人間の意識進化を辿ってみて、私の新常識が鮮明になっていく!(後編)
前回、「聖なる予言」から知らされたのは、人のDNAに刷り込まれた支配欲によって、至るところで支配合戦が繰り広げられている、というショッキングなものだった。
それでも、千年単位で眺めた時に人間は進化していくものだ、と期待を持つことができた。
そして、「科学が人間の生きる目的を解明する」このこれまで思いつきもしなかったことが、今では量子力学によって未来に実現するんじゃないか?という期待も膨らんでくる。
今回も引き続いて「聖なる予言」の気づき(Insight)から始めて、支配癖=人間のエネルギーを奪い合う癖、について考えてみたい。
その克服方法にたどり着くことはできるだろうか?
意識進化の行きつく先
気づきの最後の2つを紹介する。
気づき(Insight)8 『人への関わり方、中毒を克服する』
わかりやすい男女の関係を上げてみる。
結婚や恋愛が頻度高く闘争に変わってしまうことについても、エネルギーで説明している。
この本では恋愛で舞い上がっている状態を「中毒」と呼び、中毒は異性エネルギーを渇望することによって起こるものだという。
人は渇望して相手を激しく求めたり、相手に尽くしたりする。
これが、よく聞く恋愛初期の「恋は盲目」状態なんだろう。
尽くす行為は、相手にエネルギーを与える行為で、それが行き過ぎると自分のエネルギーが枯渇してしまう。
パートナーを自分のいいなりにしないと気が済まないのは、パートナーを支配したいからであって、これもまたパートナーのエネルギーを奪い合う行為である。
人にエネルギーの枯渇が起こると、今度はエネルギーを相手から奪おうとする側に回って、最終的にエネルギーの奪い合い=闘争に発展してしまうのだ。
このことから、逆の良好な人間関係はいい塩梅のエネルギー交換にあるのだ、と腑に落ちるのだ。
気づき(Insight)9 『自分自身の進化の喜びを得る』
エネルギーを奪い合うところから、お互いにエネルギーを与え合う、ところへ転換する。
それによって自分が変わっていくことの喜びを得る、というもの。
これが最後の気づきになる。
ちなみに、この本では人類は西暦2500年前後にこの気づきに到達すると予言している。
ここで、気づき(Insight)9と似ていると思った私の都合のいい新常識を白状する。
その新常識は「生きるために働かなくてもいい社会」だ。
ちなみに、この働かなくてもいい社会は働いてもいい社会で、自分がやりたいことを好きなようにやれる社会。
ただ怠けたいからではないという弁解だけは加えておきたい。汗。
社会の消費過多、生産過剰(フードロス)を解消し上手く分配すれば、みんなが生きて行けるという感覚がこの背景にある。
似てると思ったんだが・・・。
私の新常識が鮮明になっていく
私にある記憶が蘇った。
私は子供の頃からとにかく争い事がキライだった。
ところがいつからか争いは必要なもので生きることは戦うことなんだ、と学んだ。
「争いがキライだ」と弱音を吐くのは、立派な大人のすることじゃないとクールぶっていた。
キライと言えば、こんなこともあった。
通常の会話の中で、相手の何かに感じる違和感。
それが何だかわからない。
うまく説明できずにずーっと放置したままだった。
それが人から支配されることの怖さだとわかった。
支配による怖さはいたるところにあった。
この支配も、また私はキライだったのだ。
親子、上司と部下、指導者と教え子、そして先生と名が付く人、支配が生まれやすい関係が周りにたくさんあることが今、目の前に広がった。
わずかだが、ここまでにお会いできた支配を必要としない人が逆に鮮明にもなったが。
これは大げさに言うと、またひとつ私が「覚めた(冷めた)」ということなんだと思う。
覚める前というのは「戦って勝ち抜き、支配するのが我々の棲む場所」という常識に凝り固まって感じなくなっている状態。
自分がホントに感じていることがわからない状態だから、それを取り払うことなんてできない。
私の都合のいい新常識「生きるために働かなくてもいい」は、私の中の本来の感覚をすっ飛ばしたものだった。
あって欲しい未来を実現するリアリティーが自分になくて、単に希望を祈っているだけだった。
この本で気づかされたのは、未来へ着実に進む方法だった。
気づき(Insight)9 が言う、人がエネルギーを与え合うようになれば、「生きるために働かなくてもいい」の実現につながってくる。
「物質的な豊かさでは幸せにならない」
1950年代のアメリカの調査結果で既にこのような結果が出ていたと聞いたことがある。
次の幸せ?と言ったらいいのか、更に上の幸せ?と言ったらいいのか、はたまた本当の幸せ?と言うべきか、その試行錯誤は近年ではやっと70年前から再開されたということになるのかもしれない。
この本によると既に1700年くらいに気づいていた人はいたということになる。
早、300年以上経過している。
それはそれは長い道のりだ。
いや、たった300年程度と言った方がいいのかもしれない。
支配癖を克服するためのヒント
私の新常識が鮮明になってくると、実現のために越えないとならない壁がまた高いこともわかってくる。
人間が持つ支配癖をどう克服していったらいいのだろうか?
