「なんとかなるでしょ」思考の留意点。
「なんとかなるでしょ」
こういう楽観的な思考は、生きていくうえで不可欠だと思います。
なぜなら、このような思考がなければ、未来の不安に対して心がもたないから。実際、僕個人も「なんとかなるでしょ」と、楽観的に考えることは結構あります。
これはたぶん、昔と比べて自分にできることが増えたことや、安全で、安心できて、便利で、いつでもひとと繋がることができる社会で生きていることなどが強く関係しているのではないかと思うんです。
「なんとかならない」と思うことが多かった昔と比べて明らかに感覚が変わってしまいました。そして、この先は今よりももっとこの感覚が強化されていくような気がしています。
「なんとかなるでしょ」思考の留意点
「なんとかなるでしょ」と楽観的に考えることは悪いことではないですが、十分に留意しておいた方がいい点はあると思います。
それは「なんとかなるでしょ」と思う前には「やるだけやったから」がないと自分を苦しめるということです。
基本的に「なんとかなるでしょ」は「やるだけやったから」とセットであるべきだと僕は考えます。
考えられうるあらゆる事態に可能なかぎり対処して、もうこれ以上はできない、というところまできた時に「なんとかなるでしょ」と思えばいいことなのかと。
でも、ときどき「なんとかなるでしょ」と思う中には「やるだけやったから」がくっついていない場合があるんです。
そして、この時の「なんとかなるでしょ」には絶対に注意した方がいいと思います。
「やるだけやったから」がないということは、何もせずに自分にとって何かかいい事が起こることを期待するのと同じです。
これで期待どおりに何かが起こればいいですが、何もやっていないので起こるはずがありません。
そして、この状態のまま時間が経過し、結果が近づいてくればくるほど、不安な気持ちが助長され、自信も萎み、期待ができなくなっていきます。
そして当然ですが、なんとかなりません。
人事を尽くして天命を待つ
今の世の中は、安全と安心というベースに上に、便利が重なった結果、多くのことが「なんとかなる」ようになったと思います。
でもこの影響で「やるだけやったから」という本来あって然るべき重要な部分が軽視されているようにも思います。
こう思うから自分がいるからこそ、自分自身にはちゃんと警鐘を鳴らしていきたい。
人事を尽くして天命を待つ。
改めてこの言葉の重みを感じている今日この頃です。
さいごに
この記事の元ネタになっているツイートです。
「まあなんとかなるでしょ」は生きていくうえで必要な思考だと思う。でも「やるだけやったから」がその前にこないと、結果が近づいてくるほど不安になるし、自信も生まれない。ついつい楽観的になりがちな自分に警鐘を鳴らす。
— 田中 新吾 (@Shingo_tna) April 21, 2019
ここまで読んでいただきありがとうございました。
それでは今日はこの辺で!