「言いたいことを言って生きる」をトップに据える、これが最良の方法だ。
昨日も言いたいことを言ってしまった、と、また反省している。
自分というモノはもっと分別があったはずなのに、ずいぶん身勝手になったもんだ。汗。
昨日の飲み会は、最近約20年ぶりに会った後輩(女性2名)とその店の常連さん数名とご一緒する、という少し変わったものになった。
酒瓶がかなり空いて、宴もたけなわになった頃、常連さんの男性がどうも後輩のひとりを気に入ったらしく、並んで座っていた後輩2人の席に近寄ってきた。
そして、気に入った後輩の隣の後輩に何となく席を替わって欲しいような素振りがあったらしい。
らしい、と言ったのは私はまた別の常連さんと話していて、その場面を見ていたわけではなかった。
勘のいい後輩はそれに気づいて席を譲ってあげて、別の常連さんの隣席に移動した。
まあ、何も珍しいことではない。
宴はその後も盛り上がって無事終了したのだった。
そこから我々だけで、店を変えて飲み続けることになった。
ここまでは何てことのない楽しい飲み会だったのだが、この次の店で私の反省の種が生まれることになった。
この席替えに端を発して、言いたいことを言ってしまったのだ。
今回はこの私の反省をキッカケに、「言いたいことを言う」の功罪について思うところを書いてみたい。
「言いたいことを言う」に関して、思い出すことがいろいろ出てきて、最後に自分の中に隠れていたまさに「言いたいこと」がハッキリするのだった。
後輩の感性は未だ健在
次の店での話題は、先ほどの店の常連さんの席替えの話だった。
「あの人は、変だ。普通じゃない!」
と、席を譲った後輩は意外にも憤慨気味だった。
私は、酔いの席だし、席を譲るのを強要されるようなことはまああるだろうと思ったし、お互いにいい歳なんだからと思って、「変だ!」と強く言うことに違和感をもった。
最近の私は、普通って何?って思うようにもなっているし・・・。
この後輩は出会った頃から、正義感が強かったことを思い出して、そのある種の潔癖さが未だに健在なの?と、驚きと微笑ましさを酔いの気持ち良さと一緒に感じていた。
それでもあまりにも変だ!を繰り返すものだから、異様さを感じてきて、何で?何で?とそのわけを掘り出そうとしていた時、後輩からやっと出てきた言葉が、
「目が笑っていなかったんですよ。」
というモノ。
後輩が変だと思ったのは、席を譲るのを強要されたことではなくて、それを要望した時に目に表情がなかった、ということだったのだ。
確かに、初対面の女性に対して、その隣の女性と話したいために席を譲ってもらおうとする時には、やや照れを感じて、軽く悪びれるようなお茶目は目になるのが、日本人の相場(普通)とでも言おうか・・・。
まったく笑っていなかったことを、「変だ!」と言っても変ではないのかもしれない。
サイコパス?いやそんなことはない。
その男性のここまでの仕事を含む環境によって理性的であることを強要されたために、今日まで感情をストレートに出してしまわずに、理性を残して過ごすようにせざるを得なかったのかもしれない・・・。
憶測は膨らむがとても確信が得られるものではない。
その原因はともかく、私はこの後輩の言葉が、過去の記憶に一気に紐づいたのだった。
「誰から見ても変ですよね、みんなそう思いますよね。当たり前ですよね。」
そう、この言葉、昔もそうだった。
後輩は自分が「変だ」と思ったことを昔も何回も繰り返すことがあった。
その主張は最初は周りに共感されずに、でも時間を経て周りにも理解されるようになることがよくあったのだ。
感覚が優れていて、瞬時で察知して、「変だ!」とわかるのだが、その感覚に周りがついていけない。
今回で言えば、変の理由、「目が笑っていなかった」という言葉が遅れて出てくるから、なかなか理解できない。
私は以前にもこの男性に会ったことがあって、確かに目が笑っていないことに自分もホンの少し違和感があったこと、それを言われてやっと思い出したのだった。
なるほど~、過去の事柄のすべてにこのことがつながった。
後輩の感性の鋭さと言葉足らずなところが、初期段階に周りから共感が得られないという現象を産みだしていたのだ。
私はこの発見に独り悦に入ったのだったが・・・。
ここから急に言いたいことがもたげてくる。
引っ掛かったのは「普通はそうですよね・・・」
という言葉だ。
後輩は、今も自分が「変だ」と感じることを何も特別なことだと思っていない、みんなもそうであって、当たり前のことだと思っているのだ。
周りのほとんどの人がその後輩のそのスピードでの感性を持っていないにもかかわらず・・・。
そして後輩は、当たり前だと思っているからその「変だ」の理由に言葉を尽くすことをしない。
どおりで、後輩が何回も「変だ!」と言わなければならなかったわけだ。
理解されないから何回も繰り返さざるを得なかった・・・。
当たり前を言ったはずが、共感を得られないことの意味がわからないまま、普通にあるストレスとして保持してしまう、というスタイルをここまで守り続けてきてしまったのだ、たぶん。
このギャップは後輩にとってかなりシンドイことだ。
自分のことを謙虚に捉えてきた後輩がゆえに、落とし穴があったような感じ!?。
私は勝手にそのシンドさに自分が堪えきれずに、
「その感性はあなたのスゴいところであって、周りはもっていないモノなのだ、と認識した方がシンドくなくていい。
その自分だけの感性を絶対に認めた方がいい。」
そんなような言葉を放ってしまった。
世の天才たちが人と違うことで悩むということはよくあることらしい。
そのようなことではないか?
