RYO SASAKI

「外側の話」をする人、「内側の話」ができる人。このタイプを知ることで社会の変化を感じる。

田中 新吾

最近も酒席でいろいろな人と他愛もない話をしているのだが、そこでひとつの気づきがあった。

それは、あるポイントにおいて人のタイプが分かれるということ。

この気づきは決して目新しいものではないし、以前からなんとなくわかっていたものだが、明確な言葉になったのは初めてのことだ。

そしてタイプ分けをしたことによって、同時に自分自身の変化と自分の今の癖に気づく。

続いて、なぜそれぞれのタイプに分かれるのか?というところが妙に気になって、ChatGPTに聞いてみたりもした。

すると、ChatGPTが整理してくれたことを読んでまた次の疑問が生まれる。

今回は、そんな風な気づきと疑問が連鎖していった私の拙い思考を辿ってみたいと思う。

はじめに、そのキッカケになった学生時代の同級生との会話から始めることにする。

東尋坊に花屋はあるのか?

同級生のひとりが、東尋坊に旅行に行ってきた、と話の口火を切った。

景観の凄さだとか、自殺の名所だとか、刑事ドラマの最後のシーンで使われるだとか、定番の話がひと通り終わって、献花の話になった。

「東尋坊には花屋はあるのかな?」

「そう言えば、現場で献花を見ることは一度もなかったなあ。」

その後、

「献花を自治会が回収しているのかもしれない」

「花屋は作ってはならない、という不文律があるのかもしれない」 

などのやりとりを経て、花屋があると献花が増えて折角の景勝地に自殺を印象付けてしまう、だから花屋はないのでは?というところでこの話題が終了した。

さて、この件の話をしていた時に、私が明確に感じたのは、「退屈」。

なんでこんなに退屈なんだろうか?

その理由を、表面的には相槌を打ちながら考えていた。

私は東尋坊に行ったことがない。

東尋坊の景観をしっかり想像できないからなのか?

あるいは自殺という残念なことに関わる話をしたくないからなのか?

その時は、”退屈”の理由をそれ以上追求することはできずに流れた。

考えて自分のことを話してくれる人

その数日後、また別のある人が、

「やりたくない仕事を頑張っている人が多い」

という話をしはじめた時のこと。

私は、私と同じようなところに着目する人だ!と嬉しくなって、

「若いうちは、社会の役割を担って生計を立てなければならないし、親の役割を担って子供を育てなければならないですからね。我々はこれからが本番ですね!」

というような言葉を返したと思う。

更に調子に乗ってユングのペルソナ(外向きの人格)の話を続ける。

そうしたところ、その人は「それでいうと(私自身の場合は)〜〜で〜〜だと思う」という具合に、自分という者がどういう人物なのか?ということを混じえて、私の話に見解を返してくれたのだった。

「ウーン・・・・」しっかりとした間があったことによって、私の言葉をチャンと受け止めて考えてくれたようにも感じる。

私は、私の興味があることに関する、このような癖の強い投げかけに対して、どういう反応をするのかということから、人がタイプが分かれることに気づくことになった。

この人のように、チャンと考えてから自分のことを話してくれるタイプ、そして、もうひとつは、何も反応せずに固まってしまうタイプ。

そもそも、自分のことを他人に話すことに人は抵抗があるものだ。

だからもちろん、私でも誰もが自分のことを話してくれるとは思ってはいないのだが、それでも話の流れで勢い余って相手のことを引き出そうと投げかけをして、相手を固まらせてしまうことがあることを思い出す。汗。

ともあれ、この自分のことを話してくれる人によって、東尋坊の話をした同級生が対比として蘇ってきて、タイプが分かれることに気づかされたのだった。

実は、東尋坊の話の後に、私が同級生を何度か固まらせてしまっていて・・・。

そのひとつは、

「(この年になったのだから)これからはやりたいことをやった方がいいよね。やりたいことってどんなこと?」

という投げかけたことによるものだったと思う。

その場に同級生は複数いたが、誰も何も言わなくなって、場は見事に静まり返ってしまった。

人のタイプには、自分のことを話すタイプと話さないタイプに分かれる!

そして同時に、私という者は東尋坊の献花の話は退屈で、人が何をやりたいか、の方には興味がある。

そのことにも気づいたのだった。

外側の話に興味なし、内側の話に興味あり

この2つのタイプを対比させてChatGPTに尋ねてみたところこんな回答が返ってきた。

人には「外側の話」をする人 と「内側の話」をできる人がいます。

人の会話には 外的情報(ニュース・出来事・事実) と 内的情報(感情・価値観・考え) の2種類があります。

外側の話しかしない人は、

・自分の気持ちや価値観を表現することに慣れていない

・「個人の内面を語る=弱みを見せる」と感じる

・育ってきた環境で、感情表現が評価されなかった

という要因があるでしょう。

また、相手やその場が安全な場かも大切な要素です。

安全でない場合、

・まだ関係性が浅い

・判断されたくない

・面倒な深掘りを避けたい

ということになるケースがあります。

(一部抜粋)

