RYO SASAKI

欲の変遷をたどる。自分の欲に向き合うことで新しい自分に出会う。

タナカ シンゴ

あるお笑い芸人さんが、

「自分は欲がない人間だと思う。お笑い芸人にとりわけなりたかったわけではなく、ただただ食っていくために、家族を養うために、ここまでお笑いを淡々と頑張ってやってきただけなのだ。」

と、ここまでの自分の半生を振り返る場面があった。

これを聞いた時に、芸人にそんな人がいるんだ!と私は意外に思った。

そう思うのは、私にサラリーマンや公務員ならばともかく・・・という思いがどこかある。

芸が必要のないサラリーマン?

安定の公務員?

ならば、欲がない人が食うために選択することはよくあるのではないか?というのが底にある思いのようで・・・。

まあこれは私の大いなる偏見かもしれないのだが。

この芸人さんの話で、もう一つ思ったことは、私がこの芸人さんに似ているのかもしれない、ということだった。

私は、まず食うためにサラリーマンを選んだ。

出世しようという欲がなかったわけではないが、それはみんなが出世を目指すものだ、という当時の常識のようなものを信じ込んでいただけで、出世なんかよりも生きていくための収入アップの方がはるかに重要だった。

だから、私も与えられた仕事を、あるいは私ができる仕事をやってきたのだ。

そんなことを思い返してみると、私もこの芸人さんと同じ分類に入る、欲がない人間なのではないだろうか?と感じるのだ。

というようなことで、今回はこの「欲」について、の話になる。

「欲がない」ということ

欲がないのは良いことなのだろうか?

いや、あまり褒められたものではないように思う。

一般的に「欲深い」という言葉は良くないものとして使われるが、これはそれによって周りが迷惑を被るから「欲深い」が悪いことになっているだけのように思う。

世の中は限られたものを分け合うことになるケースが多いから、その時に他人が「欲深い」と自分の取り分が少なくなって迷惑になる。

また、「大欲非道」と言われたりして欲は悪者にもなるのだが、

※「大欲非道」=大きな望みや欲望が強く、人としての道にはずれて非人情な様子。

人の道にはずれない欲なんてものはいくらでもあるようにも思う。

欲がないと何も成就しないんだろうし、そもそも欲があるから人はこれまで生き抜いてきているはずで、ならば誰もが欲深くできていて、人生は生存の欲に始まって欲を満たすためにあって、日常を見渡すと欲を満たすことが人生そのものと言ってもいいのではないだろうか?

欲についてそんな風に思う。

さて、自分は欲がない人間なのか?

人間誰もが持っている、一次欲求(生理的欲求、食欲、睡眠欲、性欲など)を一旦除外した上で、それ以外の欲について考えてみる。

振り返ってみると、その時々で自分の様々な欲を自分自身が感じていて、その欲の多くをこれまで満たしながら生きてきた、という表現がピッタリするようで、ならば自分を欲のない人間だ、とは恥ずかしくてとても言えない。笑。

ただ、芸人さんと同じように、「何が何でもこの仕事がしたい」とか、「自らこの仕事でないとならない」という欲だけは、なかった、ということなのだろう。

一方では、与えられた仕事を拒否することなく、曲がりなりにも続けてこられたのだから、仕事をしてお金を稼ごうという欲はチャンとあった、と言える。

そんな自分のことから類推すると、一般的に食欲旺盛な人とそうでない人がいるように、強弱はあるものの、人に欲がある、ない、というより、その人の欲が何に向かっているか?ということの違いなのではないか?

そしてその欲の向かう方向によって、人の個性が現れる、ということなのだとあらためて感じる。

ある人はこの欲があるが、この欲はない、という具合に・・・。

ちなみに、この欲が個性に現れるということは、私の場合は、やりたい仕事が明確にあってそれを仕事にできている人を参考にすることで、やりたい仕事が簡単に自分も手に入れられる、という風には考えない方がいい、ということになる。

何事も人は別々の個性を持つのだから、簡単に人を真似ることができないようになっている、ということをこの機会にもう一度、心に留めておきたいと思う。

欲の変遷をたどる

自分の欲を過去に遡ってみよう。

年齢によって欲も変化するというのが一般的なのだろうか・・・その変化する欲は大きく3つに分類できるように思う。

「目覚めて不要になる欲」

・当時、流行りに乗っかりたかったが流行が終わるとともになくなる欲。

・自分を飾らなくなったり、見栄を張らなくなることによってなくなった欲。

「枯れてしまう欲」

・一度所有したり、経験したことで、飽きてしまうなどによってなくなる欲。

「新たに発生する欲」

(これだけは前の抽象的な2つとは異なり、具体的に書いてみる。)

