ロードバイクの盗難から、リフレーミングの意味と目的を学んだ。
ロードバイクを盗まれてしまった。
チェーンロックを持って出るのを忘れてしまって、施錠しないまま買い物してる間のことだった。
私の体型や乗り方の癖に合わせてメンテナンスしながら、約10年乗り続けた愛着があるモノだったので正直ショックを受けている。
このようなショックはいつ以来だろうか?
思いめぐらせてみると前回は自動車をガードレールにぶつけた時だったことを思い出した。
その時の自分と今の自分の心持ちを比較しようとした時に、リフレーミングという言葉が思い浮かんだ。
リフレーミング:物事の捉え方を変え、別の枠組みで捉え直すこと。 ネガティブな考えや、短所・欠点として見えていることも、物事の捉え方を変えて考えることで、長所や利点として捉えられる。
どうやらその時も今も同様に、私はリフレーミングによって、この不幸な出来事をなんとかポジティブに捉えて、ショックを和らげようとしているのだ。
そして前回と違って今回はあわよくば、損失の元までを取ろうとする貪欲な自分がいる。笑。
ところで、リフレーミングという言葉を初めて知ったのはいつのことだったろうか?
今ではリフレーミング一覧というものまでが用意されるようになっていて、メジャーなスキル?になってきているように感じる。
今回は、このロードバイクの盗難をキッカケにしてリフレーミングについて思うところを書いてみたい。
果たして元をとるところまでいけるのだろうか?泣。笑。
盗難リフレーミング
早速、ロードバイクの盗難のポジティブな面をいろいろと上げてみよう。
①小さなこと(日常のこと)と捉える。
・運用してもらっている年金の増減に比べると誤差の範囲である。
・宝くじでハズれた人、あるいはギャンブルで負けた何人もの人の話を聞いて、自分は(普段やらない)宝くじやギャンブルをやったことにしよう。
・別で使っているお金を十数回控えれば簡単に元をとれる。
②良いモノを得るキッカケと捉える。
・最近のロードバイクは軽量化されているし、ディスクブレーキで停まりやすくなっている。
・前回の初ロードバイクの時とは違って、これまで利用した経験から最適なモノを選べる。
③経験値が高まった。
・人は不幸な経験をしないと成長しない。(人の悲しさに寄り添えない)笑。
そう言えば、以前こんな見方を学んだこともあった。
「視点を行き来させる」
別の視点に移動して俯瞰して観ること。
これらも、一種のリフレーミングになるだろう。
・警察の視点では、
施錠して防犯対策をしっかりするように。
盗難車を見つけて犯人をつかまえたい。
盗難車の発見に協力してほしい。
・社会の視点では、
(再購入で)GDPが上がる。(ゴミが増えることにもなるのだが・・・)
社会にはもっと解決すべき問題がたくさんある。
・神の視点では、
施錠しないとこうなることもあるという因果応報がある。
盗んだ人が便利に使っていて、その人に寄付したという捉え方もある。
世の中に日々起こっている小さな当たり前の出来事の一つでしかなくて、取るに足らない。
私は、警察でも社会でも神でもない。
盗まれたただの被害者でしかないのだが、それでも人は自分ではない別モノの視点を勝手にイメージすることができる。
この視点移動というものは、個の損得へのこだわりが薄まって、自分に起こった出来事から距離を置くことができるスキルということもできるのだろう。
さて、自動車をぶつけた時と比較してどうだろうか?
当時より、私のリフレーミングの多様性が充実したように思う。笑。
そのおかげなのか、その時よりもずいぶん心が穏やかだ。
時々忘れ物をする(今回はチェーンロック)自分を、以前よりは許容するようになったからなおさらのようだ。
ここまで来てハタと気づいてしまった。
私というものは、高々自転車のことに、神まで登場させてしまっている!
心穏やかだ、と言っておいて、たくさんの視点を集めて自分のショックを多い隠してしまおうという必死さがにじみ出てしまっている。
大袈裟ゆえに、そもそもの自分の器の小ささが際立ってしまう。汗。
とりあえず、まだまだ成長途中だから!とだけ言って、ロードバイクの盗難から一旦離れることにする。
リフレーミングは常識破り
折角だから、もう少しリフレーミングについて思いに任せてみたい。
はじめに紐づいたのはSNSだった。
SNSが出てきた時の私の最初の感想は、メールとやれることは何も変わらない、というものだった。
1対1のやりとりもそうだし、大勢でのやりとりもメアドを複数入れることで可能だから。
しかし、今思えばSNSでは、吹き出し的な絵で時系列的にやりとりが可視化されるし、所属しているグループの場も可視化されて明確に見える。
このちょっとした見え方が、メールのグループとはわかりやすさとその帰属感を大きく違えてしまった。
その可視化したわかりやすさが、利用者の意識を大きく変えることにつながったように思う。
他にもいろんな要素があるが、SNSはできることは同じでも利用者の意識を変化させた。
これもまた、リフレーミングと言えるのだろう。
もうひとつ紐付いたのが、ニュースキャスターの久米宏さん。
当時、ニュースキャスターというものは私見を交えずに、事実だけを正確に伝える、という役目とされていたのだが、久米さんがニュースキャスターとして自分の感想や意見を言う走りだったと聞いたことがあった。
(番組 ニュースステーション 1985年~2004年放送 )
多くの人が久米さんの意見や感想によって、
起こったニュースに意味付けすることができるようになった。
久米さんが国民の代弁者になって人気となった。
これもニュースキャスターというもののフレームが変わったということなのだと感じた。
そして、当時久米さんの意見や感想をある意味、鵜呑みにして共感した私なんかは、その後更にまた見方が変わった。
ニュースキャスターの意見や感想に対して、どこぞの一部の情報ソースからの意見だろうとか、あるいは、どこぞに忖度した人なのではないか?などと疑いながら分別して眺めるようになった。
こうしてリフレーミングは続いて社会は変化していくとも言えるのだろう。
さて、こんな風にしてリフレーミングを眺めると、「前向きになるために・・・」という目的に限らずに、そこにまさに「常識破り」がある、と言えるんではないか?
