田中 新吾

ドーパミン放出が過剰に求められる時代に、私はセロトニン放出で立ち向かう。

田中 新吾

あるSNSの投稿の「セロトニン」という言葉が目に止まって読んでみた。

内容は、抗うつ剤(セロトニンの伝達を増やすことで感情・思考・不安を安定させる薬)についてのもので、かなり専門的なものだった。

セロトニンは脳内で放出される神経伝達物質のひとつ。

セロトニンのことは「幸せホルモン」だと聞いたことがあったのだが、調べてみるとどうやらこの言葉は誤解を産んでいることがわかる。

心や体を「落ち着かせる」必要がある時、言い換えれば不安・緊張・イライラがあってストレスを感じている状態だ。

そんな時に、セロトニンは興奮しすぎないようブレーキ役として放出される。

だからそれによって急に幸福になるわけではないのだ。

さて今回のセロトニンの話は、

私たちは、やる気が出ないときに「怠けている」と言われる。

そしてそんな自分を「ダメな」人間だと思う。

でもそれは、本当に「ダメな」人間なのだろうか?

という以前からの疑問につながり、社会とのアンマッチをどう生きるか?にもつながる。

そして最後には意外にもブログを書く意義、にまで話は広がっていく。

セロトニンは抑制役

神経伝達物質には、ドーパミンやエンドルフィンもある。

◯ドーパミン

目標を達成した時、新しいことを学んだときや発見した時、好きなことをした時などに放出されるもので、やる気を出して行動するためのものである。

◯エンドルフィン 

運動や怪我、または強い緊張、恐怖を感じる時などに放出されるもので、痛みを和らげるためのもの。

◯セロトニン

日光を浴びた時、運動した時、規則正しい生活によって放出され、落ち着きや安心感を高めたり、思考や行動を抑制したり、さらには思考の柔軟性を保ったりするためのもの。

わかりやすく言うと、

ドーパミン:「もっと!まだいける!次!次!」と叫ぶ存在で、

セロトニン:「ちょっと座ろう」「今日はここまででいいよ」と言う存在とでも言おうか。

ドーパミンの抑制役としてセロトニンが存在している。

ドーパミンがないと何事も成しづらいが、ドーパミンばかりでは、壊れてしまう。

セロトニンが放出されると幸せというよりもやる気が出ないという感覚があるのは、セロトニンが抑制するものだからなのだろう。

このようにこれらの物質が循環することで我々の身体は上手くバランスが取れているというわけだ。

ドーパミンを安売りする時代

現代は情報があふれる豊かな時代だ。

無限に広がるネットやSNSには、エンタメ、広告、インフルエンサーの情報が絶え間なく流れ込む。

見るだけで「面白そう!」「やってみたい!」という刺激を受け、ドーパミンが絶えず放出される。

結果、ドーパミンはどんどん消費され、まさに“安売り”状態だ。

こうした状況に警鐘を鳴らす声もある。

私自身は極力シャットダウンしようとしているが、それでも知らず知らずに刺激を受け続けている。

幸せな時代とは思うが、その分だけ身体はドーパミンに偏りやすい。

さらに、こんなことも重なっている。

今の時代はどこまで残っているのかわからないが、昭和の時代は、「この根性無し!頑張れ!」という掛け声が当たり前だった。

これに鼓舞され続けたことで、私にはドーパミンを出し続けることが染み付いてしまっているのだ。

血糖値の上下動が身体に負荷をかけるように、ドーパミン過剰も同様に負荷になるような気がする。

そして、ひとつなるほどと思ったのが、身体は「ドーパミンが出すぎているな」と自動で判断してセロトニンを増やすことはないということ。

私たちは自身が意識して生活習慣や運動で調整する必要がある。

それをしないでいると、頑張れば頑張るほど、さらにドーパミンの方に偏ったままになるというわけだ。

日常を振り返ってみると、ハードに働いた翌日、私はゴミ出しひとつとってもやる気が出なかったりする。

これはセロトニンが「身体を休めろ」とサインを出している状態だ。

以前の私はそれを「自分はダメだ」と捉えてしまっていたのだ。(何ともナンセンスなことだ。笑)

ドーパミン過剰に対抗する

さて現代は、良かれと思って行われていることの積み重ねが、結果としてドーパミンをどこまでも絞り出す社会を形づくっているようにも見える。

このような社会に対して、ドーパミン過剰を抑える仕組みは自然には働かない。

こんな身体の構造を持つ私たちは、どう生きるべきだろうか?

