RYO SASAKI

背徳のビアイベントでずいぶんいい感じに酔って「多様性最強」を感じた話。

タナカ シンゴ

近くでビアイベントが開かれると聞いて、朝から銭湯に入ってスチームサウナで汗を流す。

万全な喉の渇き状態で、昼前には会場に到着。

これぞ背徳の「昼のセント酒久住昌之さんの人気本)。」

長く同じ場所に棲んでいると、出不精な私であってもこのサウナ→ビアのような近場の背徳コースが見つかってしまう。汗。

久々のマスク無しという爽快な人垣の先に、国内、海外のいくつかのブルワリーのブースがのぞいている。

私が一番好きなウェストコーストブルーイングは、社長(実は静岡のブルーワリーのアメリカ出身のデレックさん)も来ていて、自らビールを注いでくれた。

YouTube(社長が新作毎にビールをティスティングしている動画)、拝見しています。」

と伝えると、

「恥ずかしいです。」

と返ってきた。

社長なんてものは目立ちたがり屋がなるもの、という見事な偏見を持つ私には意外だった。笑。

日本人の「恥ずかしい」には、出る杭は打たれる日本という環境に適応するための配慮が含まれてるから、鵜呑みにできない。

だから逆に、アメリカ人の「恥ずかしい」には、信憑性を感じてしまう自分がいる。笑。

今回は、この背徳のビアイベントで感じたこと、それはここまで何度も書いているキーワード『多様性』についてまた書いてみたい。

ビアイベントの人々

今日は、昨日よりも気温がグッと下がったので、決してビール日和とは言えない。

それでも時間が経つごとにイベントに参加する人が増えてくる。

度数の高いビールで早々にフラ付き始めると、その酔いも手伝ってか、いろいろなものが私に飛び込んでくるようになった。

「呑まないと言ってたのに飲んじゃっている・・・」と挫けた気持ちを奥さんに吐露しつつ、苦笑いながら美味しそうに呑んでいる旦那さん。

ビールを味わうご主人様の横で微動だにせずに、静かに佇んでいるダックスフント。

またその従順な愛犬の姿に微笑みながら、ペットボトル水2Lと共にビールを味わう男性。

ペットボトル水2L持参とはなかなかの試合巧者だ。

若い男性2人組から、ウェストコーストブルーイングがオープンさせたビアホテル(部屋にビアタップがついていてビール飲み放題で宿泊できる)に泊まってきた話を聞く。

私がいつかは訪れたいと思っていたところだった。

さすが、ビアの強者がやって来ている。

つまみの露店もいくつか出ていて、一番声が出ているのは、唐揚げ屋さん。

揚げたてが売りのようで、

「あと40秒で上がりま~す!」

会場にその声が響き渡る。

それを聞いて近くのマダムが、

「すごくいい声が出てる、今度あそこの店(イベント会場のある商業施設に常設店がある)に行ってみようかな?」

とつぶやく。

何が商売につながるかわからない。

また別のあまり人気のない店では、店員の若い女性が一人ずーっと仁王立ちしている。

他の店は2人態勢だったり、ひとりだとしても客が来ない間は椅子に座っていたり、他の人が現れて交代する場面があったりするのだが、その店には交代する人が現れず、しかもずーっと立っている。

ずいぶん経ってやっと年配の男性がやってきたので、私は勝手に安心したのだが、改善点をアドバイスした風に見えて少しして立ち去って行った。

ここに、私がおつまみを選ぶ決め手が見つかった。笑。

「そうなんです・・・今日は最後までずーっとひとりなんです。」

イベント時間の11:00~18:00をワンオペとのこと。

先ほど立ち去っていった年配の男性は店長だった。

ふと横を見ると私の席のすぐそばに立派な照明をセッティングしているスタッフがいる。

イベントは早々と終わってしまうから、照明をいつ使うのか?不思議に思ったのだが、最後17:00過ぎからラスト1時間、グッと日が落ち込んで照明がないと何をやっているか全くわからなくなるんだそうだ。

若いスタッフから、「その1時間のためにやっています!」という照れることもない力強い言葉。

その前向きさに素晴らしさを感じてビールがまた進む。

リターナブルカップでなかったため一杯呑むごとにプラスティックカップがゴミに捨てられて、ゴミの処理の手間がハンパなく、エコでもなかった、という前回の反省が今回のリターナブルカップに活かされているのだという。

こんなような裏方の話をいろいろ聞いていると、スタッフのひとりが空いた私のカップを見て、「お変わり貰ってきますよ!」と言ってくれて、日本初上陸だというお勧めのビールを注いで来てくれた。

ならば、スタッフは呑んではいけないものだろうか?