そう思った。
私にはわからないことだが・・・。
後輩は、それでも「(変だと思うことは)普通のことですよね」を繰り返していたのだが、私が上記の言葉を強く何度も繰り返したために、最後にはあきれて、
「わかりました、わかりました」
と苦笑いするのだった。
私の反省は、何でひとり悦に入るだけで終わらずに、お節介にも言いたいことを言ってしまったのだろうか?というもの。
しかも何であんなにも強く繰り返してしまったんだろうか?汗。
「言いたいことを言わないこと」の問題
前置きが長くなってしまったが、ここから「言いたいことを言う」ということについて、考えてみたい。
遡ってみると、社会人になった頃の私は、世間知らずだったから、人の話に自分では経験できないことを学ぼうとして、自分の言いたいことは言わずに、人の話を聞く方に回っていたように思う。
というよりは、むしろ自分にこれといって人に聞いてもらうような話しがないから話さなかったいう方が的確だったのかもしれない。
そう思ったのは、いつからか私が人の顔色を伺って相手の不快なことは言わない方向に進み出していたからなんだろう。
それに輪をかけて、田舎もんだったから東京の話のスピードにとてもついていけなかったというのもある。笑。
何も言えずに、ずいぶんオドオドしていたものだ。
自分から言いたいことを言ってしまって、それが正解から外れて恥をかくことを避けようとすることが、自分をオドオドさせていたのだ。
そして、聞いてあげられる自分はいい奴であり、それが大人というものだろうからと、いい奴、そして大人を演じたのだ。
ここに言いたいことを言わないことの上手い言い訳を見つけてしまった。(ように思った。)
こうして、言いたいことを言わずにいる私というモノが出来上がっていった。
もちろん、言いたいことを言っている周りの人を、わがままで厄介な奴だとも思っていた。
そんな自分が、この「言いたいことを言わない」ということに疑問を感じたのは、ドラマキッカケだったように思う。
言いたいことをベタに言わずに周りに配慮することが、人と人のすれ違いを起こし、また、主人公がそのプライドによって周りに助けを求めずにひとりで抱えて苦しむ。
こんな風に感じられる場面がいろいろなドラマにあった。
プライドなんて捨てて、ベタに最初に言っておけば、こんな悲劇は起こらなかったはずだ!
何とも興醒めする発言で申し訳ないのだが、私にとってはこれがドラマ(作りモノ)と実際の生活(リアル)の違いである、となぜか自信を持っていた。
そして、日常生活をドラマのようにドラマチックにするために言いたいことを我慢してはならない、などと感じていたのだ。
その後、こんなことも感じるようになった。
多くの言いたいことを言っている人を観ては、言いたいことを言っている人は、血流が滞りなく流れるかのように瞬間瞬間にスッキリして過ごしているように感じ始めたのだ。
一方、言いたいことを言わずにいる人は、気遣いがあって良い人だとは思うものの、同時に我慢していてどこか硬直して滞っているように感じられてきた。
その我慢がまた、どこかオドオドすることにつながっているのではないか?と。
我慢というストレスは、年齢とともにできるだけ回避した方がいいと感じるようにもなった。
そもそも人の本質は自分のことを話したいようにできているんだ。
更にここ最近になって、滞りなく瞬間的に好き嫌いが言える人に魅力を感じるようになった。
それは、当たり障りのないことを言っているのを聞くことに飽きたと言ったらいいのか、胡散臭さを感じるようになったと言うか・・・社会から聞かれる発言が忖度だらけに感じるようになったからなのか・・・。
だから、損得に関係なく、忖度もなく、嫌なものを嫌という人が信頼できると感じられるようになってきた、というところだろうか・・・。
こうして長い時間といくつもの視点から、私は今、「言いたいことを言う」ということは、自分らしく健やかに生きるためにかなり大切なことである、ということにたどりついたのだ。汗。笑。
だから、「言いたいことを言う」ためにみんなお金持ちになろうとするし、エラくなろうとするものなんだ。
やっと理解できるようになった。笑。
「言いたいことを言うこと」の問題よりも・・・
「言いたいことを言う」ことは、周りにはわがままで厄介に映る。
そして、人を傷つける可能性もある。
だから、言いたいこと言う奴は、煙たがられるし、今の時代では炎上も必至。
ダメージを受ける。
だから、手放しで「言いたいことを言う」べきだとは言えないのだが・・・。
