RYO SASAKI

不調を避けることはできない。不調の時ほど自分を大切にして不調と共に生きる。

タナカ シンゴ

股関節痛のため、体に電気を当てる治療を受けている。

少しずつだが良さげな変化を感じているのだが、ここ最近はその治療後の体のダルさがハンパない。

何事にも全くやる気が起きない。

メンタルが落ちて上がってこない。

以前にもこんな状態があったなあ、と思い出したのは、インフルエンザを患った時のことだった。

最後のインフルエンザは、もう10年以上前になる。

5日ほど寝込んだだろうか。

この時も全くやる気が起こらなかった。

熱が上がっているからインフルエンザの苦しさの方が今回よりもっと酷かったのだが・・・。

それで、その時もそうだったと気づいたことは、何もやる気のない時でも、思考は巡るということだ。

あらためて思う。

なんどきも思考を止めることは難しいものなのだと・・・。笑。

今回はこのメンタルが落ちて何もできない時に唯一できた思考、その時思い浮かんだことを並べてみて今後に活かせることを見つけてみたいと思う。

不調になって思うこと

病気や怪我などで不調になった時、休んで迷惑をかけた人たちへ謝罪と最低限の対処を終えて、まず最初に思うことは、

「なぜこんなことになってしまったのか?」

「こんなことにならないためにはどうしたら良かったんだろうか?」

といういわゆる原因分析。

原因として思い当たることを見つけては、しなければ良かった、と反省し後悔までが一連の流れだ。

これは未来に同じ過ちが起こらないようにするために人に備わっている大切な機能である。

人間の記憶というものは、最初は未来の改善のためにできた、とこの前何かで聞いた。

次には、今の不調はどのくらいの程度なのか?良くなっているのか?などと、不調を頭が値踏みしてどの程度不調が続くのか予想したりする。

思えば、私の場合は頭の中でこの2つのことを反芻して、ほとんどの時間を費やしていたんではなかっただろうか?

更にそこから、

「自分という人間はどうしてこうも弱いのか?」

「そう言えば、子供の頃から喉をやられて熱が出ることがよくあった。

大人になっても結局何も変わっていないではないか・・・。」

などと更に思いを巡らす。

その多くが自分を否定するネガティブなものだ。

何も体が苦しくて、メンタルが落ちている時に、更に追い討ちをかけることをしなくてもいいのに・・・。汗。

今眺めるとそう思う。

ちなみに原因分析といっても、いろいろな疲労の蓄積だったりと、ハッキリした原因はわからないことが多い。

そして、弱く生まれた自分を嘆いたとしても、強く生まれ変われるわけでもない。

こうしてみると自分は出せない答えを見つけては自分を否定するという、傷口に塩を塗るような行為をしていたのではないか?

原因分析は大切なことだとは思うものの、これが良い思考パターンだとはとても思えない。

この思考パターンでは、苦痛が苦痛を呼び寄せる、あるいは、ネガティブはネガティブを増幅させる、ということになってしまっているようだ。

これが私に染みついてしまってきている思考パターンなのか・・・。

不調のポジティブな面

この思考のパターンを何とか脱却したいものだ。

それではまた登場してもらおう。

「物事には光と影がある」

この何度も自分に繰り返している言葉は不調というものにも当てはまるはずだ。

不調のプラスも面を見てみよう。

例えば、病気になるのは、死んでしまわないための事前アラート。

人は、不調が出ることで問題を初めて把握して、それを治すために動かざるを得なくなるから・・・。

また、熱が出るのは、体内で悪さをする菌を殺すための防御機能。

そういう意味では、病気、そして、熱が出る、ことで苦痛を受けたとしても感謝しなければならないということになる。

不調とは、何かを変えるキッカケ、それは道しるべの一つといっていいのではないだろうか?

他の不調に目を転じてみると、何かのスキルアップを目指している場合、ある時にそのスキルアップが全く結果に現れないタイミングがある。

一般的に、スランプと呼ばれる。

このスランプも今までのやり方で良くっても、まだ鍛錬が不足していてある合格点のレベルまで至らないというサインであったり、これまでのやり方を変更した方がいい、というサインであったりする。

スランプがスキルをアップするためのガイドになる。

スランプは避けたいもののように思うが、そうはいかないし、また、そうではない。

そしてまた、別の見方をするとスランプはわかりやすく見える現象なだけで、中身の積み重ね量と比例しない。

ある時突然、スキルがアップする(到達したように見える)ことがある。

このように不調というものにも様々な捉え方がある。

私という者は不調というものを失くしたいと願って生きてきたのだが、人生はそんな風にはいかないものだ。

というよりもそんな単純にはできていないのだ。

難しいことにチャレンジするからこそ不調を引き寄せることもある。

それでもその不調を越えるからまた喜びが大きいものでもある。

今の私にとっては、自分にやってくる不調は必要不可欠なものだと捉え直すことが必要だ、と感じるのだった。

不調への向き合い方こそが大切

人生には好不調の波が必ずある。

不調の時は不調を増幅しやすいものであり、また別の視点では、この不調は不可欠なものでもあるのだから、不調への向き合い方が大切になるというところに今更ながら至る。

企業経営でも企業が好調の時よりも不調の時の方が、経営者の真価が問われるのだ。

そんなことも思い出した。

どう向き合っていくのがいいのだろうか?