お返しをしようとしたが、さすがにスタッフは遠慮しておこう、という感じだった。

横にいたこのイベントの現場責任者は「イベントを盛り上げるのがスタッフの使命なんだから、ビールイベントならば自分らも呑んで盛り上げたいんですけどねえ・・・。」

と少し残念がっていた。

その責任者も若い。

私への配慮も合わせて、柔軟さを感じた。

ビアイベントでの多様性

すべての人から、マンガの吹き出しのように「セリフ」あるいは「思い」が浮き上がってくる。

会場のすべての人の声や表情や動きに一瞬で感じる何かがあるものの、それを言葉にするのが追いつかない。汗。

そんな感覚になっていると、とてもその場に飽きることはない。

ふとこんな思いが浮かんだ。

このイベントは、すべての人々の様々な感情とともにあるのだ!

「美味しい」

「飲み過ぎないでね・・」

「これは苦い」

「席が空いていない」

「もう少し人の入りが欲しいところだ」

「ハイボール呑むところある?」(←これはウェストコーストブルーイングの社長デレックの一言)

様々な声が聞こえる。

喜びが大半を占める中ではあるが、その中にも悲喜こもごもがある。

人々の非日常の感情を引き出すためにイベントがある。

などと、小難しいことを言い始める、とは、ずいぶん酔いが回ってきたようだ。汗。

それでも酔った勢いで続けると、人々の多様な感情を味わうことは、非常に愉しいということだ。

あの人は、どんな気持ちで楽しんでいるんだろうか?

その感情はどんな経験からやってきているのだろうか?

それを知ると、自分自身の感情を味わうのに上乗せで、更に愉しめる。

そしてまたスタッフの裏話を知ると当たり前に享受しているイベントのサービスに、また別の有難みが加わって、より味わえるし、より愉しめるのだ。

私という者は、歳を重ねてずいぶん贅沢になったものだ。

ただ好きなビールを呑んで美味しい、というだけではとても満足できなくなってしまったようだ。

カッコつけて言えば、様々な視点に飛ばして、その視点の多様性を遊び愉しむようになっている。汗。

ちなみに、このイベント会場に隣接して、マンションの住居スペースがある。

そのベランダからこのイベントを真下に眺めることができる。

そこに棲んでいる人はこのイベントを好ましく思っているのだろうか?

疎ましく思っているんだろうか?汗。

そこにも悲喜こもごもがあるのだろう。

もしかして、18:00という早い時間で終了するのは、居住者に対しての配慮なのではないか?

・・・

私の遊びは止まらない。

多様性が最強!?

最近の健康キーワードに『腸活』というものがよく出てくる。

腸は健康のために非常に重要であって、癌や糖尿病の患者さんの腸内細菌を調べると、多様性に乏しくなっている、という研究結果がいくつか報告されているらしい。

腸内の細菌ひとつひとつにそれぞれの役目を持っていて、お互い助け合っているようなところもあって、多様であればあるほど健康だと言えそうなのだ。

さらに加えると、最近このブログでスーパービタミンとして紹介したビタミンD。

ビタミンDの血中濃度が高い人ほど、腸内細菌が多様である、という研究結果も出ている。

このことを私は酔った勢いで、力づくで社会の人々の多様性に照らし合わせてみる。

万能な人なんてものはいないから、人々はその得意分野をそれぞれ持ち寄って助け合って社会がうまく回るのだ、と見ることができる。

また、種の意志から見ると、多様性に分かれて産み落とされることで、何かの環境変化で全滅することを避けている。

やはり多様性こそが最強なのではないか?

更に、「思考」というものにも照らし合わせてみる。

最近話題の映画「ミステリーと言う勿れ」

菅田将暉さん演じる主人公の久能整(くのうととのう)がTVドラマの中で放った言葉。

「事実はひとつだが、真実は人の数だけある」

立場や状況によって事実の見え方、捉え方、意味づけが異なる、という意味合いだ。

真実を知るには多様な見方が必要だと納得させられる言葉だ。

私にはこうにしか見えないが、この立場の人ならば別にこう見えるんではないか?