そうだとしても、そうだとしてもだ・・・。
自分の言いたいことを言わないことはそれを上回って良くないことだと感じる。
自分の言いたいことを言うことこそ、自分が自分らしくある時間であって、当たり障りのない発言はAIに任せておくので十分だ。笑。
バランス悪く、どこか危うさがあるというのが人というものの個性なのだ。
この自分らしくある時間を失ってはならない。
自分が自分らしくあることを諦めてはいけない。
そして繰り返すが、言いたいことを我慢するということもまた体に良くない。
厄介を避けたくて保守的になってしまいそうになるが、「言いたいことを言わない」という方が大きな問題であるように感じる。
社会で楽しんでいる人は、言いたいことを言ってそれによって社会からある程度の制裁を受けて、苦しみながら社会との折り合いをつけてきた人のように感じる。
言いたいことを避けて通ると、反省する機会がないから社会との折り合いがわからずに終わってしまうことになるんだろう。
だから、言いたいことを言ってきた人たちは、そうして来なかった人に比べて、その視界は大きく違ってくるのだろう。
そして、自分が放った言いたいことに、ともすれば自分がイヤになるようなこともあるだろうけど、そんなイヤなことを言う自分とも折り合いがついているのだと思う。
そんなイヤなことでも、それは自分であって自分でなかったことにはできない。
だから、そんなイヤな自分とですら折り合いをつけられれば、その後より自分を好きで生きられるはずなのだ。
言いたいことを言って生きる
「言いたいことを言う」と言っても周りから煙たがられっぱなしではこれもまたシンドい。
なので可能な限りこれを実現するために、是非加えておきたいことがある。
「言いたいことを言う」という言葉を拡大解釈するのがいい。
どういうことかと言うと、
まずは、言うにしても言い方がある。
そして誰に(だけ)言うか、というのもある。
更に、自分の心の中で言って、外に出さないというのもある。
これらを自由に選べるということだ。
とりあえず、何らかの形にして(例えば言葉にして)自分らしさを刻めればいいのだ。
とにかく、せっかく感じたことを抑え込んで、形にせずに通り過ぎるのがもったいない。
過去を振り返ってみると、それまで言えなかったことが自分のあちこちのヒダの奥に隠れてあることに気が付く。
それはそのままでは成仏できない思いのようにも感じる。
自分が言いたかったことを、感情とともに表出して自分を滞らせないことは、いいこと尽くめに感じられてくるのだ。
さて、今回ハッキリした結論、それは、
「言いたいことを言う」をトップに据える
というものだ。
これがまさにこれまで私に引っ掛かっていた言いたかったことのひとつなのだろう。
後輩が「変だ!」と感じたこと=言いたいことを「変だ!」と言ってくれた。
私は、それに対して今度は言いたいこと=お節介を言う。
その一連の流れに私がまた言いたいことを言う。
それが結果的に健全なことなのだ、と自信を持つ。
だからと言って、自分に非がなかった、と言うつもりはない。
私は、もっと言い方を変えるべきだった。汗。
悦に入るだけで終わってもよかった。
ただ、自己マンではなくて、後輩の苦しみを減らせないだろうか?と思ったことは確かだった。
あらためて反省しつつも、このことは繰り返しておきたい。
いつ何時も自分の気持ち(=言いたいこと)を抑えてはいけない。
無かったことにしてはいけない。
「自分の言いたいことを言う(人前であるいは心の中で)」
この当たり前と言えば当たり前のこと。
でも、それはいろいろな配慮、そして環境や立場によって、抵抗にあってとかく埋もれがちなことだ。
だからこそ、これをトップに据えて、今後健やかに生きていこうとあらためて自分に言い聞かせるのだった。
UnsplashのClem Onojeghuoが撮影した写真
【著者プロフィール】
RYO SASAKI
こうして観てくると、これまで自分が言ってきた言葉、そこにはいい言葉もあり、酷い言葉もあるのですが、それらすべてが糧になっていて、私が出来上がっているように感じられるのです。
工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。
現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。
ブログ「日々是湧日」
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