RYO SASAKI

意識的な思考に対する無意識的な思考の抵抗が、第三の反抗期である!?

タナカ シンゴ

「(高学歴の)病院の先生が、子育てに苦労しているんです。

むしろ、病院の先生だからかもしれませんが。」

そんなことをある人が切り出した。

そのあとに続いたのは、おおよそこんなような内容だったと思う。

・その先生の子供への接し方は、子供がわがまま言ったり、ぐずったりするのを「ダメ!ダメ!」として制することに終始する。

・子供への指示がとにかく効率的である、すべてが否定的だが・・・。

・日頃から、圧倒的に子供にかまっている時間が少ないのだろう。

・そのことが、子供が通常のイヤイヤ期(2~3歳)を優に超えて未だにぐずっている原因になっているのは、周りの誰から見てもハッキリとわかるくらいのものだ。

私は、このような親は何も珍しいものではないと思いつつも、イヤイヤ期を延長するまでになっているのは、なかなか極端な例だと思った。

そして、これは教育というよりは、子供を四方から叩いて、親の、あるいは親の思う社会のピースにピッタリと当てはまるように整形するインダストリーだ!などと思ったりもした。

そこに当てはめられないのが人間というものなのだろうが・・・。

ところで・・・自分のイヤイヤ期とはどんなだっただろうか?

そんな思いがもたげた。

イヤイヤ期

2~3歳頃のいわゆるイヤイヤ期(第一反抗期)についての記憶はさすがにないので、第二反抗期(11~17歳)を思い出してみることにする。

そう切り出してみたものの、私の反抗期は、取り立てて人にお聞かせするほどの激しさがなかったようで・・・。

覚えているのは、高校に入学した頃のことだろうか・・・。

それは、高校に入って学業のレベルが上がったことへのストレスも加わってのことだったと思う。

親のいうことがすべて薄っぺらくその場しのぎのように感じて、親への不信感が募り、無視したり文句を言ったりした時期があったように思う。

何かのキッカケがあったわけでもなく、どうにもならないというどこか諦めのようなものが、忙しさに紛れてその時期は過ぎ去っていき、その後、親元を離れたのでうやむやになって終わったように思う。

普通、イヤイヤ期と言えばここまでなのだが、私にはその先にもうひとつイヤイヤ期があったのかもしれない、そんなことに思い当たってしまった。

それは、会社に入ってずいぶん経った時のことだ。

担当しているビジネスが順調になるとやることが見えるから行動も安定して、ある意味楽になる。

そんなフェーズでのまっとうな会社方針は、効率化かクオリティを上げることで更なる収益化を追いかけるものだ。

それは頭ではわかっているのだが、この順調なビジネスを更に収益化することに私は全く意欲が起こらなかったのだ。

それによって自分を含む全体がまた疲労疲弊してしまうことが、正直うんざりだったんだと今にして思う。

その時の気持ちは、まさに今年の流行語大賞の、

「もうええでしょう」

(ドラマ『地面師たち』のセリフ)

という感じだった。笑。

順調な時でも新たな課題を設定してそれを埋め続けることがサラリーマンとして給与をいただくためのことだ。

そして、同時に稼ぐことが私個人としての目的でもあったのだから、自分の目的に叶った行為のはずではあるのだが・・・。

私の明らかなイヤイヤが発動してしまっていた。笑。

当時私には、稼ぎたいという思いの自分と、それとは逆にイヤイヤな自分がいたが、自分にイヤイヤがあるとは思わないようにごまかしながら過ごしていたように思う。

大人のイヤイヤ期なんてものは、どこか痛々しいし、犬も食わぬもの。

だからもしそんなものがあったとしても、誰も口に出したりはしないものだろうが、それを私は口にしてしまった。汗。笑。

意識的な思考と無意識的な思考

大人のイヤイヤ期まで持ち出してしまったのだが、このイヤだという感覚は、どこから来るものだろうか?

