RYO SASAKI

AIが好奇心を駆り立て、私を人間らしくさせてくれる

田中 新吾

最近、同じ失敗を何度も繰り返していることに気づいた。

買った重曹が大量に残っている。

「重曹をクエン酸に混ぜて飲むと身体にいい」と聞き、買ったはいいが、美味しくなくて続かなかったのだ。

何とか消費しようと考えた時、次に思いついたのは温浴剤としてお風呂に入れること。

重曹をキッチンからお風呂側の洗面所の棚に移動しようとしたところ、そこにまた別の重曹を発見してしまった。

以前にも全く同じルート(飲まなくて余って入浴剤として使う)を辿っていたのだ。

私は、忘れては同じ失敗を繰り返す自分にいつもながらガッカリしつつも、それでも前に進む。

(重曹を)どのくらいの量を入れるんだっけ?

その疑問を自分に問いかけた時、これ以上失敗してはならない、という思いが湧いてきた。

この重曹の一件から、私はあることに気づかされることになる。

最近使い始めたAIが、私の好奇心を思いのほか刺激している、ということだ。

何とか引っかかった

これ以上失敗してはならない!

以前、温浴剤として重曹を入れて続かなかったことを思い出した。

あまり温まった感じがしなかった。

今回は、「温浴効果が得られる適量は?」と、そこに何とか引っかかって調べてみることにした。

AIによると、家庭用の浴槽であれば300〜500gであるとのこと。

以前は1〜2杯しか入れていなかったが、適量は10倍だとわかった。

その通り入れてみると、これまでになく少しして汗ばんできた。

湯上がりもポカポカだ。

随分時間をかけて、ようやくこのことに気づいた。

以前はAIがなくとも調べられたはず。

それでも私は放置していたのだ。

ジャガイモ炒めに蒸しを使う

また最近こんなこともあった。

冷蔵庫に卵とジャガイモがあった。

ジャガイモは火が通りにくい。水を少し加えてフタをしてみようと思った。

目玉焼きも蒸し焼きにする。

ならば一緒にできるのではないかと、途中で同じフライパンに卵を割り入れてみた。

すると、偶然うまくいった。

ジャガイモにきちんと火が通り、思いのほか美味しい。

食べながらAIに聞いてみると、ジャガイモ炒めはフタで蒸すのが有効で、しかもジャガイモ自身の水分で蒸せるから、水を足さなくても同時調理が可能だという。

なるほど、ズボラが功を奏したわけだ。

少し気分が上がる。

だが同時に、そんなこともこの年まで知らなかったのか、と情けなくもなる。

まあ、それでも今回は引っかかりを放置せず、AIに聞いた自分を褒めておこう。

沈んだら浮き上がる。いつものことだ。

AIに駆り立てられる

この重曹とジャガイモの件は、知ってても知らなくても大事ではない小さなことだ。

でもそこからあらためて思ったのは、意外なことだった。

これまで、自分のたくさんの引っかかりをやり過ごしてきたから無知のままだった。

AIを多用するようになり、それが明確になった。

数年前、車の新しい機能である音声認識を使ったらいい、そうディーラーに勧められた時。

まずは自分の名前を登録するように言われ、試してみるもインド料理のお店のような名前でしか認識されない。

「なんだこの不良品!」

新製品だから余計に頭にきて、3回試しただけで不良品認定をした。

同様に、ネット検索も階層が深かったり、説明が不足していたり、過剰だったりと、なかなか思い通りにならなかった。

諦めが早いのがまた私という者だ。

少しでも手間がかかるとすぐにやらなくなる。

それが、AIによって一転した。

AIも使えないと思っていたが、手間に見合うように進化していた。

それで、何でも調べるようになった。

引っかかりを無視しなくなる

重曹、ジャガイモに限らず、社会情勢のこと、仕事のこと、ワインの味から、自転車のサドルの適正な高さに至るまで手当たり次第に…。

そうしてみて驚いたのは、私は日々これほど多くのことに引っかかって生きているということだ。

引っかかりとは、子どもの頃の「なぜ?」の延長で生まれる小さな疑問。

AIがあればすぐに確かめられ、その循環が好奇心を育てる。

小さな引っかかりは、私の好奇心の火種でもある。

これは他愛もないような話ではあるのだが、私としては生き方が変わったくらいの変化だ。

相変わらず大げさではあるが。

好奇心が源流

ふと、長生きした叔父のことを思い出した。

叔父には子どもがいなかった。その分、私は大変可愛がってもらった。

親戚の集まりでは社会情勢や政治の話題の中心で、話の始まりはいつも叔父からだった。

家には文学、歴史、科学など多分野の本が並び、新聞にも目を通していた。

ちょっとした近所トラブルにも関心を示し、熱心に聞いてアドバイスをくれた。

「あの政治家はおかしなことを言うものだ」と笑いながら話す表情には、純粋な好奇心が見えた。

学があったのは、単に知識をため込んでいたからではない。

好奇心に駆られ、自ら調べたからこそだと、改めて思う。

そしてその好奇心こそが、叔父を長く元気に、ひとりでも楽しく生きさせたのではないだろうか。

奥さんが他界してからも一人で充実して生きたのは、その旺盛な好奇心のおかげだったのではないか?と。

引っかかりこそが人間らしさ

私はこれまで、生きることの価値は結果にあると思ってきた。

問題を解決すること、便利になること、何かを達成すること…。

しかし、そうではない。「なんで?」と立ち止まり、引っかかるその瞬間こそ、生きることなのではないだろうか。

生きることの源流を辿ると、結局は好奇心に行き着く気がするのだ。

そう考えると、この好奇心をあらためて駆り立ててくれるAIは、すでにその時点で、人間の生きる糧を増やし、人間らしさを引き出す存在だといえる。

AIによって仕事が奪われるのは確かに人間の恐怖心を膨らませる。

だがそれとは逆の素晴らしい面がある。

そのことに気づいたのだ。

それと同時に、自分には想像以上に引っかかりがあるのだとも思った。

人間らしさとは、失敗することであり、ズボラだったり、気分が上がったり下がったり…。

だが何より、「引っかかること」も人間らしさではないだろうか。

答えが出ても、どこかに小さな違和感が残ることがある。

「なんで?」「本当にそうか?」と立ち止まる。

非効率でも、その引っかかりが人生に彩りを与えているように思う。

問いの深さが答えの深さを決める

AIによって暮らしは間違いなく便利になる。

だが、使ってみて気づいたことがある。

軽い質問には、それなりの答えしか返ってこない。

一方で、自分なりに考え、背景や前提を踏まえて問いかけると、返ってくる答えも深くなる。

AIは意図して差をつけているわけではない。

ただ、投げかけた問いに応じて応答しているだけだ。

つまり、問いの質が答えの質を決める。

その事実は、私にひとつのことを教えてくれる。

深い答えがほしければ、まず自分が深く考えなければならないということだ。

AIは、便利さ以上に、好奇心と学びの姿勢を私に突きつけてくる存在なのかもしれない。

だから私は、これからも日々の小さな引っかかりを大切にしていく。

UnsplashGrowtikaが撮影した写真

【著者プロフィール】

RYO SASAKI

工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。

現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

記事URLをコピーしました