田中 新吾

私がなぜ、人の「声」に価値を感じるのかがようやく分かってきた話。

タナカ シンゴ

先日、ジャーナリスト佐々木利尚さんのVoicyでとても考えさせられる話を聴いた。



かいつまんで言うと「音声電話を嫌う人が最近増えているけど、それって音声電話が嫌いなのではなく、会話を強要されるのが嫌いってことですよね」という話である。

かくいう私も自分のことを「電話嫌い勢のうちの一人」だと長らく思ってきたのだが、この話を聴いた上で、あらためてその中身を詳しく考えてみると電話そのものが嫌いなのではなく「突然かかってくる電話が嫌い」ということをしっかり自覚することができた。

実際、あらかじめメッセージとして「明日の10時に〜〜件で電話していいですか?」と連絡をもらっていれば、そのための時間を確保し心づもりもできるので音声電話はまったく嫌ではない。

私もコミュニケーションを強要されるのが嫌いだったのだ。

むしろ、自分の中で人の「声」は様々な情報形式がある中で最も好きな形式だと言ってもいいはずなのに「音声電話が嫌い」の中身を深く考えず、浅い認識によって「声」の持っている価値を勝手に減じてしまうところだった。

これまでのブログにも何度か書いているように、私には、ポッドキャスト、Voicy(音声SNS)、オーディオブックといった人の声で情報を摂る習慣がある。

何を隠そう、人の「声」に大きな価値を感じているからだ。

声は文字(テキスト)と異なり、人柄やその人の気分までも教えてくれるという特徴があり、そのおかげか発せられる情報に対する信頼度が高い。

「イケボ」という概念があるように、内容はともかく聴いているだけで癒されることだってある。

車を運転しながら、ランニングをしながら、掃除をしながら、〜しながらで聴くことができて、倍速視聴もできるためタイパも良い。

Voicy社長の緒方さんは著書の中で下記の通り声の価値について述べていた。

「声」の発信は、その人の人柄や内面を理解してもらいやすく、同時にファンがアンチになることが少なく、炎上しにくいと言われています。

加えて発信者は、動画や文字に比べてコンテンツを作るのがラクだというメリットもあります。

動画編集など、コンテンツの制作に時間がかからないため、仕事や日常生活に大きな影響を与えることがありません。

先日「オーディオブック」が今年の流行語大賞2022候補にノミネートされたというリリースをみたが、これはそんな声の価値を多くの人も感じていることを裏付ける話と言っていいのではないだろうか。

このように人の声には間違いなく自他共に認める優れた価値がある。

しかしながら、声に価値を感じることは疑いようもない自分自身の確信でありつつも「なぜそのような優れた価値を感じるのか?」についてはいまいちよく分からずにきていた。

そう思っていたところ、本当に偶然にも最近になってこの疑問について納得のいく理由が見つかってきたのだ。

大きく言って二つある。

①文字と比べて声の情報は、生まれながらにして人間の脳にとって負担が少ない

②人は表情から得る情報を大切にしていて脳にはそういう癖がついている

個人的には物凄く納得のいく内容だったので、以下でできる限り丁寧に書いていきたい。

脳には「聞く話す」の専門領域はあるが「読み書き」の専門領域はない

まず一つ目から。

先日私は、NHKオンデマンドで、ヒューマニエンス 40億年のたくらみ「“文字” ヒトを虜にした諸刃の剣」という番組を視聴した。

この中の話題をいくつかご紹介してみたい。

「20万年という歴史のあるホモ・サピエンスにとって「文字」という道具は極めて新しいもので、歴史の約3%にすぎず97%は文字がない。」

「人々は、何万年にわたり脳だけに情報を保存してきたが、脳の容量は限られている、死ぬと脳にあった情報は消える、という二つの問題が脳にはあった。」

「文字を発明した人々は、外部記録装置によって無限の情報を、無期限に保存し、伝達できる道具を得た。」

そして、話題の中で特に個人的に大きな発見だったのが以下の内容である。

「聞く話す」ための専門領域は脳にはあるが(言語野)、「読み書き」のための専門領域は存在せず、脳の他の領域を流用している。

つまり、「読み書き」は脳が無理して行っている。

この内容は、普段、読書をする(読み)、ブログを書く(書き)習慣がある私からすると本当に刮目する内容となった。

「文字」が当然のようにある社会の中に生まれてきた私は「文字」と「言葉」を一緒くたに捉えていたところがある。

しかし、実際のところ人間の「脳」にとっては「文字」と「言葉」はまったく違うものとして認識されていていたのだ。

これをふまえて思うに、読み書きの専門領域が脳にないのであれば「読み書きが苦手」「活字が苦手」という苦手意識が生まれやすいのは極めて自然なことなのだろう。

番組の中では、20代の天才的なアートを描く少年が、平仮名を書くのもままならないという紹介があり、こういう人たちは「ディスクレシア(発達性読み書き障害)」と呼ばれるそうだ。

トム・クルーズやスティーブン・スピルバーグもディスクレシアに相当し、総人口の10%〜15%は存在する、という研究結果の紹介もあった。

そしてこの話が「なぜ人の声に価値を感じるのか?」という私の疑問を解決してくれる一つ目の理由となった。

要するに、あまりに文字と言葉の両方をネイティブに使っていたため考えもしなかったが「文字と比べて、声の情報は生まれながらにして人間の脳にとって負担の少ないもの」だったのだ。

