田中 新吾

豊かさとは、身の回りに「語れる」を増やすこと。

タナカ シンゴ

僕は「豊かさ」をつくるのは「楽しさの自給率」だと考えています。

豊かさは「選択肢の多さ」である、というのを良く耳にする。

しかしながら、選択肢が多くあってもそれを選ぶことができなければ豊かではないことを考えると、そこに賛同できない自分がいる。

少ないよりは多い方がいいが、選択肢の多さで豊かさが作られるとはやっぱり思いにくい。

一方、楽しさの自給率というのは、選択肢に拠らず、個々のクリエイティビティに拠る

目の前にある物事から、楽しさを作る考え方で、それが豊かさ。

これからの時代を考えると、自分としてはこっちの(定義の)方がしっくりくるので、この考え方はこれから先もきっとブレることはないんだと思う。

そして、最近こんなツイートをしてみた。

このツイートをした後にふと思ったことがある。

それは「語れる」ということも、まさに「楽しさの自給率」を高めることだということ。

「子供」や「料理」、「電車」や「アイドル」。

誰しも一つや二つは、何かしら「語れる」を持っていると思う。

僕の場合、それが燕三条や大森町という「地域」であったり、たのかんや母屋という「小料理屋」であったり、MOTHERHOUSEやIKEUCHIORGANICといった「ブランド」であったりする。いずれにしても共通しているのは、それらについて語らせてもらっている時、もの凄く楽しい気分になっているということ。

つまり、これは「語りながら楽しさを自給している」ということなんだと思う。当然、暑苦しく語る僕の目の前に、聞いてくれている方がいて生まれている楽しさなので、相手には心の底から感謝したい。

そして、ここから先はいたってシンプルな思考だ。

どういうことかというと、「語れる」が楽しさを自給し、豊かさを生むならば、身の回りに語れるものを増やせば増やすほど、豊かさは増幅していく。ということかと。

だから、豊かな気持ちになりたいと思ったら、ひとに語りたくなるものをつくり、ひとに語りたくなるものを買い、ひとに語りたくなるものを使い、ひとに語れるものを食べ、ひとに語れるところに行き、ひとに語れることをする。

とにかく、身の回りに語れるを増やしていくことを意識して行動するのがいい。

自分の過去のツイートを遡ると、無意識的(言語化できていない)だったけど「語れる」を増やすを意識していたのが分かるものがあったので参考までに載せておきたい。

こんな感じで「語れる」について考えを巡らせていたら、他にも気づくことがあった。

それは、「語れる」を選ぶことは、同時に暮らしから「後ろめたさ」を排除することでもあるということ。そして、今、世界レベルで人気を集めている片付けの「こんまり」的にいえば、「スパークジョイ(ときめく)」を選ぶことでもあるということ。

選択したものの積み重ねによって未来が作られるのであるならば、「語れる」を選択し、増やしていくことは、きっといい未来つくることでもあるのだと思う。

最近は、ワインについて「語れる」ようになろうと考え行動をしはじめた。本を読んだり、調べたり、飲んでみたり、知ったことをつなげて知のフィールドを作ったり。

これは、語れるをつくるのと同時に、何かにハマるための自分なりの仮説の検証でもある。

豊かさとは、身の回りに「語れる」を増やすこと。

今日のお話が、いつもこのブログを読んでくださっている方々にとって、何かしらの参考になったら幸いです。

それでは今日はこの辺で。

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