田中 新吾

「特別なひと」はその関係性を一言では言い表すことができない。

タナカ シンゴ

最近「このひとは特別なひとだなあ」と思うことが多かったので、自分にとっての特別なひとの定義はなんだろうか?と考えてみることにした。

私の答えは以下にあるツイートの通りだ。

今日はこの内容にもう少しだけ補足をしておこうかと思う。

私の周りのいる特別なひと

最近、私は結婚をした。そのおかげで新たに妻という特別なひとができた。

もしかすると、このことが特別なひとについて考えるようになった引き金かもしれない。

8月末に行った結婚式には、親族知人友人、私と妻あわせて100名を超えるゲストに列席してもらった。

私だけに限ると、60名程が来てくれたのだが、来てくれた全員が特別なひとだと言える。

結婚式には呼べなかったのだが、こないだ一年ぶりに飲んだ友達も僕にとって特別なひとだ。

彼はsupershipというテクノロジーカンパニーに勤めていてとても優秀だ。彼の笑い声が大好きで一緒にいてやっぱり楽しい。

そして、特別なひとはインターネット上でも作られている。

今こうしてブログを書いているのは毎日更新倶楽部というコミュニティのおかげだ。

このコミュニティを運営してくれているムハくん(@ayumukizu)とはまだ一度しかちゃんと話した(というか飲んだ)ことはないけれど、私にとっては完全に特別なひとになっている。

札幌在住のゆりさん(@funifuniyuri )もそうだ。彼女とはまだ会ったことすらない。

それでも特別なひとだと自信をもって言える。

関係性を一言では言い表せない、だから特別

最近、Twitter上を賑わせたpomeruというサービスがある

参考記事:「自信の根拠」は常に自分の外におく。

他人の紹介文を作成するというサービスだが、この時に強く感じたことがあった。

それは、紹介文を作成する際にその人との関係性を書く欄があるのだが、全然うまく書けないということだ。

何度考えてみても、そのひととの関係性を一言で言い表すことができない。それでも書こうと思って書いた紹介文は、箇条書きにしかならず正直に言えば全然納得のいっていない紹介文になってしまった。(紹介文を書かせてもらった皆さんにはここで謝っておきます。すみません。)

しかし、この体験をしたことが逆によかった。なぜなら、特別なひとを定義することと見事に繋がったからだ。日頃の行いというのは、どこでどう繋がるかは本当にわからないなと思った。

結論、私にとっての特別なひとというのは、関係性を一言では言い表せないひとだった。

そのひととの関係性を表現しようと思うと、表現の仕方がいくつも浮かんでくる。いくつも浮かぶのでそれを同時に表現しようとすると絡み合って複雑になり無理になる。

ビジネスモデルは、複雑な仕組みになっていた方が模倣困難で強い(特別)というのと似ていて、関係性も複雑になればなるほど特別になる。

逆にいうと、さらっとシンプルに関係性を言えてしまうひとは、やっぱり自分にとっては「特別なひとではないんだなあ」というように認識を改めた。

さいごに

関係性というのは本当に面白い。古くもなるし、新しくもなるし、短くもなるし、長くもなる、そして、強くもなるし、弱くもなる。まるで生き物のようだ。

だから、今特別なひとであったとしても、いつか特別なひとでなくなる可能性もゼロではない。関係性が可変的で相対的なものである以上、特別というのも絶対的なものにはならない。

しかし、そのひとが私にとって今特別なひとであることは絶対的に変わらない。だからこそ今特別なひとを全力で大切にしたいし、全力で愛でたい。そう強く思う。

それでは今日はこの辺で。

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