言葉にも旬がある―マジックワードが皮肉に変わるとき
そういえば「お客様のために」という言葉に、一種の気持ち悪さを感じるようになっていた。
言葉には旬がある。
映画「ラストマイル」を観た。
2024年公開の作品だ。

Amazonや楽天のような巨大ECサイトから発送された荷物が、次々と爆発する。
そんな衝撃的な設定のサスペンスだ。
だが、この映画で私の印象に残ったのは爆破事件ではない。
「マジックワード」という言葉だった。
映画では、企業の価値観(バリュー、行動規範のようなもの)が12か条ほど示される。
そのひとつに、「customer‑centric(カスタマーセントリック/全てはお客様のために)」という価値観がある。
映画では、この言葉が事件に絡むマジックワードとして描かれていた。
かつてマジックワードは、自分の願いを叶える魔法のような前向きさを持っていたはずだ。
しかし、今では違う印象がある。
皮肉な響きを帯び、強く心に残る――それを、私は無意識に受け入れていたのだ。
同じ言葉が変わってしまう
「マジックワード」の意味が変わったとしたら、それはいつ頃からだろうか。
映画の企業価値観「customer‑centric」も、同じ空気感を帯びている。
こちらもずいぶん昔からある言葉だが、最初の記憶を辿ってみるとそんな悪いイメージがなかったことを思い出す。
「お客様は神様です!」は、昭和に広まったフレーズで、子どもの頃、三波春夫さんの舞台口上としてテレビで見た記憶がある。
当時は好意的に受け入れられていたはずである。
それがいつの間にやら、皮肉めいた受け止め方に変わっていった。
マジックワードの歴史を追ってみる。
マジックワードももともとネガティブな言葉ではなかった。
2000年より前は、子どもの教育や英語の教室では、「Please」「Thank you」といった、相手を気持ちよく動かす魔法の言葉として使われていた。
しかし、2010年前後から少し様子が変わる。
ビジネスや社会では、「それさえ言えば議論が止まる言葉」として皮肉っぽく使われるようになり、今では「思考停止を招く言葉」として広く知られる存在になった。
以下のような言葉を聞き、反論しづらい空気になった経験はないだろうか。
「あなたの成長のために」
「顧客のために」
「常識だから」
特にビジネスの世界では、中身が乏しくても、ポジティブで断りづらい言葉が多用される。
魔法のように便利な言葉は、裏を返せば受け取る側を考えさせなくしている。
「お願い!」「ありがとう!」程度ならかわいいが、ビジネスの世界では、新しい表現が次々と巧妙に作られる。
その結果、マジックワードは本来の意味を失い、徐々に皮肉っぽいものに変化していくのだ。
なぜ正しい言葉はネガティブに変わるのか?
「customer‑centric」という価値観は、どの商売でも欠かせない。
だから、決して悪い言葉ではない。
では、なぜこの言葉が悪い印象に変わってしまうのか?
映画では、この価値観に従って大手ショッピングサイトがお客様に安価に提供しようと邁進している様子が描かれる。
その結果、配送業者の配送単価が圧迫されることになる。
過剰に実践することで歪みが生じたのだ。
こうしたお客様主義のような素晴らしい価値観は、常に改善と前進を求めるものになる。
価値観は神格化して、従業員を魔法のように前進させる。
そうやって価値観は、他の部分に悪影響をもたらすのである。
このような現象は、これに限らず万事に当てはまるだろう。
それは価値観が「旬を過ぎた」と捉えるのが一番近いのかもしれない。
旬が過ぎてしまったお客様主義という言葉には、従業員軽視、スローガンだけの建前、クレーマー優遇などの意味合いが含まれるようになった。
こうした流れの中で、若い世代が冷めて見えるのは、やはりこれが一因だろう。
旬を過ぎた言葉が信用を失い、その言葉を口にする大人に距離を置くようになるのだ。
私が若い頃に感じていた「お客様のために」という言葉のキラキラした印象と、今感じているものは大きく変わってしまった。
社会は、こうした成熟を繰り返していく。
適度なところは誰にも気づかれない
では、人は行き過ぎないようにすることはできないのだろうか。
おそらく、行き過ぎを止めることはかなり難しいだろう。
なぜなら、人は「正しい」と思ったことほど徹底してしまうからだ。
価値観に基づく行動規範は、本来問題を解決するために生まれる。
そしてうまくいくほど、人はそれをさらに強く信じるようになる。
評価もされるし、出世にもつながる。
指針に従っていれば、考えなく済む。
だから誰も止めない。
その結果、問題が起きるまで続けてしまう。
そして、行き過ぎていたことに初めて気づく。
「正しい」は必ず暴走するようにできているのだ。
お客様対応の問題から始まり、不十分なお客様対応をきっかけに行動規範が設定される。
その後、改善されて順調になったとしてもその行動規範が取り下げられることはない。
順調になり、一段落して安心する。
そのときこそ、本来は適度な状態だ。
しかし、人はそこに留まらない。
「もっと徹底を」と、さらに前に進んでしまう。
失敗するところまで進んで初めて、ようやく「あの程度が適度だったのか」と人は後で振り返るしかないのだ。
言葉の旬を感じる
さて、ここまでのことの理解を何に活かせるだろうか?
ただ、出世に響くだけで終わってしまうのではないだろうか。
どこまで行き過ぎているのかを感じる意味は、きっと大きいはずだ。
お客様主義は、商売に必要な価値である。
しかし、三波春夫さんの「お客様は神様です!」が広まったのは1960年代。
そこから半世紀以上が経ち、言葉は成熟してきた。
成熟とは、絶対的な言葉が旬を終える過程でもある。
これはどんな言葉にも必ず起こる。
だから、言葉の意味を固定せず、言葉にまつわるノスタルジーにとらわれないようにする。
そして、日常でよく耳にする言葉や流行りのフレーズが美しく聞こえたら、必ずその裏にある意味を感じ取るのだ。
これが行き過ぎによるダメージを減らす方法。
これは、私が単にクレーマー気質だという話ではない。
むしろ、そうした姿勢こそ暴走を止めるために健全なのだ、と自分を正当化しておきたい(笑)。
力を持つ言葉は、人を動かし、広まる。
しかし、広まった言葉はやがて過剰に使われ、中身を失い、皮肉の対象になる。
言葉には旬がある。
私たちが当たり前だと思って信じている言葉も、すでに旬を過ぎているかもしれない。
むしろ、最も疑う価値のある言葉かもしれない。
あなたが信じるその言葉は――まだ旬だろうか。
【著者プロフィール】
RYO SASAKI
言葉の今の印象を素直に感じていきたいものです。
工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。
現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。

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