そう言えば、ここ数年、私はオリンピックというものを見なくなった。

開会式が凄かったと後で周りから聞いたりするが、それも見ない。

これはもしかしたら無意識に、ドーパミンの安売りをしないようにし始めたのかもしれない。(完全に後付けだが)

それはともかく、このような情報断ち、最近でいうところのスマホ断ちもひとつの方法なのだろう。

そして、まずはやる気が出なかったらそのままにすることだ。

セロトニンからのサインだと認識する。

この当たり前のような、しかも簡単なことが、どれだけ難しいものだろうか?

少なくとも私にはそう思える。

それは共同生活や社会がルールとして縛っているからでもあり、私で言えば楽をしたらダメになる、という教えを信じてきたからなのだろう。

それでも、難しいと感じながらも、できるだけサインに従うことなのだと思う。

ちなみに、最近言われている、30分集中、10分休憩などの仕事法のことも神経物質の放出を考えると、理にかなっていると納得するのだ。

セロトニンを意図的に増やす

さて、ここまで来て、規則正しい生活、運動、サインに従うなど、大して意外性のない解決策しかないのか?と思った時、別の発見があった。

セロトニンが出ると心や体が落ち着き、思考が柔軟になる。

そして研究によるとその逆で思考が柔軟になってもセロトニンが増えることが示唆されている。

思考が柔軟になるとは、例えば、普段なら「こうでなければ」と決めつけてしまう場面で、少し視点を変えて「別のやり方もあるかも」と考えられること。

思考が柔軟になると心の安心感につながり、セロトニンを放出する。

このように行動と思考の両方から、セロトニンが手に入るようになったのは、進化の過程で生き延びるために備わったシステムなのだ。

つまり、思考によってもセロトニンをコントロールできるということ。

衝動的に「今すぐやりたい!」という気持ちが強まるドーパミン。

一方、セロトニンは思考に影響されるのだから、正反対の性質を持つ存在。

逆から見てみる。

頑張る=ドーパミンが放出される時、人は思考が柔軟でなくなり、感情が不安定になるということだ。

例えば、締め切り前に必死に作業していると、他のやり方を考えられずイライラしやすいような状態。

ドーパミンが働くから頑張れて成し遂げられるものが多いのだろうが、そこにもトレードオフがある。

人は思考の柔軟性がなくなったり、感情が不安定になることを避けられないものなのだ。

だから、そこから戻るには意図してドーパミンの放出を抑える必要があるというわけだ。

固定観念とセロトニン

最後に、これまでこのブログでは、固定観念を外すことをテーマに何度も書いてきた。

これまでに疑ってきた固定観念は、自分の中の常識、正解、社会的役割、合理的、言葉など、多くのものだ。

例えば、人は社会的役割(親・社員・上司など)から抜けられると40歳過ぎから本当の自分になる。

ブログを書いてやっと、社会的役割がどれほど部分的なものであるか、はっきりした。

このようにして、自分の固定観念を溶かし続けてきたわけだが…。

これらが、まさに今回の思考を柔軟にすることそのものである、とつながったのだ。

とすると私のブログは、セロトニンを放出するためにあったのではないか?

知らない間に、ドーパミン過多に対してバランスをとっていたのかもしれない。

ブログを書くことによって、セロトニンを放出している。

ならば現代に生きる者として、目的はそれだけで十分ではないか!

私はセロトニンを放出するためにこれからもブログを書くことにする。

UnsplashTschernjawski Sergejが撮影した写真

【著者プロフィール】

RYO SASAKI

ブログを書くことと、健康、幸せが少しつながったように思えて良かったです。

工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。

現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。

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