日まで福井市の殿下(でんが)地区にいました。

人口400人のいわゆる限界集落です。

この地に最近Uターンされた方(Mさん)がいて、その一連の動きに関与していたので現地での状況確認やれ、今後の展開に関してざっくばらんに話し合いをしてきたんです。

Uターンされる方にくっついて、もう一人知り合い(Tさん)が移住を決める形となり、急激に殿下地区への親近感が増しました。人生何があるか分かりませんね本当に。

周辺を案内してもらい、夜は賑やかな宴会となりました。

そこで彼らが準備してくれたのがお手製のシシ鍋。

こちらに入っているシシ肉は、移住したトムさんがジビエ加工をしている人と一緒に捌いたものらしく、東京都内で500g、2,500円で売られているものらしいです。

ちなみに、昨日狩猟して昨日捌いたものなんだとか。

臭みは一切なく、脂身もまろやかでとても美味しくいただきました。

林業やったり、DIYしたり、この先の冬の時期は(おいしい)除雪仕事もあるようで仕事に困っている様子はなく、野菜などの食材は近所からたくさん届くのでこれまた問題なく、地区行事も盛んらしく、嬉しい悲鳴をあげていました。

近くには「武周ヶ池」という自然豊かな名所があったり、車で5分走れば日本海もあり、豊かな自然に囲まれた生活をしたい方には格好な場所だなと感じたんです。

そして、Uターン者やIターン者、関係人口的に関わる人も増えていて勢いがある。こういう「地域はこれから化けるなあ」なんてことを思いながら色々話を聞いていました。

この殿下での体験を通して思ったのが「暮らし感の重要性」です。

「暮らし感」という言葉は、僕自身が使っている言葉で特に辞書などには載っていないのですが、充足感のある人生を送る上で非常に重要なことだと思っています(仮説)。

暮らし感の定義はこれです。

暮らし感という言葉をもったのはいつか

それは2016年、「地球に暮らそう」という本を出されている加藤大吾さんの山梨県都留市のフィールドを訪ねて、人生で初めて鶏(ニワトリ)を捌いて食べるという経験をした時のことです。

小屋に入って鶏を捕まえ、サバイバルナイフで頸動脈を切り絞める。血が全て出切った後に羽をむしる。この時、熱湯に入れると羽がむしりやすくなると教わりました。

羽を全てむしり取った後は解体です。手羽先、手羽元、もも肉、ささみ、そしてレバー、砂肝、はつ、ぼんじり。僕たち私たちが普段お店で注文して食べている部位を自らの目で見て確認しながら取り出します。

シンプルに塩・コショウの味付けだけで頂くと、普段食べているブロイラー肉と違い弾力や旨味に大きな違いを感じました。平飼いで育った健康的な鶏肉はこんなにも美味しいものかと、今までもっていた認識を大きく塗り替えられた忘れられない日になりました。

この時から「暮らし感」という言葉を持つようになったんです。

暮らし感を獲得すること

殿下の話に戻すと、彼らの生活には僕が定義している「暮らし感」がありました。

シシ肉や野菜の話のとおり、生産と消費の距離が近く、毎日が命や生き物とのふれあいです。そんな彼らに、東京圏にいたころと比べて精神的な「豊かさ」があると感じました。

まだ生活をしはじめて2ヶ月も経っていない状況なので、この変化はあまりにも急です。

暮らし感を獲得することは豊かさに繋がる。そう言っても過言ではないのかもしれません。

20代〜30代が移住を目指すという記事を先日見かけましたが、いくつかある理由のうち「東京に暮らし感がなさすぎる」というのは結構大きな部分なんじゃないかと思っています。

かくいう僕自身、東京生活を離れ、埼玉県の地元(結構田舎)に戻ったのには、この「暮らし感を獲得すること」の重要性に気付いたからです。

暮らし感がない、あるいは少ない状態というのはいまいち健全でない気がしています。(それが悪だとは微塵も思ってはいません。)

だからこそ、この先の人生においても獲得した暮らし感を高めていくことを考えていきたいと思っています。今よりももっと。

さいごに

今日は長距離移動して島根県大田市にきています。

明日から待ちに待った「大森町」です。ということで、今とても昂揚しています。

参考記事:その土地に根ざす暮らしを考える。

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