RYO SASAKI

「寿司の口」が導いてくれた、個性を深掘ることの意味について。

田中 新吾

テレビでグルメ番組が流れたせいか、成人の日の昼は、妙に”寿司の口”になってしまって、私にしては大変珍しいことだが、寿司屋を目指すことにした。

ところが、お目当ての老舗は通常ならば営業する曜日のはずが、祝日で休み。

2軒目も休み。

3軒目は、大人気の回転寿司で・・・あまりにも待ち時間が長いので断念することになった。

さて、この”寿司の口”はどうしたものだろうか?

こんな時、私という者は過去にどんな判断をしてきただろうか?

そんな疑問が浮かんできて、昔から”◯◯の口”になっても容易く変更していたことを思い出した。

今回の店に入れないようなケースは、こだわらずにあっさりと別の食べ物に変更できる。

それが、私の個性というものなのだろうか・・・。

そんなことが頭に思い浮かんだ時、どうやら私の天邪鬼が発動したのか、

今回はその逆をやってみよう!

そう思い立って、4軒目を探し当てて無事”寿司の口”を満たすことができたのだった。

この出来事は、実に取るに足らないことだ。

だが、最近あった何か別のことが、これと似ていたように思えて、妙に気になったのでその別の何かを探してみることにした。

個性というもの

「別の何か」の前に、「個性」というものについて続けてみる。

”◯◯の口”になった時、どこまでこだわるか?、あるいはこだわらないか?

これも人の個性のひとつであることは間違いないのだが、表面に現れている部分の違いだけで分けていいのだろうか?

こだわらないのはなぜか?

例えば、そもそも食へのこだわりがないからなのか?

あるいは、時間がもったいないとか面倒くさい方が勝るから、こだわらないのか?

気になっているのは、この「こだわらない」という行動そのものではなく、その奥にある理由。

さらに、「なぜ面倒に感じるのか」と掘り下げてみることで、後天的に作られた個性の可能性に気づく。

本来持っている個性ではなくて、時間に追われる忙しい環境に長い間晒されてきて、その環境に適応することでできた個性なのではないだろうか?

はたまた、自分が主張するよりも人に合わせるような性格が影響しているのではないか?

家族含め周りが主張する人ばかりだったりしたら、その環境に適応して人に合わせるようになったりもする。

環境によってできた個性。

自分を眺振り返ってみると、これまでの自分に現れた”◯◯の口”になった時の個性は、環境適応、いわゆる大人であるために制御したこと、それに加えて忙しい環境が長かったことによって作られた個性のような気がして仕方ないのだ。

本来の自分は、”◯◯の口”になったら絶対に譲れないくらいにわがままなのではないのか?

それを我慢によってひっくり返したんではないか?

もちろん個性は、持って生まれたものと環境適応によるものとのミックスであることは間違いないのだが、なぜだが私の天邪鬼はその制御によって作られた個性への反抗をはじめて、本来の個性を解放しようとしているように感じる。

言葉がいらない人たち

さて、冒頭の”寿司の口”の時に現れる個性、これに似ている別のこと。

それは最近会った3人の人にたまたま共通する話にあった。

ひとりは投資家、ひとりは音楽家、ひとりは整体師で、全く別の仕事をしている。

年末にそれぞれに会う機会があった時、3人が打ち合わせでもしたかのように同じことを話してくれた。

投資家は、ウーンと考えて、多分そこで頭をフル回転していて、複数の投資先とその割り振りをアドバイスしてくれる。

言葉になる前の思考をいつも激しく繰り広げているのだ。

結果だけを聞かされた私には、とても理解できないブラックボックスがあって、どういうこと?どうして?と私はいつも質問ばかりしている。笑。

そんな人が、後輩の育成のためにもっと話が上手くなりたいのだと話す。

音楽家は、自分の曲をいろんな人に知ってもらうためのPR文を作りたいのだが、やる気が起きずになかなか進まないのだ、と話す。

また、整体師は、お客様の改善事例を会社で集めることになったのだが、普段は直感で悪いところを感じて、更に感覚に自分の基づいて施術をしているので、それを言葉にするのが難しくて締め切りを遅らせてもらっているのだとか・・・。

みんな、日頃言葉にする必要がない才能の持ち主であって、私の方はと言えば、それを羨ましく思っているのだが、そんな才能ある人たちにも、急に言葉が必要になるタイミングがやってきた、ということのようで・・・。

人生とはなかなか楽をさせてくれないものだとも思う。

ともかく、この才能の持ち主たちの話に、私は個性というものを感じたわけで、”寿司の口”の時に現れる個性とリンクしたのだった。

彼らの話を聞くと、若い頃からその感覚を持っていたことがわかって、もともと持って生まれた、先天的な個性を生かして活躍している人だ。

そして、これまであまり必要ではなかったからか、これまで開拓しなくてもよかった言葉の領域。

環境適応をすることで、これから後天的な個性をどれだけ作り上げていくのだろうか?

