田中 新吾

人の魅力は「信念」だからこそ、それを届けることには大きな価値がある、という話。

田中 新吾

先月のことですが、Xのタイムラインを眺めていたら、ウェブライダーの松尾茂起さんのポストが目に入り、思わずスクロールする手が止まりました。

人の魅力は、「何ができるか」ではなく、「何を信じているか」。

この一文が、その当時、自分の中でモヤモヤしていた何かをスパッと言語化してくれた感覚がありました。

というのもほぼ同じタイミングで、立て続けに「機能的な情報には価値がない」「その人から学びたいんだ」という話に触れる機会があり、「では今このAI時代、何に価値があるのか?」をしばしば考えていたからです。

そこに「人の魅力は、その人が何を信じているか」という言葉が飛び込んできた。

さらに掘り下げていくと、今自分がまさに勉強中のアリストテレスが2,000年以上前に体系化した「3つのコミュニケーションコンセプト」にまでつながっていきました。

というわけで、自分の中でかなりクリアに繋がったことについて、備忘録も兼ねてまとめておきたいと思います。

魅力を感じる人と、感じない人の違い

松尾さんのポストを読んでから、私が魅力を感じてきた人たちのことをあらためて振り返ってみました。

すると、共通点が見えてきます。

あの人は「人間関係は効率化できない」と信じていた。

あの人は「メイキングやプロセスにこそ価値がある」と信じていた。

あの人は「規格化が人生を制する」と信じていた。

あの人は「人間にはそんなに能力に差はない」と信じていた。

スキルや実績の話ではないんです。

「この人は何を信じて生きているのか」

それが透けて見える瞬間に、私は強く心を動かされてきたのだと思います。

一方で、どんなに情報量が多くても、どんなに正しいことを言っていても、なぜか「軽い」と感じてしまう人もいます。

この違いは何なのか?

それが思うに、信念が見えるか、見えないか

その差なのだと思います。

機能的な情報には価値がない、ではどんな情報に価値があるのか?

昨年から参加しているクローズドの勉強コミュニティの中で、ある方のコラム「AIに『カレーのレシピ』は書けても、『母さんの味』は作れない」を読みました。

要するとこういう話です。

AIによって情報のコモディティ化が加速している。

「美味しいカレーの作り方」はAIに聞けば数秒で完璧なレシピが返ってくる。

つまり、What(何を)とHow(どうやって)という「機能的価値」で勝負すると、もう負け戦になる。

では何で勝負するべきなのか?

それが、Who(誰が)とWhy(なぜ)。

つまりは、「情緒的価値」の領域だと。

「僕が学生時代、貧乏で何もない時に、母さんが送ってくれたカレーのルーで作った、あの具なしカレーの話」

「なぜ、僕がスパイスカレーにこれほど情熱を注いでいるのか。それは、インドで出会ったある老人の一言がきっかけだった…」

レシピ自体はAIと同じかもしれない。

でも、そこに「あなたの体験」と「なぜそれを伝えたいのか」が乗った瞬間、それは単なる情報から情緒的な「ストーリー」に変わる。

そして、私たちが本当に心を動かされ、「この人から買いたい!」と思うのは、上のような人のストーリーではないでしょうか?といった内容でした。

そして、このコラムの内容が、松尾さんのポストとも繋がりました。

機能的な情報には、もう価値がない。

少し前なら、「知っているか、知らないか」がそのまま差になっていました。

だからこそ、皆んなが知らない情報を持っている人は重宝されたし、皆んなが知らない情報を発信するだけで価値を生めた時代がありました。

ところが今、AIに聞けばたいていのことは数秒で返ってきます。

カレーのレシピも、マーケティングの理論も、ブログの書き方も、AIの使い方も。

「何を知っているか」で差がつく時代は完全に終焉したと思います。

では一体何に価値があるのか?

それが、情緒的価値を生む、Who(誰が)とWhy(なぜ)だと。

ここで私が注目したいのは、その「情緒的価値」のさらに奥にあるものです。

WhoとWhyが大事だとして、では、あなたの「Why」はどこから来るのか?

「なぜスパイスカレーに情熱を注ぐのか」

その答えの根っこにあるのは、その人が人生の中で培ってきた「信念」なのではないでしょうか。

情緒的価値は、いわば相手に「届いた結果」です。

相手の心が動いた、という状態のこと。

そして、その心を動かす「源泉」になっているのが、「その人が何を信じているか」という信念なのだと思います。

信念のない人を、人はどうも「舐めてしまう」

ここまできて、さらにもう一つ繋がったことがありました。

少し前に読んだ記事の中で、「舐められる」という状態についてこんな定義がされていたのです。

「舐められる」とは、「相手が『この人には自分を従わせる力がない』と確信し、それを態度に出すこと」。

では、現代において「従わせる力」とは何なのか?

暴力の時代はとうに過ぎています。

今、その力が最も宿るのは「言葉」です。

言葉に力があれば、相手はそれを「受け取らないわけにはいかない」と感じる。

言葉に力がなければ、「この人の言葉は受け取らなくてもいい」と確信し、態度に出す。

これが「舐められる」という現象の正体だというのです。

では、言葉に力を宿すものは何なのか

この問いを辿っていくと、2,000年以上前にアリストテレスが体系化した3つのコミュニケーションコンセプトに行き着くという話でした。

LogosとPathosEthos

この3つが揃えば、言葉には非常に強い説得力が宿る。

逆に、どれかが決定的に欠けていると、誰もその言葉を受け取ろうとしない。

つまり、「舐められる」とは、その人の言葉の背後に信念が感じられない状態のことではないかと。

魅力を感じない人を、人間はどうも舐めてしまう。

そして魅力を感じないのは、その人の信念が見えないから。

こう考えることで、「信念」と「人の魅力」と「舐められる」が一つの線で綺麗に繋がりました。

信念はアリストテレスの「3つのコミュニケーションコンセプト」で届けられる

もう少しだけ、アリストテレスの話を掘り下げさせてください。

アリストテレスは著書『弁論術』の中で、「言葉による説得の技術」を体系的に整理しました。

その中で特に重要とされるのが、先ほどの3つのコミュニケーションコンセプトです。

Logos(知性)=>納得できるか?

