田中 新吾

歴史の「普通」ってなんですか?持ち物検査が自分を生きやすくする。

タナカ シンゴ

こないだこんなツイートをしました。

今日はこれについて少し補足をしておこうと思います。

歴史の「普通」ってなんですか?

最近こんな本を読んでいました。

みそ汁の味付けが地域ごとにまちまちであるように、料理の伝統的な味付けには地域ごとの個性がありますよね。伝統とは、ローカルで多様性のある文化だと言えます。

参考記事:個別文化の本質的な価値に気づくためには「グローカリティ」が大事。

つまり、国全体、国家で統一された伝統なるものは、歴史的には存在せず、日本人全員が共有する「日本の伝統」と称するものは地域ごとの多様性を無視しており、その存在は歴史的にも文化的にも疑わしい。

日本の伝統なるものは、だれかによって捏造されたフェイクな伝統ではないのか。権威主義にゴリ押しされて鵜呑みにすることなく、謙虚に再検討する作業が必要。

このような視点で、著者が「当たり前と思われているウソっぽさ」をシニカルに暴いてゆく内容になっています。

よく調べられていて「なるほど」と膝を打つ部分が多くありました。

伝統って、大量消費社会になって、新しいものが比較的ありふれるようになり生まれたものなんですね。

だから、伝統的と言ってる人たちが守ってるものは、意外と数十年の価値観だったりすると知ってめっちゃ驚きました。

持ち物検査で自分を生きやすくする

この本を読んで強く感じたことは持ち物検査の重要性

持ち物というのは、物理的に持っているものではなく、目には見えない持ち物のことです。

例えば、それは伝統や常識のようなもので、これらを常に手に持っている"持ち物"という視点で捉えてみると面白いなと思ったんです。

この視点でいくと、ひとは常に何かしらの荷物を持ちながら生きていて、その荷物を持っている状態で動ける範囲で生き方を決めていると考えることができます。

だから、たくさんの荷物を持っていると重すぎて動くことはできないし、荷物を変な持ち方で持ってしまっていると動きづらくて仕方がないわけですね。

特に、伝統や常識というのは疑うことのないままに”変な持ち方をしている”ケースが多いものだと思います。だからこそ、定期的な持ち物検査が重要だと思ったわけです。

持ち物検査をして、変な持ち方をしているものは直してみたらいいし、不要なものはおろせばいいんです。

そうしたら、だいぶ軽くなって動ける範囲も広がります。

これは生きやすくなるということと、同意だと僕は思うんですよ

例えば「人見知りはよくない・残念」みたいな空気が社会に蔓延している中、それに対して「人見知りじゃない奴は面白くない」ということを知った時に肩の荷がめちゃくちゃ降りた経験が僕にはあります。

参考記事:人見知りじゃない奴は面白くない

こういうことも含めて、持ち物検査を定期的にしてみると、今よりもずっと生きやすくなると思うんですよね。

ちなみに言っておくと、持ち物検査というのは、僕が勝手に付けて勝手に呼んでいるだけなので悪しからず。よかったら使ってみてください。

さいごに

以上です。

この本の中には「初詣」に対しての記述もありました。

初詣って実は江戸時代くらいまでは、自宅からみてその年の恵方にある神社に詣でるのがしきたりだったそうなんです。

要するに、初詣は毎回違う場所に行っていたということ。

でも、現代の初詣は完全に競争の原理に飲み込まれていて、この古くからの伝統が捨てられているという話で、この視点も考えさせられました。

2019年今年の恵方は「東北東」のようなので、初詣がまだの方は東北東にある神社へ行ってみてもいいかもしれません。

よかったら本も読んでみてください。

この記事が他の誰かの参考に少しでもなれば幸いです。

それでは今日はこの辺で。

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