このことを整理できそうな考え方が見つかった。

それは、思考を意識的なものと無意識的なものに分けて説明しているものだ。

意識的な思考・・・頭の中に存在する何か特別な問題を解決するための「目的志向型の思考」

無意識的な思考・・・寝ている時も動いている「命」や「生きる」ということを支えるための「総合的な思考」

意識的な思考、確かに人は、何かの目的のためにどうしたらいいか?と常に考えているものである。

意識しているから、どういう内容か自分で説明できる。

これに対して、無意識的な思考がある。

今まで私はこのことを”感覚”として捉えて使っていたように思うのだが、無意識的な思考の結果が感覚として表れる、そう捉えた方がいいのかもしれない。

たとえば、イヤイヤ期として紹介した、理由がハッキリしないけれどなんかイヤだ、というような感覚・・・、知らない間に夢中になってしまう感覚などなど・・・。

無意識的な思考は、その感覚の理由を言葉にしないとどんなものか掴めないのだ。

思えば、以前の私の意識は、ほとんどの時間自分が目指す目的のことばかりを考えていたように思う

目的のことを考えない時間も当然あったが、その時間だって目的のことを十二分に考えられるための休息にしか過ぎなかった。

私は、無意識的な思考を抑え込んでドップリ意識的な思考に漬かっていた、ということなのだろう。

第三の反抗期

そんな自分を眺めると、こんな思いが湧いてくる。

大人のイヤイヤ期というものは、目的を持った意識的な思考に対して、無意識的な思考が反発することなのではないだろうか?

その反発を、目的意識が高い現代の大人には必ずやってくる第三の反抗期と言ってもいいのではないだろうか?笑。

目的の度が過ぎたり、たくさんの目的を持ち過ぎたりすると、無意識からの反発が起こる。

もちろん、この無意識からの反発を受けることなく第二の反抗期で終わる人もいるのだろう。

この第三の反抗期は、目的意識が少ないこと、自然体でいること、などによって回避できるのかもしれない。

また一方では、第三の反抗期のあおりを受けても動じずに、意識的な思考でコントロールして目的を達成し続けて生きる、それもまたひとつの生き方であって、それができる人が仕事ができる人であって、現代社会では推奨されているのだろう・・・。

だがしかし・・・現代は目的指向型になり過ぎているんではないだろうか?

意識的な思考によるコントロールが過剰になることで、体に不具合が起こっているのではないだろうか?

・・・・・・

いやいや、そんな現代への”大それたお世話”なんかは止めて、自分に向き合うことにしよう。

第三の反抗期の有無はともかくとして、自分は今、自分の無意識的な思考をどこまで大切にできているのだろうか?

これを、今、何も目的のない時間をどれだけ過ごせているだろうか?という問いに変換してもいいのかもしれない。

そんな時間を持とうものならば、怠惰な奴だとか、無意味な時間だとか、タイパが悪いだとか言って、自分の意識的な思考が自分を責めてはいないだろうか?

そもそも、「目的を持たない人生なんて価値がない」という思想にドップリと自分を漬け込んできたことがその根底にあるようで、まずはそれを洗い流さないとならないのかもしれない。

人生に目的が何もなくても、時々楽しいことがあればそれだけで十分、そう思えているだろうか?

目的を持ってそれを達成する生き方はもちろん素晴らしいが、目的を持たないで過ごす生き方もそれはそれで素晴らしい。

そんなバランスを持てるのだろうか?

そんな疑いの目で自分を眺めながら、無意識的な思考(そこから現れる感覚)に耳を傾けて行きたい、そうあらためて思うのだ。

どうせここまでのことは、怠惰な相変わらずの私が、目的を持たなくてもいい理由を自分で巧みに組み立ててしまったものじゃないか!

私の意識的な思考はこんな分析をするのだが、怠惰も私の無意識的な思考によるものなのだ、と開き直れないのならばそれはホントではないだろう!

そんな風に自分の意識的な思考に言い聞かせて終わることにする。汗。

追記

宮沢賢治の『農民芸術概論綱要』の中に、有名な言葉があります。

「無意識から溢れるものでなければ、多くは無力か詐欺である。」

宮沢賢治は、人の無意識の世界を大切にした人で、この言葉には無意識からのものがその人本来のものである、といった意味も込められているようです。

この言葉から、真っ先に思い出すのは「セールス」の仕事のこと。

振り返ると、他人に何かを売るという行為はやはりどこか無意識から抵抗が現れていたように感じます。

私という者は・・・。

そんなことも重ね合わせると、無意識的な思考と意識的な思考による目的がマッチしている人が、やはり幸せなのではないか?そんな風に思います。

そして、人生で目指すものとして、

「無意識的な思考に意識的な思考のマッチさせること」

というのがあってもいいのではないか?

な~んてことまで思ったりもします。

簡単ではないんでしょうが、面白いなあと思うのです。

目的を持たない人生もいい、などと言っておいて、また意識的な思考(目的指向)が働いてしまいました。汗。

UnsplashAlfonso Scarpaが撮影した写真

【著者プロフィール】

RYO SASAKI

工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。

現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。

ブログ「日々是湧日

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