田中 新吾

「解像度を高める」は、間違いなく今役に立っていると思える。

タナカ シンゴ

前職マーケティングファームにいた頃、顧問でコンサルタントだったAさんから大切なことをいくつも学んだ。

中でも間違いなく今役に立っていると思えるのは、

「解像度が高まる」→「仮説の精度が高まる」→「適切な打ち手が取れる」

といった理屈だ。

そして、この理屈と実践の反復を仕事やプライベートにおいて行ってきた今、理屈のスタート地点にあたる「解像度を高める」は私のポリシー(行動指針)にまでなっている。

「解像度を高める」と「仮説の精度が上がる」

「解像度」とは簡単に言えば「どのくらいで見えているか?」である。

「ぼんやり」と見えているのか、あるいは「ハッキリ」と見えているのか。

「ぼんやり」としか見えていないのであれば「解像度が低い」となり、「ハッキリ」と見えているのであれば「解像度が高い」となる。

ハッキリにはよりハッキリがあり、ぼんやりからハッキリまでのグラデーションだ。

そして、ざっくり言えば「てことは、こうじゃない?」といったものが「仮説」であって、解像度を高めるとその「仮説の精度」が上がっていく。

具体例で見てみよう。

例えば、「ある人」から得た情報として、どのパターンがもっとも「てことは、こうじゃない?(=仮説)」の精度が上がりそうだろうか。

パターン①

「男性」

「埼玉県出身」

「理工学部卒」

「30代半ば」

「既婚」

パターン②

「男性」

「埼玉県出身」

「理工学部卒」

「30代半ば」

「既婚」

「コメダ珈琲によく行く」

「Fortniteをやる」

「仮面ライダーを観ている」

「サスペンスドラマを観る」

「ブロガー」

「ポッドキャスター」

「複業」

パターン③

「男性」

「埼玉県出身」

「理工学部卒」

「30代半ば」

「既婚」

「コメダ珈琲によく行く」

「Fortniteをやる」

「仮面ライダーを観ている」

「サスペンスドラマを観る」

「ブロガー」

「ポッドキャスター」

「複業」

「毎朝鉄瓶で沸かした白湯を飲み胃腸を温めることがマイ健康法」

「人・本・旅の中からいつも書くネタを探している」

「自称ネーミングマニアで、気になったネーミングをコレクションして観察している」

「車が心から好きとは言えないが、車の運転は好き」

「考えるために歩いたり走ったりしている」

「今アルコールは飲まないが、ビールを飲んだ時の感覚は好きなので時々ノンアルコールビールを飲む(特にキリン グリーンズフリーが好み)」

いかがだろうか?

言うまでもなく「てことは、こうじゃない?(=仮説)」の精度が上がりそうなのは「③」のパターンではないだろうか。

実を言えば、この「ある人」のいずれの情報も「私自身」のことなのだが、①では私についての解像度は低く、②、③と進むにつれて解像度が高まっていくはずだ。

そして、「男性」「埼玉県出身」「理工学部卒」というような情報では、なかなか「人柄」や「思考」は見えてこないが、

「人・本・旅の中からいつも書くネタを探している」

「自称ネーミングマニアで、気になったネーミングをコレクションしてときどき眺めている」

「基本アルコールは飲まないが、ビールを飲んだ時の感覚は好きなので時々ノンアルコールビールを飲む(今は特にキリン グリーンズフリーが好み)」

といった情報からは私の人柄や思考も見えてくるのではないだろうか。

そして、このようにして私に対しての解像度が高まっていくにつれて、

「てことは、田中さんてこういう人じゃない?」

という仮説の精度も高まっていく、ということである。

例えば、①しか情報を得ていないとすれば、仮説は

東京に住んでいるエンジニアなのかな?

だったかもしれない。

だが、③であれば、

人・本・旅という出会いを通して、思考して、言語化(ブログ、ポッドキャスト、ネーミングなど)する習慣があり、因果関係(物語)が好きで、好奇心が旺盛で、チーム戦が好きで、仕事も色々経験をしたい人なのかな?

このような仮説を持つかもしれない。

実際、①の仮説では「私」とは程遠い。

それに対して③の仮説は本来の私にかなり近い。

①よりも③の方が私についての「解像度が高い」からこうなるのだ。

(私自身のことなのに仮説というのもおかしな話ですが具体例を示したかったので)

「仮説の精度が高まる」と「適切な打ち手が取れる」ようになる

そして、このようにして「仮説の精度が高まる」とどうなるのか?

適切な打ち手が取れる」ようになる。

①の状態であった人の打ち手というのは、ほとんど全てが的外れなものになるだろう。

当然だ。

「東京に住んでいるエンジニア」というように実際の私とは程遠いイメージを持ってしまっているのだから。

一方、③のような状態である場合は、適切な打ち手によってきっと良好な関係が築けるはず。

なぜならば実際の私のイメージに近い仮説を持っているからである。

③である場合、

てことは、田中さんはワールドトリガー(漫画)好きじゃないですか?

てことは、田中さんのストレングスファインダーって学習欲が上位にきてないですか?

てことは、田中さんは習慣が人生を良くするみたいな考えをお持ちじゃないですか?

