田中 新吾

「過程で生まれたものを、捨てずに別の価値にする」という仕組みに、「美しさ」を感じてしまう。

田中 新吾

先日、人生で初めて金沢を訪れました。

ひがし茶屋街、金沢城、兼六園、近江町市場….

どの場所もそれぞれに味わい深く、英気を養う素晴らしい旅だったのですが、私がこの旅でもっとも強く心を動かされたのは、観光名所そのものではありませんでした。

それは、金沢という地域に息づいていた、ある「仕組み」との出会いです。

何かというと、

「過程で生まれたものを、捨てずに別の価値にする」 というものです。

この仕組みに、私はどうしようもなく美しさを感じてしまいました。

というわけで、この記事では、金沢で出会った2つのエピソードと、そこから見えてきた「過程で生まれたものを、捨てずに別の価値にする」の美しさについて、考えたことなどを書き残しておきたいと思います。

金箔の製造工程から生まれた「あぶらとり紙」

ひがし茶屋街を歩いていると、あぶらとり紙の専門店「うつくしや」が目に入りました。

あぶらとり紙といえば、なんとなく京都のイメージがありました。

しかし、そのルーツは実は金沢にあったのです。

軽く衝撃を受けました…

金沢は全国の金箔生産の99%を担う一大産地。

金箔を作る過程では、純金を1万分の1ミリまで薄く延ばすために、雁皮紙(がんぴし)という丈夫な和紙で金箔を挟み、専用の機械で何度も叩き上げます。

この「箔打ち」に使われた和紙は、何度も叩かれることで表面が極限まで滑らかになり、繊維の密度が高まって、余分な皮脂を一瞬で吸収する性質を持つようになる。

この役目を終えた紙は「ふるや紙」と呼ばれます。

金沢の金箔職人が京都に金箔を納めに行く際に、お土産としてこの「ふるや紙」を芸妓さんたちに配ったところ、お風呂あがりのようにさっぱりすると人気を集め、やがて芸妓さんたちのお気に入りの化粧道具になったんだそう。

そして1970年代、金沢の金箔メーカー「箔一」がこの「ふるや紙」に注目し、特許技術である「金箔打紙製法」として初めて商品化。

こうして、金箔の製造工程で生まれた副産物が、捨てられることなく「あぶらとり紙」という別の価値に生まれ変わったのです。

この話を知った瞬間、私の心にじわっと広がったのが「美しい…!」という感覚でした。

おでんの残り汁から生まれた「茶飯ごはん」

同じ日の夜、金沢おでんを食べに「勝一」というお店に足を運びました。

宿から20分くらい歩いたところにある、大勢のシニアスタッフと数人の若者によって切り盛りされているとってもアットホームなお店です。

1Fは私の大好きな厨房の見えるカウンター席。

2Fは団体客向けのお座敷席になっているようでした。

終始お客さんが代わる代わる訪れて、常に大繁盛。

一人で来られている女性客もいましたね。

ロールキャベツ、蓮根入り団子、白子天ぷら、のどぐろの天ぷら、牛すじ。

日本酒の加賀鳶も熱燗でたらふく飲みました。

常に心が動かされる瞬間ばかりだったのですが、特にやられたのが、締めに出てきた「茶飯ごはん」でした。

これは、おでんを作るために使われていた汁の残りを使って炊き込まれたご飯で、漬けものと一緒に食べることができます。

いぶりがっこと一緒に炊き込まれていて、これが本当に優しい味で美味しかったんです。

そして、味ももちろんですが、それ以上に心が動いたのは、偶然にもここにもあの「仕組み」があったこと。

おでんの過程で生まれた汁を、捨てずにご飯を炊き、別の価値にしている。

ひがし茶屋街の金箔とまったく同じ構造がここにもあったのです。

ここでも「美しい…!」と、心の底から感動しました。

そもそも、私が感じた「美しさ」とは何なのか

ここで少し立ち止まって考えてみたいのですが、そもそも私が金箔やおでんの出汁の話に「美しい…!」と感じたのは、いったいどういうことなのでしょうか。

見た目が美しかったわけではありません。

あぶらとり紙も、茶飯ごはんも、見た目だけなら至って地味なものです。(すみません🙏)

私が「美しい」と心を動かされたのは、その仕組みそのものでした。

無駄がなく、あるものの終わりが、別のものの始まりになっている。

その構造、調和、秩序に対して「美しい…!」と感じた。

思うに、美しさとは、単なる視覚的な好みだけではないのだと思います。

黄金比(1:1.618…)が美しいと感じられるのは、見た目の問題だけではなく、その比率の背後にある「秩序」や「バランス」を脳が感じ取っているから。

自然界の花びらの配列や貝殻の螺旋にも黄金比は宿っていて、私たちはそうした構造的な調和に、本能的に惹かれるようにできているとも言われています。

金箔の製造工程から生まれた和紙や、おでんの残り汁を使った茶飯ごはん。

どちらも、本来のプロセスにおける「主役」ではありません。

主役はあくまで金箔であり、おでんそのものです。

でも、その主役を作る過程で生まれた「副産物」に、別の価値を見出して光を当てている。

その視点から作られた仕組みに、私はどうしようもなく美しさを感じました。

副産物をゴミと見るか、素材と見るかは「捉え方」の問題であり、美しさを感じる仕組みや構造を作り出す力とは、その価値を見抜く視点を持てるかどうか、なのだと思います。

なぜ私は(私たちは)こうした無駄のない仕組みに、こんなにも心を動かされるのでしょうか。

なぜ人は「無駄のない仕組み」に美しさを感じるのか

脳は「効率的な構造」を美しいと感じる

心理学に「処理流暢性理論(Processing Fluency Theory)」という考え方があります。

Processing Fluency and Aesthetic Pleasure: Is Beauty in the Perceiver’s Processing Experience?

