個別文化の本質的な価値に気づくためには「グローカリティ」が大事。
お盆の季節が近づいてくるといつも思い出すことがあります。
それは、長崎市民は「お盆といえばお墓で花火」というもの。
5年前、長崎は五島列島を訪れた際に聞いて、カルチャーサプライズを受けたのを今でも色濃く覚えています。
こんな記憶の蘇りとともに、こんなツイートをしました。
文化の本質はやっぱり「ローカリティ」にある。でも、そうした個別文化の価値に敏感になり本質をみることができるかどうかは「グローカリティ」にかかっている。何でもそうだけど、相対化できなければ本質というのは見えてこない。だから、その地にいるひとが文化の本質に最も近いわけでない。
— 田中新吾/RANGER (@ranger_blog) July 29, 2018
今回は、このツイートの「裏側」について書いてみようと思います。
文化=現在定着しているもの
普段何気なく使っている「文化」という言葉を、皆さんはどういう意味として捉えているでしょうか。
広辞苑を見ると下記のように記してあります。
【文化】
・人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果。衣食住をはじめ技術・学問・芸術・道徳・宗教・政治など生活形成の様式と内容とを含む。(以下、省略)
が、こう書かれていてもよくわかりません。
でもよくよく読んでみると、以下のようにシンプルに要約できると思います。
・文化=現在定着しているもの
文化とは、作りだされて定着しているもの全てのこと。
古い文化、つまり「伝統文化」があれば、ごく最近になって生み出された新しい「文化」もあるわけですね。
文化の本質はローカリティにある
ここから、ツイートの中身に触れていきますが、現代はグローバルな時代だけど、グローバルな文化というものはなくて、文化の本質は「ローカリティ」にあると私は思っています。
これは最初に触れた長崎市民の例のとおり。
「お盆といえばお墓で花火」は、長崎で生まれ長崎にのみ定着しているものということで、典型的なローカリティな文化です。
こんな感じでローカリティにはその地特有の文化が存在します。
ここで言っている「ローカリティ」というのは単に「田舎」を指しているわけではなく、「渋谷」とか「浅草」などの東京にある町も含まれていますし、更に小さい単位で、「コミュニティ」なんかにも含まれています。
例えば、コミュニティについて学ぶコミュニティで知られる「コルクラボ」もローカルと言っていいでしょう。
このローカルでは「タメ語」という文化が定着していると聞いたことがありますが、これもローカルから生まれた文化、ということです。
このように其処此処のローカリティから生まれる文化が社会全体に定着することもあれば、ならないこともあり、
全体に定着すればメインストリームになるし、定着しなければサブストリームになるし、一切定着しなければ消滅する。
文化というのは結局こういうものなのだと思います。
でも、ローカリティだけではその本質に気づかない
そして、これからはこのローカリティにある文化の価値を「どうやって磨き上げ、世界に発信していくか」が重要だと思っています。
なぜなら、グローバルになればなるほど、振り子が触れるようにローカルに目が向くからです。
Airbnbの創業者のジョー・ケビアさんが奈良へ吉野杉を見に行った時に「一番面白かったのは割り箸工場だった」と言った有名な話があります。
本来捨てるはずの木材の端材から次々と割り箸が生み出されていく様子にとても興奮したといいます。
ここから分かるのは、世界中を見てきた人は「個別文化の価値に敏感に反応する」ということです。
得てして、その地にずっと住み着いている人の方が知ってそうに思えて、実際はそうでない、というかその価値の本質に気づいていないことが多く見受けられます。
その理由は非常にシンプルで、他の地域のことを知らないので「相対化できない」からです。
物事の本質というのはいつの時代も常に相対化の中から見えてくるもの。
だから、奈良吉野の人が他の地域のことを知らない限りは「割り箸が一番面白い」という感想を本質的に持つことは絶対にありません。
面白いと思ってもそれは自己満足であって本質からはだいぶ遠いです。
つまり、ローカリティにある文化の本質を知るためには、ローカリティだけではダメなんです。
重要なのは、「グローカリティ(世界を広く知った目線でローカルを見る)」を持ち相対化させてその地域の文化をとらえること。
そうでなければ文化の本質をとらえることができないのだと思います。
グローカリティを獲得するためには
以上が、ツイートの裏側で考えていたことになります。
「じゃあ、グローカリティはどのように獲得していくのか?」
これに関しては、多分足で稼ぐ以外には今のところいい方法がないと思います。
自分の足で移動し、目で見て感覚を肥やすんです。
でも、最近はこれ以外の有効な方法もあるのではという仮説があります。
それは「様々な国や地域を移動している人を呼び込み、自分の地域のことを隅々まで見てもらう」という方法です。
まさしく、世界を見てきたジョー・ケビア氏が奈良吉野の割り箸を見た時のような発見を期待してです。
前に、noteで島根県大森町HPについて書きましたが、その時にもこのことを感じました。
参考記事:「クオリティの高い勝手」が認められる
それに実際、若い世代の中には世界や日本を飛び回りながら、一定期間滞在をしてはその場所のことについてPRをしていくようなタイプの人間が現れてきています。
こうした人たちを積極的に地域やコミュニティに呼び込むということは、本質を知るいい手段になるのかもしれません。
それでは今回はこの辺で。