こういう打ち手(この場合、コミュニケーション)が可能となり、いずれも的を得たものとなっている。

ぼんやりとしか見えていなかったものがハッキリと見えてきて、解像度が高まると、仮説の精度も高まり、打ち手が変わり、よりハッキリすればするほど打ち手は適切なモノになっていく。

このことは対「人」だけに留まらない。

「道」に対する解像度が高まれば、その時々に最適なルートを選び円滑に移動することができるようになる。

「虫」に対する解像度が高まれば、虫に触れて身体に異常が発生した場合に素早く適切な処置を行うことができる。

「スマートフォン」に対する解像度が高まれば、アプリなどを駆使して、自分に取って役に立つまさにスマートなフォンに仕上げることができるだろう。

思うに、あらゆる対象に解像度という概念は存在する。

見込み顧客の「解像度を高める」ために教わったこと

「解像度を高める」ことの有用性が分かってくると「じゃあその解像度というのはどうやって高めるのさ?」といった問いを持つのではないだろうか。

これに関しては、前職にいた頃、実務において教わった「見込み顧客の解像度を高める」ために推奨されていたことが参考になるかもしれない。

ポイントはいかに情報を集めるかだった。

それゆえ、頭の中であれやこれやと推測するのではなく、とにかく見込み顧客と実際に対面する中で理解を深めることが推奨された。

シンプルに言えば「見込み顧客に会え」である。

会ってヒアリングをする中で、

・どんな課題を持っているのか?

・なぜその課題を解決したいのか?

・課題を解決してどんなことを実現したいのか?

・サービス導入の際、何が選択重視点になるのか?  

・要望は何なのか?

など頭の中で見込み顧客のことを推測するのではなく、直接会って生の情報を引き出し獲得していく。

そしてその情報は当然だが「正確さ」が求められた。

しかしながら、色んな都合で直接会えないケースもあった。

その場合は、

・アンケートを作りそれに回答してもらう

・電話でのヒアリングをお願いする

・他のマーケターに助言をもらう

・セミナーや勉強会を企画する

という具合に、すぐに会えないなら、会えないなりに見込み顧客を理解するためのアクションが求められた。

私はこうした中から見込み顧客の解像度を高めていくことを訓練されてきたのだ。

そして実際に、高まった見込み顧客の解像度をベースに、仮説を立て、企画をしていくと非常に成果が出やすく、意思決定に迷いがなくなり、物事を前に進めることが非常にし易くなった。

「適切な打ち手が取れる」ようになるとどうなるか?

最後に「適切な打ち手が取れる」ようになるとどうなるのか?についてだ。

例として、前述の③のケースを思い出していただきたい。

てことは、田中さんはワールドトリガー(漫画)好きじゃないですか?

てことは、田中さんのストレングスファインダーって学習欲が上位にきてないですか?

てことは、田中さんは習慣が人生を良くするみたいな考えをお持ちじゃないですか?

これらの打ち手はいずれも実際の私に近く、打ち手としてかなり適切だと述べた。

では、この打ち手を受け取った私はどう思うのか?

間違いなく、

いやあこの人わかってるなあ

という感想を抱く。

そしてこの感想の中には好意が多分に含まれている。

なぜなら、人は「自分のことをわかってくれる人に好意を持つ」からだ。

私の経験則では、こういう相手とは中長期にお付き合いをしたいと思えるし、相手を大切にしようとも思える。

そして何か相談したいことがあった場合は「わかってくれている人」に相談をするようになり、仕事も依頼するようになる。

相手にとっての「わかっている人になる」と、こういう人間関係がはじまるのだ。

逆に「わかっている人になる」ことができなければこういう人間関係は一向にはじまらない。

「道」にしても「虫」にしても「スマホ」にしても、「人」以外が対象の場合に「わかっている人になる」ことはないだろう。

なぜなら「道」も「虫」も「スマホ」も「いやあ、この人わかってるなあ」なんて思うはずもないからだ。

だが、適切な打ち手が取れた時には満足感や納得感を得ることができ、それらは間違いなくQOLをググッと高めてくれる。

ここまで「解像度を高める」とどうなるのか?について例を交えながら書いてきたが、私が「解像度を高める」をポリシーにしている背景にはこのような考えが敷かれている。

実は最近「それって解像度が低いからだよなあ」と思う事象が続いたので、いいタイミングだと思い書き留めておいた次第だ。

何かの参考になればと思う。

UnsplashAramudiが撮影した写真

【著者プロフィールと一言】

著者:田中 新吾

プロジェクトデザイナー|プロジェクト推進支援のハグルマニ代表(https://hagurumani.jp)|タスクシュート(タスクと時間を同時に管理するメソッド)の認定トレーナー|WebメディアRANGERの管理人(https://ranger.blog)|座右の銘は積極的歯車。|ProjectSAU(@projectsau)オーナー。

●X(旧Twitter)田中新吾

●note 田中新吾

ハグルマニの週報

こうやってブログを書き続けている理由には「自分の解像度を上げてもらうため」というのもあります。

会員登録していただいた方に、毎週金曜日にメールマガジン(無料)をお届けしております。

「今週のコラム」など「メールマガジン限定のコンテンツ」もありますのでぜひご登録ください。

▶︎過去のコラム例

・週に1回の長距離走ではなく、毎日短い距離を走ることにある利点

・昔の時間の使い方を再利用できる場合、時間の質を大きく変えることができる

・医師・中村哲先生の命日に思い返した「座右の銘」について

メールマガジンの登録はコチラから。

最後まで読んでくださりありがとうございます。

これからもRANGERをどうぞご贔屓に。

記事URLをコピーしました