田中 新吾

「最初と最後」からは絶対に「手間」を抜きたくない、という話。

田中 新吾

最近、以下のようなXの投稿を見かけました。

これを受けて、皆さんはどんなことを考えたでしょうか。

私は投稿内容に首がもげるほど共感しました。

一体なぜ私が首がもげるほどに共感したのか?

個人的に非常に重要なことだと思うため、今後のためにも書き残しておきたいと思います。

最初に言ってしまうと、本記事の主張はタイトルにある通り「最初と最後」からは絶対に「手間」を抜きたくない、です。

私たち人間にとっては「最初と最後」がとても大事

まず、「私たちに人間にとっては最初と最後がとても大事」という話からいきます。

ご存知の方もいるかもしれません、私たちには「最初と最後が大事」という感覚が備わっています。

いくつかの根拠となるものを見ていきましょう。

タイポグリセミア現象

タイポグリセミア現象というものをご存知でしょうか?

これは、「人は最初と最後の文字さえ合っていれば、順番はめちゃくちゃでもちゃんと文字を読める」という現象です。

例えば、こんな文字列。

ぶんょしう

ありめか

おそらく、あなたは「文章」「あめりか」と読めたはずです。

これは脳が最初と最後さえ合えば、間は何であっても価値を認識できるということ。

逆に、最初と最後がぴったり合わないと気持ちが悪くなる。

2018年に、富山県高岡市にある老舗どら焼き店「中尾清月堂」の広告が話題になったことがありました。

広告の文字を入れ替えたら、という奇を衒うような内容ですが、それは「タイポグリセミア現象」という根拠に下支えされていたという話です。

初頭効果と親近効果

さらに、認知心理学における「初頭効果」と「親近効果」という話もあります。

これは端的に言えば、「人は最初と最後の記憶がもっとも残る」というものです。

例えば、「パンダ、ライオン、ウサギ、オラウータン、ネコ、キリン、シロクマ、ペンギン、トラ、チーター、コアラ、イヌ……」と動物の名前が羅列されているとします。

この時、時間を空けて思い出すと、「パンダ、ライオン、ウサギ」と、「チーター、コアラ、イヌ」は思い出せても、中間の「ネコ、キリン、シロクマ」あたりは思い出せない人が多いのではないでしょうか。

人の記憶は、最初と最後は定着しやすいものの、真ん中あたりは覚えづらいのです。

試験勉強を一晩かけてしたのに、大部分はあまり覚えてない……

と焦った経験がある人も多いと思いますが、これも初頭効果と親近効果が原因です。

物理の世界でも

面白いことに、物理の世界でも最初と最後が大事という話があります。

木材は、最初と最後が「芯芯(シンシン)」であっていれば、間が曲がっていても問題がないというもの。

日本の伝統的な大工技術には、「規矩術(きくじゅつ)」という高度な幾何学があります。

  • 芯墨(しんずみ): 木材がどれだけ曲がっていようと、大工はまず木材の両端に芯を決め、そこに糸を張って真っ直ぐな基準線(芯墨)を引く
  • ホゾ加工: 接合部(ホゾ)はこの芯墨に基づいて作られるため、組み立てた段階では、構造体として真っ直ぐな仮想の軸が通ることになる
  • 外見が曲がっていても、骨組みの設計図上は直線として扱われている

つまりは、芯芯とは、木材の中心部分のことで、ここが合っていればば、途中が多少歪んでいても建築材として十分に使えるということです。

素人にはまっすぐに見える木材であっても、自然のものですから、やはり多少は歪みや曲がりがあるのですよね。

日常の実感

自分に引き寄せて考えてみても、この感覚は非常に強くあります。

例えば、イベントの始まりがグタグタだと全体としてもいまいちだし、締まりが悪いと後であんまりいい気分にならない。

旅のはじまりと旅のおわりさえ良ければ、その旅は良かったと感じる。

古くから言い伝えられている「最初が肝心」と「終わりよければ全て良し」というものですね。

多くの人が身に覚えがある感覚ではないでしょうか。

最後については、行動経済学の始祖の一人ダニエル・カーネマンの「ピーク・エンドの法則」も思い出します。

「ピーク・エンドの法則とは、記憶に基づく評価は、ピーク時と終了時の苦痛の平均でほとんど決まる。」というもの。

ここでも最後の重要性が分かると思います。

以前、デザインイノベーションファーム Takramの田川欣也さんも以下のようなことをおっしゃっていました。

人間には最初と最後、最低と最高という感覚がある

随分前のポッドキャスト番組「TakramCast」で聞いた話でしたが、当時、自分の経験からも大きな納得感を得たのを今でも鮮明に思い出します。

このように、「最初と最後が大事」という感覚は、さまざまな根拠によって支えられている私たちに強く備わった感覚だと言っていいと思います。

だからこそ、私は「最初と最後」にめちゃくちゃ力点を置いていたりします。

なぜスライドをAIで作ると非難を浴びるのか?

