田中 新吾

「繰り返しの行為=精神安定剤」として、これまでの人生経験を捉え直してみた話。

タナカ シンゴ

最近読んでいた本の中に「確かに!」とつい膝を打ってしまった話があった。

読んでいたのは飲茶(やむちゃ)さんという方が書かれた「史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち」という本。

一般的にはとても分かりにくいとされる東洋哲学に、とてもお詳しい飲茶さんという方が大変分かりやすい説明を展開してくれている良書だ。

読み終えて実感したことだが、これはたしかに「史上最強の哲学入門」と言っていい。

釈迦の「無我」とか、老子の「無為自然」とか、道元の「只管打坐」とか。

「大事なのは何となく分かるけど、なんだかよく分からない」といった部類の話が本当に分かりやすく解説されている。

そして私にとって大きな発見となったのは、比叡山出身の高僧「法然」が普及させた仏教哲学「念仏」についての箇所だった。

以下に引用してみたい。

そもそも念仏とは、ようするに「南無阿弥陀仏」などの同じ言葉を延々と繰り返すだけの簡易的な修行法のことであるが、実はその繰り返し行為は現代でも優れた精神安定剤として知られている。

たとえば、眠れないとき、「羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹……」と唱えるとよいという話を聞いたことがあると思うが、これは実のところ「念仏」である。

同じ言葉を何度も繰り返し唱えることで、頭の中のゴチャゴチャした考えが収まってゆく。

すると、気持ちが落ち着き、眠りに入りやすい状態が作り出されるという寸法だ。

他には、プロ野球選手が試合中にガムを嚙むのも同じで、これも実のところ「念仏」である。大観衆が見守る試合では緊張するのが当たり前。

どんな名選手でも「打てなかったらどうしよう」「ここで打ったら、俺、持ってるな」などの余計な思考がよぎり、ちょっとした興奮状態になってしまう。そこで、ガムを嚙む。嚙んで嚙んで嚙み続け、「くちゃっ、くっちゃ」と繰り返す。

たったそれだけのことであるが、注意がガムへとそれることで気持ちが落ち着いてゆき、心臓の鼓動が平常に戻っていく。

(太線は筆者)

「念仏」とは繰り返すだけの簡易的な修行法。

その繰り返しの行為は現代でも優れた「精神安定剤」として知られている。

例えば、寝れない時に羊を数えること。

プロ野球選手が試合中にガムを噛むことなどがそれに該当するということ。

この飲茶さんの「念仏の解釈」を知った時、これまでの自分のいくつかの経験とリンクしてつい「確かに!」と膝を打ってしまったのである。

ということで、ここから先は「繰り返しの行為=精神安定剤」の考え方で、これまでの私の人生経験の幾つかをあらためて捉え直してみたいと思う。

ミニマルテクノという精神安定剤

普段私は自分の「音楽性」について語ることがほとんどない。

ブログに書くこともなければSNSで発信することもなく。

これは四六時中音楽を聞いているような人間ではないし、何か音を奏でる機会が自分の人生の側にないままきているからなのかもしれない。

はたまた音楽への向き合い方が中途半端だという感覚が自分の中にあるのかもしれない。

そんな私なのだが実は好きな「音楽ジャンル」はしっかりとある。

ミニマルテクノ」だ。

ここであらためて言うまでもないが、ミニマルテクノとは、最小限の音数で1つのパターンを反復していくスタイルが特徴のテクノ・ミュージックのこと。

馴染みのない方には言葉で説明するよりも該当する音を聴いてもらった方がおそらく早い。

例えば以下のようなものである。

※以下はミニマルテクノ日本代表田中フミヤさんのパフォーマンス映像です。

私は2008年〜2009年にPerfumeやSakanactionにハマり出し、その頃「ミニマルテクノ」というジャンルにも興味を持つようになった。

昔、知人とクラブイベントを何度か主催したこともあったが、開催するに至ったのはこういう好意が相まってというところだ。

それで「なぜミニマルテクノが好きなのか?」という話である。

理由は一文字で言えば「快」。

聴いていて、気持ちがよく、心地がいいのだ。

時間を気にしなくていいのなら正直言っていくらでも聴いていられる。

ここ数年の間のお気に入りは「minilogue(ミニログ)」というスウェーデンの2人組。

Spotify Playlist「This is minilogue

「AKIRA」の大友克洋さんのオムニバスアニメ映画のオープニングなども手掛けているユニットだ。

彼らの曲作りはテクノミュージックでは珍しくライブ演奏に特化しているところ。

思うに、テクノアーティストは一般的にはPCの画面に対峙しながらトライ&エラー的に楽曲を構築していくことが多い。

これに対して、minilogueの2人は楽曲の構成要素の下ごしらえしたあとは、2人で対話しながら森を中を歩いたり、ヨガをしたり、瞑想をしたりしてから一気に演奏を始めるという。

minilogueの楽曲を私が好きになったのはこういう制作フローも影響している。

下のYoutubeは楽曲、機材に対する姿勢、彼らの精神的なところが知れる素晴らしい動画だ。

前置きが長くなってしまったが、ここでお伝えしたいことは、私が今まで好んできた「ミニマルテクノ」は、まさしく「繰り返しの行為(の中に身を投じること)」であり、私の精神安定剤になっていたのではないかと思い直したということである。