これに対して、環境適応によってできた”寿司の口”になった時でも他のものに替えられるという私の後天的な才能?笑。

私の後天的に対して、御三方の先天的な個性が、真逆の別物に感じられたのだった。

先天的な個性を探し求める

彼らが言葉にすることについての課題を私に話してくれたのは、私が逆にペラペラと話すから、対比として現れたのは当然のことだ、と解説してくれた人がいる。

まあ確かに、私は会話の中で、「それってこういうことですかね?」などと自分の理解のために聞き直したり、別の言い方で確認したりすることはよくある。

では私がベラベラと話すのは個性なのだろうか?

個性だとすると、これは先天的なものなのだろうか?後天的なものなのだろうか?

仕事によって不感症になった(上記3人と違って感覚を抑制するべき仕事が多かったので)から、感覚を取り戻すための手段として感覚を文字にしたり、言葉にするようになったと思うのだが・・・。

些細な違和感を持ってそれを覚えているのは先天的なもので、それを文字にするのは後天的なものではないだろうか?

そこら辺は、まだまだ探求が必要なのだと思う。

ともかく、このことも然り、私が”寿司の口”になった時にどういう行動をするのか?そこに引っかかって、そこから個性が気になったのも然り、その根底に先天的個性に対する興味が強くあったことがよりハッキリした。

それはなぜなのか?

後天的才能は強制がそこに必ずあるのでどこか消耗が激しいと感じるものであって、先天的才能を活かす方が負担が少なく長持ちするようにまずは思う。

後天的才能の獲得にはコストがかかり、その一方では先天的才能の自然な発揮は持続性が高い。

そしてそれよりも何よりも、持って生まれたものを活かすこと、これを一度は経験して終えたい。

せっかく唯一無二のそのように生まれてきたのだから・・・。

自分本来の個性を知ることで得られるものは、まだ他にもあって・・・

本来の個性を知ることが自分の個性を好きになることの入口になる。

その個性を認めて好きになると、自分を尊重することにつながるわけで、自分を卑下して生きるよりよっぽど苦しくなくていい。

そんなようなことが、先天的な個性に惹かれた理由ということになるのだろう。

今さら、自分の先天的な個性を探し求めるのは遅きに失しているし、今さら自分探しをしているオッサンは見るに堪えないだろうが、私は探求せざるを得ない感覚が体のどこかにある。汗。

更には、自分もそうであるように、先天的な個性を忌み嫌って生きてきた人が圧倒的に多いように感じるところからきている面もある。

(作曲できるなど明確に才能と言われる個性ばかりを人は持って生まれてくるわけではないので)

なので自分と同様に他人の先天的な個性を知ることは、他人がその人の先天的な個性に寛容になり、その個性が好きに変わることの手伝いができるのではないか?

そんな大きなお世話のようなことも思ったりする。

以上のようなことから、私は他人に対しても個性を見つめて、先天的な個性と後天的な個性をそれぞれ探りながら、他愛もない話をしていきたいと思う。

”寿司の口”がこの結論に導いてくれた。

キレ芸と後悔の歌

最近、個性についてある人から言われてこんな気づきがあった。

それは、キレ芸の人気お笑い芸人さんと大人気ロJpopバンドのアーティストが同類であるということ。

不快なことを子どものようにすぐに口に出して文句を言う、いわゆるキレ芸のお笑い芸人さん。

これに対して若い頃に恋人に対して酷いことしたこと、その後悔を歌詞にして曲を作るアーティスト。

芸人さんは、大人になり切れてない、一般的に言えば短所というものは、周りが矯正していく一方だから、結果誰もやらないようなオリジナルなことになり、それが後天的に作り上げてきた話術と組み合わさって、人気を博す。

アーティストは、若い頃の後悔など、40代までウジウジと引きずらずに前を向くものだが、その誰もが忘れているようなものを忘れずにいたから曲ができて、その曲が多くの人の感動を呼ぶ。

この2つの例は、短所と言われるような個性を価値にまで昇華させたもの、という意味で同様の構造を持つわけだ。

もちろん、短所のままだけで光ることはないから、後天的な努力も必要ではあるが、短所と言われる個性までもが、人生を光輝かせるものになりうる。

私はあらためて人それぞれが持つ個性を見つめ直していきたいと思ったのだ。

これは、芸人さんやアーティストのように人気者やスターを目指すというのではなくて、ただ日々楽しく、自分らしく生きる、という目的のために。

皆さんも、個性の棚卸しをしてみましょう!

そして、自分の短所を忌み嫌うだけに終わってしまうことのないように!

UnsplashTadahiro Higuchiが撮影した写真

【著者プロフィール】

RYO SASAKI

個性を社会に融合させることがひとつのゴールなのかもしれません。

短所が社会に融合したら人生ゲームの上がりですかね。

工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。

現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。

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