Pathos(感情)=>心に響くか?

Ethos(人柄・権威)=>信頼できるか?

以前、AI時代だからこそ、成果物に「体温」を宿らせる。プロセス・ストーリーが主観的価値を増幅させるという話。というブログを書いた際にも触れましたが、AIが得意なのは主にLogosの領域です。

論理の最適化はまさにAIの真骨頂でしょう。

しかしアリストテレスは「説得はLogosだけでは成り立たない」とも指摘しています。

EthosとPathosがなければ人は説得できないと。

そして、この3つのコミュニケーションコンセプトがそのまま「信念の届け方」の核心なることを今年に入って学びました。

現在絶賛受講中の「ContentsEngine(主催:hitomiさん飯塚浩也さん)」という、コンテンツビジネスについて体系的に学ぶ6ヶ月間のプログラムです。

この中で、マーケティングにおける「信念構築のプロセス」という考え方では、次の大きく3のステップが示されていました。

  1. 信念を選ぶ:自分が心の底から信じていることを見つける
  2. 主張する:その信念をシンプルなメッセージに変える
  3. 証明する:アリストテレスのように、Logos・Pathos・Ethosを使って主張を裏付ける

※参考書籍:Simple Marketing For Smart People

コンテンツを販売するためには、信念があるだけでは足りません。

それを買ってもらうための信念を伝える技術が必要。

そして、その技術の骨格は2,000年前にアリストテレスが体系化していた3つのコミュニケーションコンセプトがある、ということでした。

日々「信念構築」に励んでいる

かくいう私も、じっくり、コツコツ、日々「信念構築」に取り組んでいます。

自分の中にある信念「Belief」を一つ一つ言葉にし、Logos・Pathos・Ethosを丁寧に実装していく。

この作業に継続的に習慣的に取り組んでいるのです。

具体的には、自分が深く信じていることを一つ見つけたら、シンプルなメッセージに変え、そこにLogos(比喩・例え、ことわざなど)、Pathos(ストーリーなど)、Ethos(偉人の言葉、専門家の意見、研究結果など)を紐づけていく。

例えば、私にはこんな信念たちがあります。

以下は、私のObsidianに蓄積されているファイルの一部です。

※そこそこ納得いくレベルまで育ったファイルの接頭には❤️‍🔥をつけてます

この習慣を2ヶ月以上続けていて、最近強く実感していることがあります。

それは、信じていることの一貫性が、自分にとっての確かな軸になっているということ。

プロジェクトの方向性を議論するとき。

命名の仕事で名前を考えるとき。

ブログで記事を書くとき。

資料一つ、ネーミング一つ、文章の一段落一つに「自分は何を信じているのか」が滲み出る。

そしてそれがあることで、届く人に届くメッセージになっているという手応えを、最近強く感じられるようになってきました。

機能的な情報を届けるのではなく、信念を届ける

この記事を書きながら自分の中でクリアになったことを改めして整理みます。

・機能的な情報には、もう価値がない。

AIが一瞬で生成できるものに、差別化は生まれない。

・でも、「何を信じているか(信念)」を届けることには、大きな価値がある。

なぜなら、信念は完全にその人固有のものであり、AIには生成できないものだから。

信念のない人を、人はどうも舐めてしまう。

魅力を感じないのは、その人の信念が見えないから。

・信念は、アリストテレスの3つのコミュニケーションコンセプトを使うことで届けられる。

Logos・Pathos・Ethosを揃えれば、言葉は「受け取らないわけにはいかない」力を帯びる。

冒頭の松尾さんのポストにもあったように、信念をAIに託してしまった時点で、我々の意志力は落ち、魅力は落ちてしまう。

AI時代の意志の総量は減衰していくからこそ、自分自身の信念を持ち、それを自分の言葉で届け続ける人こそが重宝される時代になっていくのではないでしょうか。

発信を続けていると、「話を聞かせて欲しい」と人が集まってくる。

集まってきてくださる人たちが反応しているのは、

「この人は何を信じているのか」が透けて見えること。

その信念に共鳴できること。

人が人に惹かれる理由は、きっとそこにあります。

だからこそ、信念を磨こう。

そして、信念を届けよう。

機能的な情報を右から左に流す「解説者」ではなく、自分が何を信じているかを語れる「表現者」であること。

それが、AI時代に人として選ばれるための、最も本質的な差分になるのではないかと、私は信じています。

今回の内容が、みなさんの日々の発信や、自分自身の「信念」に向き合うきっかけに少しでもなれば幸いです。

UnsplashVince Flemingが撮影した写真

【著者プロフィール】

著者:田中 新吾( X / note )

現在受講中のContentsEngine、控え目に言って学びがありすぎて最高です。
(ビジネス、マーケティング、Obsidian、AIエージェント・・・)この学んだことを実際に活かせるよう頑張ります。

◼︎ハグルマニ / プロジェクトコンプリメンター
プロジェクトの不足を補い、人の力を最大に引き出す。
◼︎命名創研 / 命名家
思想の最適な容れ物(ネーミング・MVV)を生み出す。
◼︎その他
・タスクシュート認定トレーナー
・栢の木まつり実行委員会
・Obsidian × 10X情報処理

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