イベントスタッフの視点でしか見えないことがあるように・・・。

仕事の失敗についても、この失敗はここ1年で見れば減給によって罰せられる?ひどいものだったが、長い目で見ればいい経験だった、という短期目線、長期目線といった多様な視点。

私の自転車が盗まれたことを、私は大いに嘆いたものだが、神の視点に移動すると「防犯に注意するようお灸を据えたったあ。笑」くらいのものだろう。

これらの視点移動は、相手を慰める時によく使われるものだ。

「どうですか?新しい自転車は?良かったですねえ、逆に今最新のモノに快適に乗れていて・・・。」

ひとつの事象にいろいろな意味付けをする視点の多様性の大切さ。

その視点のどれもが正しくて、その中のどれかだけが正しいということはない。

もしその中の一つだけを正解だとしたならば、それは私がそれを正解にすることに決めているだけ。

あるいは、ひとつの正解しか見えなくなっているだけだ。

ひとつが正解なんてものは幻想のようなもの。

こんな風に見ていくと、自分の身に起こるいろいろな問題を解決するためには、多様な知識、多様な視点が必要になるということに至る。

多様性を知らないとすると、中庸(過不足がなく調和がとれている状態)も見えてこない、というところにもつながってくる。

ひとつの信念に囚われるとそれが順調なうちはいいが、その後の変化に弱い。

これは、腸内細菌の種類が少ない様、それによって不健康になることに符号するように、どうしても私には感じられる。

問題解決をするための思考という意味においても、あるいは、健康に生きるための思考という意味においても、共通して多様性が最強である、と思えてくるのだ。

都度多様な視点で物事を観て、その幅広い思考の中から、有望なものを選択できるようにしておくんだ。

たぶん、そんなようのところが良さそうだ・・・。

多様性を感じる

人それぞれに持つ性格、才能、あるいは経験によって備わってきた知識、そこに多様性がある。

SNSで必要以上に?人を批判する人がここ数年目につくようになった。

あるいは、常にマウントをとりたい人も鼻につくようになった。

例えばこれらの目立った行動も、その人にとっては何かを感じたことによって、あるいは何かの意味を持って、行われていることなのだと思う。

※マウントをとる人は、そうしないと不安で仕方ないんだとか・・・。

それまでの何かの経験と感覚が、不安を産みだしている。

だから、私はここまでどんなことがあったのか知りたくなる。

それはともかく、このマウントを取るというのも人の多様性の一面。

そしてまた、そういう人に対して不快に思う人がいる、これまた人の多様性の一面。

これらの多様性があることが、社会を最強にバランス良く保っているんだろう。

このことを逆に見ると、ひとつの思想(菌)が、強力な力を持った時にそれは警戒すべき状態で、少数がしている行為よりもむしろみんなが同様にしている常識に対して警戒が必要だと言えるのかもしれない。

私にとって、鼻につくこの行為に対して、鼻につかなくはならないものの、このような視点での思考でもって理解はしてみる。

まさにこれが思考の多様性というものなのだ。

そんな風に自分に言い聞かせてみている。

毒舌漫才で有名になったウエストランドに対して、人を傷つけない漫才で有名になったペコパの松陰寺さんが言った一言が急に思い出されてきた。

「人を傷つけない、だけでは体が持たないんです。だからウエストランドさんは昔からファンなんです。」

愛(善玉菌)もあり毒(悪玉菌)もある、この多様性が健康体そのものだ!笑。

ところで、私と言うものは、なぜこうも多様性に興味があるのだろうか?

ひょっとしたら、常に周りに助けてもらおうとして周りの人の才能や知識を探し求めているんではないだろうか?

ならばなんともゲスい理由なのではあるのだが・・・残念ながら、それが私という種の根本欲求なのかもしれない。汗。恥。

ウ~む、いよいよ、グダグダがひどくなってきた。

ふと我に帰ると、こんなことを考えながらイベントで飲んでる奴はいないだろう。

こんなことを考えること自体が背徳の行為なのではないだろうか?汗。

そんな風に思うと、急に寒くなってきた。

余ったチケットをいつもの店員さんにプレゼントして今回の背徳のルートから離脱することにしよう。

UnsplashFred Moonが撮影した写真

【著者プロフィール】

RYO SASAKI

背徳感ありつつも、予想に反して十二分に堪能できたイベントでした。

背徳の時間をタマには持ちたいものです。

工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。

現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。

ブログ「日々是湧日」

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