・自分のモノの見方を知ることで不毛なモノの見方をなくしたい、という欲。

※この欲の一端をこのブログが担っている、と思う。

・本物を食べたいという欲。

※これについては以前このブログに書いた。

『折角生まれてきたのだから、イミテーションワールドから抜け出て本物を知りたい。』

自分の細かい行動をひとつひとつみてみると、普段意識はしていないすごい種類の欲があることがわかる。

生活はそのたくさんの欲で構成されているといっていい。

それらの欲を大まかに括ると上記3つになるように思う。

そして、欲は日々微妙に変化して長い期間をみると入れ替わっていたりもするのだ。

そんな変遷を眺めると、「覚めて不要になる欲」からは早く覚めてしまって、「枯れてしまう欲」は経験して早く枯らしてしまって、「新たに発生する欲」をドンドン満たす。

この循環によってたくさんの欲をこなすことで、経験豊かになり、それが人生を味わうことのように思う。

そして、欲が悪者にされるからと言って、欲は抑制してはいけない、ということをあらためて感じてくる。

それは欲は、抑制することで卒業できるものではないからだ。

欲は、目覚めたり、飽きたりすることで、やっと抜け出せるもの。

だからどんな欲でも覚めるまで、飽きるまで、満たさないといけない。

注釈をいくつか加える。

※1 覚めるためには、新しい欲に気づく必要があるが、どうやって自分が覚めてきたのか?これから覚めればいいのか?正直、説明は難しくて、強いて言えば、物事に対して素直に感じ続けること?になるだろうか。

※2 法的にNGで欲を満たせないものは難しいのだが・・・。

※3 人はボケた時にこれまで満たされなかった欲を満たそうとするらしい。

例えば、

旅行したかったのに出かけなかった人→徘徊するようになる。

食事を制限してきた人は、何食食べても満足しないようになる。

など。

こんなところが、ここまでの自分の欲の変遷から導かれる、欲との向き合い方のように思う。

そしてこんな風に欲に向き合うことで、健康でありながら、しかも本来の自分に出会うことができる方法なのだと思う。

さて、これからの私の欲はどんな風に変わっていくのだろうか?

年を重ねた最後には一次欲求だけの状態になるのだろうか?

一次欲求の食欲も枯れて、悟りの状態になるのだろうか?

うーん、私に限っては、悟りの状態になるというのは、今生は難しそうだ。

ここまで長い期間自分に付き合ってくると、残念ながらそれがわかってしまう。汗笑。

ホントに残念ながらなのか?という引っ掛かりもあるが、まあ、そこまでは行かないにしても、新しく現れる欲は若い時の欲よりもマシなものなのだろう・・・マシなものだと思いたい・・・。

※これまで抑制していたものが年をとってから現れるのならば、その欲は子供のような純粋で原始的で厄介な欲なのかもしれないのだが・・・。

今生で、どこまでまだ見ぬ自分の欲(=まだ見ぬ自分)に出会うことができるだろうか?

ともかく、自分の欲を出すことが自分を生きること、人生を味わうこと。

どんな恥ずかしい欲が湧いてきたとしても、ごまかさずにその自分の欲求にしっかり向き合って、できるだけ満たしてあげることで、また新しい自分に出会っていきたいと思う。

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昭和の最後の頃、流行った言葉がある。

「エンゲル係数が高い」

※エンゲル係数=家計の出費に占める食費の割合のこと。

これは、食費以外のいろいろな贅沢ができない貧乏人を揶揄する言葉だった。

そこから30年以上が過ぎて、私の欲は、見栄から目覚めて飾るものが欲しくなくなってきて、一方では本物を食べたくなって(値段がそれ相応のものになる)・・・と変化した。

これは、どんどんエンゲル係数が高まる方向の変化だ。

年をとって体も変わって、それに環境も手伝って、意識が変わって目が覚めて!?私の欲もずいぶん変わったものだと思う。笑。

今では、むしろエンゲル係数が高いほど豊かだと感じるようになっている。

モノの感じ方が180度変わるというのはこういうことを言うのだろうか?

なんとも面白いものだ。

UnsplashYuka Yamazakiが撮影した写真

【著者プロフィール】

RYO SASAKI

自分の欲を満たすには、周りから快く思われなかったりと、実現するにはいろいろな制約があるものだと思います。

だからこそ、せめて自分だけは満たすことに前向きになって、丁寧に向き合わないとならないのだ、と自分に言い聞かせたいと思います。

工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。

現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。

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