本にある、人からエネルギーを奪われないための方法について。
みんなが役者で、恐喝者、尋問者、傍観者、被害者のどれかを演じている。
これがわかった上で、次に使えるテクニックがこちら。
脅迫者に対して「あなたは、ずいぶん苛立っていますね。何でそんなに人を脅しているんですか。」
被害者に対して「あなたは、苦しみをわかって欲しいと私に訴えているんですね。」
役者の状態を冷静に描写して伝えるということ。
これによって相手は、無意識だった自分の演技から冷めて、状況を把握し正直にならざるをえないのだという。
これが、エネルギーの略奪を最小限にとどめる方法のようだ。
ここにもまた「覚める(冷める)」が現れた。
私のこれまでと言えば、脅迫者をこれ以上怒らせてはなるまい、とむしろ下手に回ってしまっていた。
これでは脅迫という演技を気持ちよく乗せてしまい、脅迫という火に油を注ぐようなもの。
思い出しては、残念ながら納得する。
次は、人からエネルギーを奪わないようにする方法について。
自分のエネルギーを枯渇させないように、宇宙、自然からエネルギーを充填するという方法があるという。
具体的な方法はここでは割愛する。
でも、エネルギー充填だけで、支配癖がなくなるとは思えない。
どうしたものか?
支配癖にお引き取りいただくには、社会が人を支配しなくても幸せに生きていけるしくみになってないとならない。
人は恐怖心から支配するのだから、支配されない安心な社会が必要だ。
現代社会はそうなっているだろうか?
気が小さい?私にあるのは、昔よりはよくなっているものの、まだ至っていない、という感覚だ。
支配されない社会ができるまでにはかなりの年月がかかるだろうとも思う。
ましてや、安全な社会ができたとしても、それにDNAがすぐに対応するものではない。
支配癖のDNAが変わるにもまた時間がかかるだろう。
このDNAと環境がアンマッチな期間では、支配欲によるトラブルは避けられないのだろうと思う。
これを適応までに時間がかかるタイムラグ欲とでも呼んだらいいものだろうか。
このタイムラグ欲が残る期間があるのは如何ともしがたい。
根性で我慢するしかない。
これは思考で抑制のことを言っている。
最近の私は、思考では限界があるから「思考よりも感覚」などと、感覚を大切にする記事を書いてきた。
感覚の抑制はストレスになるから健康に悪いのだ、とも。
ところが、このタイムラグ欲(無意識からくる感覚)の抑制には思考が不可欠である。
都合よく逆のことを言ってしまっているのだが・・・。汗。
思考によって感覚を抑制することはストレスのかかることだから、せめて抑制ダメージを少なくしたいものだ。
脳を騙す!?
そうしている時にこんなニュースが目に止まった。
最近、アメリカのディズニーランドのアトラクション:イッツ・ア・スモールワールドが大幅改修をしているらしく、利用者の体重が増えて沈んでしまうので、浮力を加える必要があるとのことだった。
アメリカが現代の肥満問題の先行者か・・・。
食が豊富な現代環境に対して、変わらず旺盛な人の食欲。
これもDNAが環境にアンマッチになったためのタイムラグ欲と言えるのではないか?
食欲と支配欲が、現代人が克服しなければならない二大タイムラグ欲かもしれない。
食欲への対策を支配欲に応用できないだろうか?