飲茶さんの「念仏の解釈」を知る前までは、単純に聴いていて「快」だからという程度でしか捉えることをしていなかった。

しかし、この状況に対して「繰り返しの行為=精神安定剤」という考え方で捉え直してみるとこれが直感的にとても納得がいくのである。

聴いていて、気持ちがよく、心地がいい。

この状況を精神安定と言わずに何と言えばいいのだろう。

そんなわけで「ミニマルテクノ」に対して「精神安定剤」という意味がここで新たに加わることになった。

サウナ、モーニングルーティンも精神安定剤

私にとっては「サウナ」も「繰り返しの行為=精神安定剤」となっているように思う。

サウナはミニマルテクノと比べれば繰り返しのスパンはうんと長い。

しかし、突き詰めるとこれも繰り返しの行為であるから精神安定剤になっているのではないだろうかと思い直したのだ。

サ室に入る、水風呂に入る、外気浴をする、水分を取る。

サ室に入る、水風呂に入る、外気浴をする、水分を取る。

サ室に入る、水風呂に入る、外気浴をする、水分を取る。

サ室に入る、水風呂に入る、外気浴をする、水分を取る。

・・・・

冒頭の本を読む以前は「交感神経優位」と「副交感神経優位」がスイッチングされることで自律神経がととのい 、その結果気持ちがよくなるものだとずっと考えてきた。

おそらくこれも間違ってはいないのだろう。

参照:サウナが自律神経に与える効果と自律神経失調症の症状について

しかしここで「繰り返しの行為=精神安定剤」という考え方でサウナの経験をあらためて捉え直してみると、ミニマルテクノ同様、そこに高い納得感が生まれたのだ。

新たな意味付けがなされたことで、今後のサウナを通して考えることもきっと変化いくはず。

さらに。

繰り返すスパンはサウナよりも更に長くなるが「モーニングルーティン」や「ナイトルーティン」も「精神安定剤」になっていると思うに至った。

自分の話で度々申し訳ないが、私は毎朝タングスクレーパーで舌磨きをした後、鉄瓶で沸かした白湯を飲むというモーニングルーティンがある。

これも毎日繰り返していく、その繰り返しの中に身を投じることで、気持ちがよくなっていくことを振り返る今まで「精神安定剤」という言葉で考えたことがなかっただけで、しっかり「精神安定剤」になっていることを実感できるのだ。

関連記事:白湯(さゆ)が教えてくれた、「丁寧に暮らす」の本質。

以上のように人生経験の捉え直しをしていくと、意識的も無意識的もひっくるめて「繰り返しの行為」は日常生活に結構散りばめられていることに気付く。

「精神安定剤」という言葉を聞くと「物質的で錠剤のようなもの」のイメージがどうも先行する。

そして、そのようなものには「自分は一切縁がない」と正直思ってきた。

しかしながら、飲茶さんの「念仏の解釈」を知ったことで、実は私も錠剤のように形はないが繰り返しの行為という「精神安定剤」をしっかり自分に投与してきていたのか、と考えるように変わった。

おそらく何にも依存することなく常にメンタルタフネスを保っていられる人なんてこの世には誰一人として存在しない。

きっとあらゆる人が何かしらの「精神安定剤」を自覚的か無自覚的かは分からないが投与していると言っていいのだろう。

精神安定剤を投与しつつもいかに不安定・不安全な領域への一歩を踏み出していけるか

「安定・安全」であるから「安心」できる。

「不安定・不安全」だと「不安」になる。

安心は、安定や安全の上に成り立つもの。

これは「地震大国日本」に生まれ暮らす私たちの共通感覚としてあるものと言っていいだろう。

人間という生き物はフィジカル的にもメンタル的にも前提として弱い。

不安を常に感じながら纏いながら人生を歩んでいくことなんて無理ゲーだ。

だからこそ自らを安定させる安全を感じさせる何かを知らず知らずのうちに求めてしまう。

「繰り返しの行為」がそのうちの一つになっていることをここでしっかり自覚することができたのは個人的には大きな収穫だ。

安心・安全は本能的に求めてしまうものであるから、それをゼロにすることなんてできっこない。

しかし頭に留めておきたいのは、安定や安全に入り浸っているうちは「成長する機会を放棄していることとイコールである」ということ。

このことはだいぶ前に書いた「人を信頼することが得意な人」ほど成長できる理由が、ようやくわかった。の記事に関連する。

繰り返しになるが、まさか自分が「精神安定剤」を知らず知らずのうちに投与し続けてきていたなんて本当に思いもよらなかった。

自分はとても弱い存在であると強く再認識できたのは私にとっては大きな収穫。

この先の人生は、ミニマルテクノやサウナという精神安定剤を時々投与しつつも、不安定、不安全な領域(言い方を変えれば未知の領域)への一歩を今まで以上に意識してしっかり踏み出していきたい。

きっとそれが自分の成長につながるはずだから。

UnsplashGian Pietro Dragoniが撮影した写真

【著者プロフィールと一言】

著者:田中 新吾

プロジェクトデザイナー|プロジェクト推進支援のハグルマニ代表(https://hagurumani.jp)|タスクシュート(タスクと時間を同時に管理するメソッド)の認定トレーナー|WebメディアRANGERの管理人(https://ranger.blog)|「お客様のプロジェクトを推進する歯車になる。」が人生のミッション|座右の銘は積極的歯車。

●X(旧Twitter)田中新吾

●note 田中新吾

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年の初めに佐野厄除け大師に行ったのですが、そこで受けた「お護摩」も「精神安定剤」でした。

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