田中 新吾

続いているものが全ていいというわけじゃない。

タナカ シンゴ

伊坂幸太郎のゴールデンスランバーの中に、人間の最大の特徴は「信用と習慣」であるという言葉が出てきますが、要するに、この二つにはとても大きな価値があるということだと思っています。

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今回は習慣の方に焦点を当てて少し思うところを書いてみたいと思います。

100記事投稿を目の前にして

ブログはじめて、もうすぐ100記事投稿に到達します。

「平日は毎日更新する」というルールを決め、毎日更新倶楽部というオンラインコミュニティの力も借りながらここまでくることが出来ました。

僕は根っから「人間、何かを続けるのは難しいこと」と思っているので、ここまで続けて来れたことに関しては、まず自分を褒めてあげたいし、更新倶楽部で共に更新に精を出すメンバーの皆さんに感謝したい。

参考記事:何かを習慣化したいならまず「同盟を結ぶ」といいかも。

毎日のアクセスはソーシャルよりも検索流入の方が圧倒するようになってきており、それが個人的には嬉しい。(検索で探して読んでくれている=探す手間がかかっている)ソーシャルがなかなか伸びないのはちょっとした悩みですが、大したことではありません。

まだまだ稼げるレベルでもないんですが、SNSでブロガーと名乗るようになったのはこんな感じで毎日更新が板に付いてきたからです。習慣化多分されました。

当面は”100記事投稿をするまで頑張る”を目標にしていたので、これがクリアとなれば次のステージのことを考えるのは当然のこと。

次のステージで、考えていきたいことや挑戦したいことは色々とあるのですが、その前提にもっておきたいことがあります。

それは”続いているものの全てがいいというわけじゃない”ということ。

続いているもの全てがいいというわけじゃない

続けることが難しいからこそ、続いていることには価値があると僕は思います。

でも、それが全てではないということは同時に肝に命じておきたいんです。

どういうことかというと、続いているものの中には”惰性”で続いているものがあるという話です。これには気を十分につけておきたい。

惰性で続いているものは、そこに”意思がない”ものだと思っています。

その逆に、「明日は今日よりも良くしていこう」

「次はこの部分を工夫してみよう」

というように”ちゃんと意思をもって変わり続けているもの”がいいものだと思っています。

惰性で続いているものは価値はほぼないと思うのでむしろきっぱりやめてしまった方がむしろいいくらい。惰性はダサい。

こんなことをちゃんと根底に置きながら、次の100記事投稿に精を出していきたいと思う今日この頃です。

さいごに

今日、昼間にふとこんなツイートをしました。

今僕は32歳なのですが、しみじみとこの変化を感じています。

この背景にはたぶん「時間」に対しての稀少性を強く感じ出したことがあります。

「時間があればなんでもできる」本当に最近そう思うんです。

だからこそ、時間を有効活用するために心身を健康にしておきたい。

それでは今日はこの辺で。

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