ここで冒頭の話に戻ります。

NoteBookLMのスライドで発表したら非難をめちゃくちゃ浴びた。

ということでしたが、前述の「最初最後」の話を通して考えますと、これはスライドが、相手とのコミュニケーションの「最初」になるからだと思います。

プレゼンターからすれば、そのスライドの発表を通して、それ以降の関係構築を図る、仕事をもらう、前に進めるなど目的があったことでしょう。

一方の発表を聞く側は、そのスライドを見るのは初めてで「最初」だったわけです。

しかし、大事な「最初」にAIによって作られたものが出ててきた。

いくら見た目が整っていても、そのスライドはその人の手が入って作られたものではなく、AIによって作られたもの。

「え、手抜きじゃん」

こう思うのが普通の人の感覚ではないでしょうか。

少なくとも私はこう思います。

こうなってしまうともうその後の内容は全く入ってこない。

最初で滑る。

だから、当然、最後も現れない。

そうなると、最初と最後の「間」が立ち現れてこないため、結果として「間抜け」になってしまう。

間抜けなものが相手の心に響くかどうか。

この結論は考えるまでもないのではないでしょうか。

冒頭のXの投稿に対する私の意見はこうです。

最初と最後に手を抜くのは間違いなく相手の評価を大きく下げる悪手。

ディスブランディングです。

そう思っているからこそ、ちょっと前にタイムラインに流れてきた投稿にも強く共感しました。

SNSやインターネットを利用している以上、この状況を完全に防ぐことは出来ません。

ですから、見かけるたびに「自分は「最初と最後」を大事にしよう」と反面教師的に捉えるようにしています。

最初と最後からは絶対に「手間」を抜きたくない

80:20の法則で捉えると「最初と最後」は、プロセスが生じるものの全てにおける「20」だと私は思います。

つまりは、最初と最後という20が、80という大きな結果をもたらすということ。

こういう関係にあると思っています。

タイポグリセミア現象や、木材の話にあったように、最初と最後がしっかり存在し、合ってさえいれば、その間は極論どうなっていてもいい。

命を注ぐべきところは間違いなく最初と最後。

私があらゆるプロジェクトの最初・序盤で、関係者の「不安を取り除く」ことに奔走するのは、そこが最初であり、20だと強く思っているからです。

思うに、この「最初と最後が大事」という私たち人間が強く持ち合わせる感覚を大前提に、AIは活用した方がいい。

そうしなければ、AIを使うことによって大事なもの手放すことになりかねません。

最近、見るからに「AIでしょ(手抜きでしょ)」と分かるスライドや、Xの投稿がとんでもない加速度で増えてきている。

そのような投稿を見かけるたびに、ドラッカーの「人間関係は効率化できない」という話をまた思い出したりします。

昨年末に話題になっていた以下のnoteにも大変共感を受けました。

たった1枚のスライドで数億円の案件が決まる、アクセンチュアで学んだ「大きな絵」の描き方

そもそも「今更スライド?」と思う人もいるかもしれません。「スライドなんて、AIで作れるじゃん」と。

それでもアクセンチュアでは、美しい(これは審美面だけでなく、ロジックの美しさも含まれます)スライドを書くことに命を懸けていました。

それは、スライドを「お客さんとのコミュニケーション」だと捉えていたからだと思います。

コンサルが作った提案書は、多くの場合、担当者が上司や役員に対して施策を説明するときに使われます。

そのときに、どんな資料だったらうれしいでしょうか? AIで適当に作ったようなスライドよりも、誰が見ても「いい提案だ」とわかる美しいスライドのほうが、自信を持って説明できるはずです。

スライドの美しさは、相手への「思いやり」なのだと思います。

効率化は大切ですが、お客さんとのコミュニケーションには効率を持ち込むべきではありません。

もちろん、AIでスライドを作ることを否定はしません。AIを使うとしても「こういうふうに伝えたらわかりやすいだろうな」という意図がしっかりと反映されていることが重要です。

最初と最後からは絶対に「手間」を抜きたくない。

なぜなら、私たち人間には「最初と最後が大事」という強い感覚が備わっているから。

自分が大事にしたい信念の一つとして据えつつ、今後も精進していきたく思っています。

今回の記事は以前書いた「五間を大切に生きる」にも関連しますので、併せて読んでいただければと思います。

関連記事:「五間」を自分の中でどのように生かす事ができるかを考えて生きる、という話。

「最初と最後には絶対に手を抜かない」は、1日のタスク(ファーストタスクとラストタスク)においてもめちゃくちゃ意識しています。

それをすることによって1日は充足感に満ちると思っています。

また、「上流が大事」という考え方とも繋がっており、私が「名前」に並々ならぬこだわりを持っているのは、名前がコミュニケーションの「最初」になることが極めて大きいからです。

今回のお話が、みなさんの視点やコミュニケーションの向き合い方に、新たな気付きをもたらすきっかけになれば幸いです。

UnsplashJukan Tateisiが撮影した写真

【著者プロフィール】

著者:田中 新吾( X / note

最低と最高(最上)という感覚についても今度機会があれば書いてみたいと思います。

◼︎ ハグルマニ(プロジェクトコンプリメンター)
◼︎ 命名創研(命名家)
◼︎ 栢の木まつり 実行委員会
◼︎ タスクシュート認定トレーナー

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