AIに抗おうとしている私なのだが、この回答には見事な整理だ、言わざるを得ない。笑。

これによって私は、今や「外側の話」に興味が薄く、「内側の話」に興味が向いている、と整理された。

東尋坊の話は、「外側の話」(自治体のルールあるいは花屋という商売のマーケティングといった内容なのだろう、後でChatGPTに聞いたところ、特に献花禁止としている情報はない、献花ばかりでは花屋の商売が成り立たない、という解説があった)。

そして、人が何をやりたいか、の話は、「内側の話」。

自分が「内側の話」に興味を持つとは・・・昔に比べると180°変わったように感じる。

若い頃「外側の話」ばっかだったから、今になってその反動が出ているんだろうか・・・。

今の自分の好きを突き詰めていくと、社会のルールや制度にも、あるいはマーケティングという手法にも最初からそもそも興味がない人間であることがわかってきた。汗。

社会の制度に人の感情が紐づくと興味は出るのだが、そうでないと制度を知ろうという意欲が湧いてこない。

また、商売の基本としてあれだけ学んだマーケティングも、今は人それぞれの個性を一処に誘導するように感じられて、少し嫌いくらいに感じられている。笑。

制度やマーケティングを学ぶことも、今まではただ役割としてやってきただけだった。

そしてもうひとつわかったのは、同級生は私を安全な人だと思ってない、ということ。

だから、私に「内側の話」をしてくれない。汗

社会人になってから会ったのがこれで4〜5回目。

しかもいつも大勢と一緒。

となると「内側の話」なんて軽はずみにはできない。

そんなもんなのだろう。

今も、お互いに弱みを見せてはいけない、というプライドが我々をそうさせているのかもしれない。

人はなぜ「内面を語ること=弱みを見せること」と感じるのか?

続けてChatGPTに、
「個人の内面を語る=弱みを見せる」
と感じるのはなぜなのか?について聞いてみた。

1.評価や否定を受けるリスクがある
人は誰しも 「自分の大事な部分(価値観、欲望、傷つきやすさ、悩み)を否定されること」 を非常に恐れます。

2.自分でも言語化できていない部分を触られるから
内面の話は、実は多くの人にとって「未整理」の領域です。
未整理のものは触れられると不安になります。

3.日本の文化的背景
日本では長く、
感情を表に出さない
本音と建前を使い分ける
迷惑をかけないよう自分を抑える
という文化が根付いてきました。

(一部抜粋)

日本人は、一兵卒として命令に従う者であるという感覚を強く持っていて、そしてまた同調圧力も非常に強いのが日本の社会。

それを笠に着て弱い者にマウントをとる人がいる。 

このマウントによって有利に運ぼうとするのが、人がどうしてもしたい環境適応のひとつなのだろう。

少数意見の者は弱い者としてマウントを取る対象になる。

マウントをとる者は、マウントをとることによって自らの優位性を保ったことにして、恐怖感を減らそうとしている。

 

これも環境適応のための手法。

一方で、そのような社会から批判されないように、変にマウントを取られないように、「内側の話」をしないことを選択をした人がいる。

こちらもまた環境適応のための手法だ。

その環境適応のための手法をDNAが受け継いできているわけだ。

このように人のすべてのタイプは、それぞれの環境に適応するためにDNAに刻まれたもの、そう言っていいのだろうと思う。

内側の話をする人が増えたことで、社会が変化したことを知る

「内側の話」をたくさん聞きたい私は、自分の欲から「内側の話」をすることをどうやら人に勧めたいようで・・・。

「内側の話」をすることの効能を上げると、

・ストレスを軽減する

・自己理解が深まる

・自分を尊重することになる

・心理的負担を予防する

などなどいろいろなものがある。

にも関わらず、先の理由で「内側の話」をしなくなった人がいる。

「内側の話」をした場合の効能に比べて、「内側の話」をするリスクが減った社会では、効能の方が選択されるようになるのが自然ではある。

しかし、DNAに刻まれた環境適応の名残は、社会が変化して環境が変わっても急に切り替わるものではないのだろう。

それでも、若者なんかが初対面の私に「内側の話」をしてくれた時に、私は社会は変化したのかもしれない!そう感じることがある。

そう、過剰な同調圧力が減って、マウントによる見せかけの上下がなくなって、多様性が尊重される、社会がそんな風に新しい社会に変化していることを、「内側の話」をする人が増えていることによって確認できるのかもしれない。

私は、今回のタイプ分けの気づきを、社会のバロメーターとして活かしたい。

そんなことを最後に思う。

では、そうするために私ができることは何か?

もっと安全な人であらねばならない。笑。

私の顔の怖さはどうしようもないので、せめて自分の「内側の話」を自ら自然にすることだろうか・・・。

いい塩梅のものを・・・飾らずできるだけ正直に・・・。

そんな風にしてこれからも人と他愛もない話をしていきたい。

今回も話はとりとめなく流れて、東尋坊の花屋から、社会の変化を感じる、までに至ってしまった。

こんなことになるとは、自分でも全く予想がつかなかった。

UnsplashEtienne Boulangerが撮影した写真

【著者プロフィール】

RYO SASAKI

AIを毛嫌いせず、使えるものは何でも使おう!今回のことでそう思いました。笑。

工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。

現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。

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