これは、脳がスムーズに情報を処理できるものほど、人は美しい、心地よいと感じるという認知の傾向を示した理論です。

対称性のあるデザイン、黄金比に沿った形、シンプルで無駄のない構造。

これらが美しく感じられるのは、脳にとって「処理しやすい」からだと言えます。

「副産物が別の価値になる」という仕組みは、まさに無駄がない効率的な構造で、処理がしやすいです。

私たちが何かを「美しい…!」と感じる瞬間は、脳が「これは処理できる」と静かに答えを出した瞬間と、重なっていると言っていいのかもしれません。

自然界はもともと無駄がない効率的な仕組み

ちなみに、こうした仕組みは、実は自然界ではむしろ当たり前のことです。

生態系では「ある生物の排出物が別の生物の栄養源になる」という栄養循環が絶え間なく行われています。

落ち葉は微生物によって分解され、土壌の栄養となり、それが新しい植物の成長を支える。

セミの大量死は森林の土壌に栄養を与え、木々の成長を加速させる。

自然界では「廃棄物」という概念そのものが存在しません。

あるものの終わりが、別のものの始まりになる。

金沢で見た「金箔→あぶらとり紙」「おでんの出汁→茶飯ごはん」は、人間が生み出した仕組みの中に、この自然の原理、自然の法則が宿っている例なのだと思います。

私たちが「無駄がない構造」に美しさを感じるのは、もしかすると自然が数十億年かけて磨いてきた循環のリズムを、本能的に正しいと認識しているからなのかもしれません。

コンテンツの世界にも「副産物→別の価値」がある

ここまで金沢の伝統工芸や食文化の事例を紹介してきましたが、実は私自身の情報処理や知的生産でも、まったく同じ構造に日々触れています。

昨年受講した10X情報処理エキスパート講座、現在取り組んでいるContentsEngineという学びの場で、「LEGO化」というコンテンツ活用手法に出会い、現在実践中です。

「LEGO化」とは、一度作ったコンテンツをただ保管しておくだけでなく、その中から図解やフレーズ、エピソードや思考の断片などまた「使えそうな要素」を抽出して、再利用できる「レゴブロック」としてストックしておく方法です。

one(小さな単位のコンテンツ)を作り、many(さまざまなアウトプット)で活用する。

また、manyの中から新たなoneを抽出し、そのoneをまた別のmanyで使い回す。

「one to many → many to one」という仕組み。

これもまさに、プロセスの中で生まれる「副産物」にも目を向け、それを次なる価値創造の素材に変えていく発想です。

この考え方を初めて知った時は、心の底から「美しい…!」と感動したのを今でもよく覚えています。

先日参加したADPセミナーでも、「プロセスの中の副産物を活用して、one to many→many to one、LEGO的に価値を循環させていく」というお話とその実演があり、金沢の工芸や食文化で見た仕組みとのアナロジーを感じないわけにはいきませんでした。

中心のプロダクトを生み出す過程で生まれたものすら無駄にせず、新しい価値に転換する仕組みの美しさを、コンテンツの世界でも実現できる、というわけです。

この仕組みは、静かかもしれないが、力強い普遍性を持っている

今回、書いておきたかったことを整理すると以下のような具合になります。

  • 金箔の製造工程で使われた和紙が、あぶらとり紙として新たな価値を持った
  • おでんの出汁が、茶飯ごはんという料理に昇華された
  • 自然界はもともと無駄がない仕組みでできている
  • 脳は「無駄のない構造」を美しいと感じるように設計されている(処理流暢性理論)
  • コンテンツにおいても、one to manymany to one の形を取ることで無駄のない仕組みを作ることができる

この記事を書いている最中に、起業家の佐藤さんのXのポストが目に入り、思わず膝を打ちました。

これもまさに今回の話に通じるものです。

金箔づくりの副産物として生まれたあぶらとり紙。

おでんの残り汁から炊き上がる茶飯ごはん。

日々の発信やアウトプットが、やがて新たなLEGOとして次のコンテンツに生まれ変わること。

そして、巨大ECサイトのインフラ運用がAWSという世界的サービスに発展したこと。

規模も分野も異なりますが、そこに流れる発想と構造は驚くほど共通しています。

金沢の職人の知恵から現代ビジネス、そして私たちの日常やキャリア形成にまで繋がる「過程で生まれたものを、捨てずに別の価値にする」という考え方は、静かかもしれませんが、力強い普遍性を持っています。

この小さな気づきが、みなさんにも何か新しい価値やヒントをもたらすきっかけになれば嬉しく思います。

【著者プロフィール】

著者:田中 新吾( X / note )

金沢城は、場所や築造された時代によって多種多様な技法を用いた石垣が残されていることから、別名「石垣の博物館」と呼ばれているんですね。 時代ごとに異なる石積みの技術やデザインの変化を野外博物館のように楽しめました。

様々なところに存在する多様な石垣(石積み)を観て「Obsidianとメモの技術とボトムアップ」との類似性を感じないわけにはいきませんでした。

◼︎ ハグルマニ(プロジェクトコンプリメンター)
◼︎ 命名創研(命名家)
◼︎ 栢の木まつり 実行委員会
◼︎ タスクシュート認定トレーナー

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