ダイエット法のひとつに小麦麺をこんにゃく麺に替える、というのがある。
騙して別物でお腹一杯にする方法だ。
これにヒントをもらって、あの手この手で脳を騙す方法を考えてみよう。
まずは、実態がどうであったとしても、支配しなくても生きていける社会である、と思い込ませる方法について。
既にこの社会は人を支配しなくても生きていけると思っている人がいる。
経験から自信を持っている人であったり、宇宙や自然からエネルギーを充填することに長けていて、エネルギーの枯渇しない人であるのかもしれない。
そういう人々とお付き合いさせてもらうこと、そういう人々ばかりが集うコミュニティーで暮らすのがいい。
これならば、目の前のことを社会全体のことと勘違いさせやすい。
最近、サステナブルな社会のために、小規模分散、自給自足のコミュニティが注目されている。
このようなコミュニティは、脳を騙すことによって進化を早めるのではないか?と思えたりもする。
次に、支配欲を他で満たす方法はどうだろうか?
実生活ではない別世界をそれぞれが持って、そこで支配欲を消費する。
演劇の中で、あるいはeゲームの中で。
そしてこれからのメタバースの中で。
私なんかは本当の人間を支配しないとダミーでは満足しないだろうから、生身の非支配役が必要になるんだろう。
さらに、別世界に依存してしまうことにも注意しないとならない。
依存してしまってはいつまで経っても支配欲が枯れないから、ご利用はほどほどに、ということになるのだろう。
ここで、前に戻ってこんな疑問が浮かんだ。
そもそもこの現代社会では、人を支配しなくても生きていけるものなのか、そうではないのか、これは何をもって判断できるんだろうか?
自分に正しい判断なんてできやしないんじゃないのか?
ならば、気の持ちようで脳を騙すというよりも認識を変えるという方が合っている。
聞こえもいい。笑。
すでに人は支配癖に気づいて、それを克服しようとしている。
エネルギーを奪うシーンが、エネルギーを与えるシーンに日々変わっていってる。
エネルギーを奪う合う人が、エネルギーを与える人に日々変わっていってる。
もう社会の移行は始まっているんだ。
これをイメージしてみよう。
社会はオセロゲームのようにパタパタと変わる。
出典:大回転オセロミニ
これを感じられる現実にばかりアンテナを立てる、こうやって脳の認識を変えることができるように思えた。
未来に向けて
この本によって私は今回、また「覚める(冷める)」ことができた。
人は自分が勝手に創った世界を見ている、と言われるが、私はこれまでの私の世界から目覚めて、新しい世界(前述のオセロのイメージ)を創ることができた。
これからも「覚めては、イメージする」、こうやって脳の認識を変えることに可能性を感じる。
それが私が言うところの都合のよい新常識に近づくことになるんではないかと期待している。
さて、これからの千年紀、人間はこの本の予言どおりに意識進化できるのだろうか?
それは先過ぎて私が知ることはないだろう。
それでも科学的に未来に向けて波紋は干渉し、エネルギーは循環し続けるのだから、未来に向けて波紋を投じることはできるだろう。
自分のタイムラグ欲を抑えるちょっとした努力が、未来に向けた波紋になる。
その波紋はわずかだとしても・・・。
最後に、この本はフィクションではあるのだが、これまでフィクションでこんなにも腑に落ちることはあっただろうか?
この9つの気づき(Insight)はどこから出てきたものなのだろうか?
解説にペルーに古くから伝わる逸話から・・・とあった。
だとすると、どうしてそんな古くからこんな叡智があったんだろうか?
突然消えたマヤ文明、その場所の神秘性が加わって妄想が広がってしまう。
そう言えば、この本の始まり気づき(Insight)1は、『偶然の一致に気づく』だった。
偶然の一致に気づくことで、人生が何かにサポートされていると感じられて、イキイキと輝き出すものなのだと。
今回は、私が私の新常識を言い出したタイミングで、この本がなぜか現れた。
これもどうみても偶然の一致。
この偶然には必ず意味がある。
人生は回収するべき伏線が張り巡らされているものらしい。笑
今回の「覚めた」ことも回収すべき伏線のひとつだったのかもしれない。
これに味をしめたのか、私の中のふてくされた子供は、今度は鼻息荒く「これからすべての伏線を回収してやるんだ!」と意気込むのだった。
UnsplashのStephanie Greeneが撮影した写真
【著者プロフィール】
RYO SASAKI
今回は、支配欲の克服の取っ掛かりくらいにしかならなかったのですが、目の前にある景色が鮮明になったことが大きな変化でした。
工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。
現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。
ブログ「日々是湧日」
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