そんな風に思えてくる。
ホンの一例に過ぎないが、メールの常識、ニュースキャスターの常識が破られてきた。
こんなような常識破りが、日々あちこちで産み出されていて、社会は我々を刺激をしながら今も昔も変化しているのだ。
逆に観ると「常識破り」をしなければ、新しい価値も新しいサービスも生まれはしないということになるということになるんだろう!
価値は常に非常識にある
人と人が一緒に生活する上で常識がないと不快に感じる。
このことをわかってはいる。
しかしその一方で、常識に自由は束縛されているとも感じる。
そして、世の中の常識になってしまって誰もが同じように感じるようになった時に、そこに意外性がなく、それ以上の発見がないから、退屈にも感じる。
映画やドラマにも意外性を期待しているし、引いては自分の生活にも意外性を期待しているところもなくはない。
また、取り決めどおりに進行されるものに飽き飽きしている自分もいる。
どうやら面白いと思えるモノには自分の常識への裏切りが必ず含まれているようだ。
そしてまた、自分の常識が破られた時に、新たな発見によってなんとも言えない快感があるのも、私において紛れもない事実だ。
その快感が、自分の常識にプライドを持つことで得られる快感を上回るように変わってきた。
面白いこと=価値があること、と捉えると常識の裏切りに価値があるということになる。
SNS、久米さんもそうであったように・・・。
たとえば、よく回るYouTube動画も、わかりやすさ(登場人物のキャラを裏切らない安定性)と新規性(裏切り)の両要素のミックスにあるとも聞く。
私のリフレーミングは、失敗した時のショックを和らげるために始まったのだったが、ここまで観てきて少し方向がズレてきたように感じた。
リフレーミングは常識を破るためのスキルでもあり、周りに価値を提供するためのスキルでもある、とまさにリフレーミングすることになった。
せっかく命をいただいたのだから、それが消える前に常識を裏切って価値を見出すこと。
それが人生を愉しむことだ。
あわよくば、人様に何かの価値を提供したい。(←何とも図々しい・・・汗。)
そんなリフレーミングのリフレーミングを経て、最後に冒頭のロードバイクの盗難の話に戻ってみよう。
盗難にあってショックを受けて、後悔する、なんてのは常識中の常識だ。
そして、そのど真ん中の常識には、何の発見もないし、何の面白みもない。
ショックを受けているだけでは何ともしみったれていて、周りも大人だから同情してくれてはいるものの、本来は犬も食いはしない。汗。笑。
盗難という不幸を価値に転換させるんだ。
今回の盗難の話はリフレーミングを考えるキッカケとなり、そこから更に価値提供の話にすり変わった。
例えば、お笑い芸人さんであれば不幸話をネタにする、そういうことなのかもしれない。
そして、お笑い芸人さんも笑わせるために裏切りをしようと日々頭を巡らしている仕事なんだろう。
ザッカーバーグにはなれないが、素人の私であっても、少しは芸人さんの爪の垢でも煎じて常識を破る頭の使い方をしていこう、という感覚になってくる。
盗難に向き合って常識を破る。
→よかったーっ!新しいロードバイクが手に入る!
今よりももっと軽くてもっと速くて、もっと自分の体にフィットしたモノに。
そして、私はその乗り心地の改善によってロードバイクの違いを解説できるようになる。
私はこの喜びから、盗難されたことに感謝することになるだろう。笑。
盗んだ人への感謝は、盗んだ人が快適に私の旧ロードバイクを使ってくれていることで、報いているとしよう。
と言っておきながら・・・・。
これまでであれば、無理に自分に言わせていたであろう、上記のことを心から思う境地にどこまで入れるか?
ここがポイントになるだろう。
こうして、私の新しいロードバイクが欲しい気持ちが爆上がりしてくるのだった。
盗難の元が取れるのは自分の常識を自分が裏切れるようになった時。
それは新しい価値が生まれた時。
それを実感できるのはまだまだ先のことかもしれない。
そのためには、もっともっと常識を破るリフレーミングの鍛錬が必要だと感じる。
これからも、いろんなことに対してリフレーミングを使って、更に強力に常識を打ち破っていこう!と決意を新たにする私なのだった。
UnsplashのBagaskoro Dwi Prastioが撮影した写真
【著者プロフィール】
RYO SASAKI
まだ、強がっている自分がどこかにいるようにも感じます。
そんな自分を完全に消し去る時ははたしてやってくるのでしょうか?笑。
工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。
現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。
ブログ「日々是湧日」
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