やはり、大切なのは不調の原因分析なのだが、最初の切り分けこそが私には大切だと感じる。

原因が特定できればそれが改善策につながるからそれは良いことであるのは間違いないのだが、前向きな改善者である私は、何事も明確な原因を特定できるもの、と思い込んでいて行き過ぎる節があるのだ。

原因が特定できないものを無理に特定しようとしてしまう。

それはしてはならない。

原因を特定できないものとしたならば、改善も考えずに、自分を責めずにただただやり過ごすことができる。

できないことをあれやこれやと悩んではならない。

原因が特定できなくとも、不調には何らかの意味があるとだけ認識する。

インフルエンザの場合がまさにこれに当てはまる。

インフルエンザもその原因を特定することは難しい場合が多いのだ。

インフルエンザもそれが休息になり睡眠不足が解消されたりするなど体のリセットになっていたりするから、そのままでいい。

こう書くと当たり前のことなのだが、この原因を特定しない、ということが思考を止める、に似て私にはなかなか難しいこと。汗。

そして、前向き?で真面目?だと無理に原因を特定しようとする。

そして、それをしてしまった自分を過度に反省してしまい、自分を責める。

そして、二度と起きないようにその根っ子を撲滅しようとしてしまう。

そんな傾向の私の場合は、この時ばかりは、後ろ向き?に、不真面目?である必要があるのだ。

インフルエンザもこのタイミングで自分に必要なものだったとしてウェルカムと受け入れて向き合おう。

向き合うと言っても、ただただ流れに身を任せ、菌と戦って熱を出しているひとつひとつの細胞にうなされながらも感謝しよう!笑。

休息を得られていることをラッキーだと感じよう!

そんな風に不調のプラス面を観て共にいなさい、と自分に言い聞かせるのだ。

ブルーな自分への向き合い方

最後にここから派生して、不調よりももう少し細かい感情への向き合い方も考えてみたい。

感情にも喜怒哀楽の波がある。

怒りや哀しみを感じること=ブルーになることも避けられない。

ブルーもその原因を追ってみると、それは視覚や聴覚などの外の情報から反応しているものが多い。

不幸なニュース、自分の失敗、困っている人間関係など・・・。

ブルーになるのは簡単だ。

ブルーはまた必要だし不可欠でもあるが、過度に感じすぎるとストレスとなり、体に悪い。

だからブルーを軽減する必要はある。

原因が特定できた場合は、その原因の情報の捉え方を変えることでそれぞれにブルーを軽減する。

このメンタルコントロールの方法は世の中にたくさんあって、ここで掲載することは控える。

ここで注目するのは、同じブルーでもその原因が外の情報にないケース。

そのブルーな感覚はどこから来るのか?

どうやら身体からきているようだ。

体調の悪さによるブルーだ。

体調が悪いと言っても気分が優れない程度のもの。

この気分の悪さは昨日と明らかに違う。

その体調の悪さの原因もハッキリしない。

寒暖差だったり、気圧によるものかもしれない。

あるいは、食べ合わせが悪かったのかもしれない。

あるいは、何かの菌を拾ってしまったのか?

その翌日にはまた戻ったりする。

そんな時も、先ほどと同様に原因を突きとめることを止めて、ブルーに身を任せるのがいいのではないか?

そんなことを考えていると、ある情報が目に止まった。

人間には、外受容感覚(視覚、聴覚、嗅覚など外から入ってくる感覚)が鋭い人と内受容感覚(体内の内部の心拍、空腹、尿意などの感覚)が鋭い人がいるらしい。

内受容感覚が鋭い人は、特に人前などで緊張しやすいが体の変調に気づきやすい。

だから、しょっちゅうあそこが悪い、などと言ったりもするし、いつも不安状態にある傾向なのだという。

一方の外受容感覚が鋭い人は、人前でも緊張しづらいのだが一方では体調の変化に気づきづらい。

とても健康だった人がいきなり大病を煩ってしまったり、意外にも自分の体調がわからないことでアンマッチになりうつ病になりやすいのだそうだ。

どちらにも一長一短がある。

このことに照らし合わせてみても、体の不調からのブルーを無視せずに、チャンと認識することなのだ。

そして、原因が外部情報からくるものなのか、体の中からきているのかを切り分けることなのだと思う。

私は子供の頃、親からよく「かがなきが強い」と言われていた。

「かがなきが強い」とは秋田の方言で、「すぐ弱音を吐く」というような意味だ。

風邪で熱が出て弱音を吐くと、「我慢しなさい」とよく言われたものだ。

またうまい言い訳を見つけてきたようなのだが、私はこの内受容感覚が鋭いタイプなのではないだろうか?

確かに人前でのスピーチの緊張はハンパなかったし・・・。汗。

ならば、なおさらのこと、私の場合はこの内受容感覚をうまく活かして過ごすということなのだろう。

不調もブルーも、やはりこれ以上悪くならないためのサインなのだ。

ブルーが体の中から来ている時は、無理しないことだ。

その切り分けに応じて対処と放置を適切に行うこと。

不調やブルーを嫌って失くそうと躍起になるばかりではなくて、感じている不調やブルーをしっかり受け止めて向き合う方をまた大切にしようと思うのだった。

健康体であっても、不調やブルーが一切ないということにはならない。

不調やブルーと仲良く生きるのだ。

それから関係ないが最後にもう一つ・・・・やはり人前でのスピーチは極力避けていこう。笑。

UnsplashAnnie Sprattが撮影した写真

【著者プロフィール】

RYO SASAKI

不調時にやれたことがこんなことくらいでどうしようもないのですが、これからインフルエンザを煩うことがあったとしたら、原因を突き詰めずに、そしてまた、後悔や過度な反省しなくなると思います。

これはこれであらたな気づきだった、ということにしたいと思います。

怪我の巧妙ならぬ、不調の巧妙!?笑。

工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。

現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。

ブログ「日々是湧日」

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