以前、ナチュラル性について思うところを書いたことがあったが、無理するよりも無理しないものの方にポジティブな価値を感じるのが当然のことだろう。

これは私にとって遥かに大きな発見となった。

人は「表情」から得る情報を大切にしていて、脳にそういう癖がついている

そして二つ目が、人間の脳は「表情(顔)」が大好きで、表情からの情報を大切にしている、というもの。

これを知ったのも「ヒューマニエンス 40億年のたくらみ」で、話は「”顔” ヒトをつなぐ心の窓」という回だった。

ここでは例えば以下のような話題があった。

微表情は人間らしさの極み

「微表情」という言葉をどのくらいの方がご存知だろうか?

私はこの番組を視聴して初めて知った。

微表情というのは、0.2秒〜0.5秒の間に現れる本当にわずかな表情のことで、特に「眉」の動きに現れるものだそうだ。

テルマエロマエで知られるヤマザキマリさんも「微表情を描くポイントは眉毛です」と番組の中でおっしゃっている。

その微細で瞬間的な表情で私たち人間は相手の感情(怒り、偽り、喜びなど)を読み取っているということ。

そして、微表情ができるのは、人間の複雑で精巧な表情筋と脳の機能の進化があってこそで、微表情は人間らしさの極みという話があった。

さらに「表情筋は進化の贈り物」という話題も。

人間の表情筋は、薄くて、細かくて、分岐していて、複雑。

口角をあげたい時に使う大頬骨筋、眉を操る皺眉筋など、その数はなんと30種類もあるという。

同じ類人猿のサルやチンパンジーを解剖するとこれが本当によく分かるということだった。

特に個人的に大きな発見となったのは、私たちが普段街中にいる時、顔のような表情をしているものを直ぐに見つけてしまうのは、私たちが「人の表情から得る情報を大切にしていて、脳にそういう癖がついているから」という話。

この話には直感的にも納得がいった。

言われてみれば確かに、車のフロント部分を代表に、自然の中などで顔のように見えるものを見つけることができた経験がこれまでに何度もあったから。

人間の脳はとにかく表情(顔)が大好きで、表情からの情報を大切にしているのだ。

そして、この視点を獲得した私の中で結びついたのが「声」による情報発信についてである。

「声」に対して私が感じていたポジティブな価値は、声には「人間の脳が好む”表情”が乗って伝わってくるから」と考えると非常に納得がいったのだ。

これに対して「文字」に少なからず攻撃性を感じてしまうのはそこから相手の表情を読み取ることが難しいからなのだろう。

「絵文字」は攻撃性の高い文字情報に、少しでも「表情」を乗せるために開発された画期的なツールだが、それでも声に乗る表情には及ばない。

このように考えを整理したところ納得感を得ることができた。

この納得感を元にこれから私はどんなことで貢献できるのか?

今回の発見はいずれにしても、人間の「脳」に関係するもので、人間が持っている本質的な性質だった。

納得感が高いのもだからこそなのだと思う。

そしてであるならば、「声」によるコミュニケーションの割合を ”意識的に” 多くしていきたいと考えるのは私だけではないのではないだろうか。

有難いことに現代は「音声SNS」や「ポッドキャスト」といった自分の「声」を気軽に発信できる環境も整ってきている。

最近「個人の音声SNS」を開設したのは、間違いなく前述の「ヒューマニエンス」の二つの回を視聴したことで得ることができた声の価値に対する納得感だった。

田中新吾の考え方と答え

話は冒頭の件に戻るが、佐々木利尚さんによれば、中国では「ボイスメッセージ」を送り合うというカルチャーができているという。

ボイスメッセージであるから自分が聞きたいタイミングで聞くことができ、電話のようにコミュニケーションが強要されることもない。

自分のタイミングで聞いて、例えば倍速にして聞いたっていいのだろう。

そして、そのボイスメッセージに対して、返事のためのボイスメッセージをこちらからも遅ればいいというわけだ。

このカルチャーが個人的にはなんとも羨ましい。

脳にとって負担がなく、脳が好む「声」を用いたコミュニケーションを中心にして、それでいて相手にコミュニケーションを強要することもないからだ。

日本でもLINEなど技術的には当然できるが、現時点で主体的に活用している人は恐らく皆無で、カルチャーとは程遠い状況だろう。

人の声に対してなぜ自分は価値を感じるのか、この疑問に対して得ることができた納得感を元にこれから私はどんなことで周囲に貢献できるのか。

そんな新たな課題が見えてきたところでもある。

UnsplashEmilio Garciaが撮影した写真

【著者プロフィールと一言】

著者:田中 新吾

プロジェクトデザイナー|プロジェクト推進支援のハグルマニ代表(https://hagurumani.jp)|タスクシュート(タスクと時間を同時に管理するメソッド)の認定トレーナー|WebメディアRANGERの管理人(https://ranger.blog)|座右の銘は積極的歯車。|ProjectSAU(@projectsau)オーナー。

●X(旧Twitter)田中新吾

●note 田中新吾

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